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持続可能な農業・環境にやさしい農業と、有機農業との距離

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ある人の議論のなかで、持続可能な農業と有機農業とを混同しているらしいところがあって、ほかの人から批判されていた。

両者にはどういう共通性があり、どうちがうのか、整理しておきたいと思った。しかし、関連して思いあたることがいくつもあって、なかなか整理できない。ひとまず、思いあたることを列挙しておくことにする。

- 2. 持続可能な農業、環境負荷の低い農業 -
わたしは、人間社会が持続可能なものになる必要があると思っている。人口が大幅に減らないかぎり、人間社会が食料を得るためには農業を必要とする。農業も持続可能にならなければならない。

農業を持続可能にする課題のうちには、農業をおこなう農家や農業法人のような経営体や、それを含む農村のような地域社会を、持続可能なものにする、という課題もある。ただし、わたしの議論からは、ひとまずはずしておく。

農業が、環境を悪化させたり、再生可能でない天然資源を枯渇させたりするものであってはいけない、という課題もある。環境にかかる負荷が低いものでなければならないのだ。「環境にやさしい」というのは感覚的な表現だが、「環境にかかる負荷が低い」と同じことをさしていると思う。

農業が生態系を改変することはさけられない。しかし、農地の外の物質・エネルギー循環の乱れを、そこの生態系が健全に生存可能な範囲にとどめるべきだ。また、農地の土壌中などの生態系を、自然状態とはちがった状態ではあるが、健全に持続可能な状態にたもつべきだ。

そして、化石燃料や、再生利用できない物質を使うことを、すぐにやめることはむずかしいが、いずれはなくしていくような、技術改良をめざすべきだと思う。

- 3. 有機農業 -
「有機農業」は、英語では organic farming という。なお、ドイツ語圏、フランス語圏などでは "bio" が ほぼ有機農業の「有機」に相当する意味で使われているらしい。

「有機農業」ということばを「生態系を健全にたもつ農業」という意味でとらえることも可能もしれない。(もしそうならば、「環境負荷の低い農業」とは意味が近くなりそうだ。) しかしその用語づかいは、生態系有機体説を前提としているように思われる。今の生態学では、生態系は、生物体のあいだの相互作用で成り立っているシステムではあるが、ひとつの有機体として考えることはしないのがふつうだ。

いま、「有機農業」ということばは、「農薬や化学肥料を使わない農業」という意味で使われることがふつうになっている。(わたしから見るとうまくない定義だと思うのだが、世の中の慣用にさからうのはむずかしいと思う。)

なお「有機化学」の「有機」は炭素化合物をさすが、ここでの意味はそれとは関係ないと言ってよいだろう。(合成農薬の全部ではないものの多くが有機化合物だ。)

- 4. 有機農業と持続可能性 -
持続可能性や、地球環境問題の対策を論じる文脈で、とるべき政策を列挙する際に、農業については有機農業を奨励する議論がきかれることが、たびたびある。

しかし、有機農業は環境負荷が低いのか? 人間社会の持続可能性を高めるのか?

- 4a. Yesといえる面 -

化学肥料や農薬が農地からもれ出した場合には、たいてい有害な環境汚染になるし、資源のむだでもあるから、そのぶんは減らしたほうがよいことは確かだ。ただし、農業の持続可能性のために求められることは、化学肥料や農薬を「使わない」ことではなく「量を適正範囲におさめる」ことだ。

化学肥料や農薬を作るのには化石燃料が使われることが多く、それをやめる、または減らすことが、持続性に寄与するだろう。(化石燃料再生可能エネルギーでおきかえることができれば、この面では持続不可能ではないが、再生可能エネルギーの利用可能量は、近ごろの化石燃料利用量を全部かたがわりできるほど多くなりそうもない。)

農薬の使用については、少なくとも今の日本では、食物に含まれた場合に有害でないように、物質の種類と量が規制されている。しかし、環境への影響については、すべての農薬物質について基準がつくられているわけではなく、また基準を超過していても実効的な使用規制がされるとはかぎらない。農薬の利用を減らせば、それによる環境負荷を減らせるだろう。

土壌生態系の機能(いわゆる「地力」)の保全が必要である。化学肥料によって、農作物にとって直接に必要な栄養分は与えられるけれども、地力の保全には不充分なことが多い。全面的に有機農業に向かわないとしても、堆肥を使うなど、有機農業の要素をとりいれるべきである。

- 4b. Noといえる面 -
化学肥料や農薬を使わなければ、少なくとも短期の収穫量にとっては、生産性が下がる。

もし有機資源(ここでは堆肥や天敵などをさす)や労働力を追加投入しなければ、土地生産性が下がる。同じ量の収穫を得ようとすれば、農地面積をふやさなければならず、自然生態系の破壊はむしろ化学利用農業よりも大きくなる。

有機資源の投入をふやす場合も、その資源の供給地の生態系サービスを消費することになるので、同様な問題が生じうる。

なお、有機資源や労働力の投入をふやせば、その費用をまかなうため、作物の値段を上げないといけないだろう。産業としての有機農業は、お金を多く出せる人に向けて高級品を生産するものになり、人口の大部分のための食料生産の持続性につながらないだろう。

有機農業の定義が、合成物の農薬はいけないが、天然物はよいというものになっていると、その場の生態系にとっては異物である天然物を大量投入することもありうる。それでは、環境負荷が低いことにはならない。

- 5. 日本の農林水産省の政策に見られること -
農水省のウェブサイトの「政策情報」のページ http://www.maff.go.jp/j/lower.html の、「農業生産」という大項目のうちの「環境と調和した持続的な農業」という中項目に、次の2つの小項目がある。

- 5a -
環境保全型農業」のリンク先のページには、まず次のように書かれている。

環境保全型農業とは「農業の持つ物質循環機能を生かし、生産性との調和などに留意しつつ、土づくり等を通じて化学肥料、農薬の使用等による環境負荷の軽減に配慮した持続的な農業」です(環境保全型農業の基本的考え方より)。

そして、「環境保全型農業の推進について(平成29年4月)」という文書http://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/hozen_type/attach/pdf/index-22.pdf がある。

- 5b -
「有機農業」のほうは、まず次のように書かれている。

平成18年12月に制定された「有機農業の推進に関する法律」に基づき、農林水産省は平成19年4月末に「有機農業の推進に関する基本的な方針」(以下「基本方針」といいます。)を策定いたしました。基本方針は、農業者が有機農業に取り組むに当たっての条件整備に重点を置いて定められました。また、平成26年4月に新たな基本方針を策定いたしました。新たな基本方針においては有機農業の拡大を図ることとしています。今後、有機農業者やその他の関係者の協力を得つつ、地方公共団体とも連携して施策を推進していくこととしています。

「有機農業の推進に関する法律(PDF:151KB)」http://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/yuuki/pdf/d-1.pdf
を見ると、第二条に有機農業の定義が次のように述べられている。

この法律において「有機農業」とは、化学的に合成された肥料及び農薬を使用しないこと並びに遺伝子組換え技術を利用しないことを基本として、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した農業生産の方法を用いて行われる農業をいう。

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環境保全型農業の推進について(平成29年4月)」という文書は、プレゼンテーション用ファイル(おそらくPowerPoint)をPDF出力したものらしい。農水省で推進されている政策が列挙され、その中には「有機農業の推進」もある。

これを読んで、わたしは次のように推測した。(わたしの推測であって、確かでない部分を含んでいる。)

日本国全体の政策課題として持続可能性が求められたとき、農水省はそれ以前からやっていた有機農業の推進で対応しようとした。しかしそれは産業政策としての有機農業政策であり、日本の農業全体の大きな割合を有機農業に変えようというものではなかった。(大衆化よりも高級品の生産を指向する動きを奨励していただろう。) それでは人間社会の持続可能性にあまり貢献しない。そこで、「環境保全型」の農業として、有機農業の発想を拡張し、化学肥料や農薬を「使わない」のではなくて「使う量を少なくする」ことを奨励することによって、多数の農家が参入できる活動にしようとしているのだろう。

実際、日本で、肥料(有機肥料もであるが)や農薬がもたらす環境問題の多くは、農地から流出したり、地下にたまったりすることによる。窒素肥料の場合は、富栄養化による生態系の変容や、地下水中の亜硝酸イオンによる健康被害などが問題になる。与える量を適正にすれば、環境負荷を減らすとともに、投入する資源の節約にもなるはずだ。それは、必ずしも単純に量を減らすことではなく、作物の生育や水管理と関連づけて、適切なときに適切な量を与えることだ。また肥料をどのような形で与えるかという問題もある。「環境保全型農業の推進について」の第7項目(9ページ)に出てくる「肥効調整型肥料」というのは、ふつうの窒素肥料は有効成分が水に溶けやすすぎるので、ゆっくり溶け出す形に加工して与えるのだと思う。(なお堆肥は逆に水に溶けるのが遅すぎるという問題がある。)

環境保全型農業の推進について」の第16項目(19ページ)に「地球温暖化及び生物多様性への効果」がある。

このうち「生物多様性」の例としては、兵庫県豊岡市の「コウノトリ育む農法」があげられているが、その方法は農薬の削減と冬期湛水等の水管理だ。これはやはり、合成農薬をなくすわけではないが減らすという、有機農業の拡張のような路線に含まれるものだと言えると思う。

地球温暖化」の例は、土壌中に炭素をたくわえることによって、二酸化炭素の正味の排出を減らし、地球温暖化の「緩和」に貢献しようというものだ。堆肥を使うところで、有機農業と共通点がある。しかし、ここでの堆肥は土壌中に閉じこめられるのであり作物の生育に使われるわけではない。(これは極論で、炭素分は閉じこめられるが窒素分などは肥料として役にたつことが期待されているのだと思うが。) こちらは有機農業の拡張とはいいがたいと思う。

わたしの理解したところでは、今のところ日本の農水省は、環境保全型農業を、有機農業そのものではないが、それと同じ方向に向いた、「化学肥料や農薬による環境負荷の低い農業」としてとらえ、推進しようとしているようだ。わたしから見ると、それで充分とは思えないが、まちがった方向に向かっているわけではないと思う。

- 6. 有機農業と食品安全・栄養 -
有機農業の背景には、消費者の「安全なものを食べたい」という動機もある。

ところが、食品安全の問題としては、今の日本のように、合成農薬が規制されていれば、食品に含まれる合成農薬は基準値未満になっているので、「有機」の農産物が特別に安全性が高いとはいいがたい。他方、天然物を農薬として使うことに関しては、有害性の評価が義務づけられていない。有機農業をする人の判断が、合成農薬はいけないが、天然物を農薬に使うのはかまわないというものになっていると、「有機」のほうがかえって危険な場合もありうる。

また、化学肥料を使った農業と有機農業では、栄養成分にちがいが生じる可能性があるが、栄養としてどちらがよいかは、「有機」であることの評価とは別に、作物や栽培条件ごとに評価する必要があるだろう。

- 7. 菜食(vegetarian)と環境負荷・持続可能性 -
(有機農業とは直接の関係のない話題になるが) 持続可能性や環境負荷に関連して、肉食よりも菜食のほうが望ましいという議論がある。

肉や魚などの動物性食品は、穀物や豆などの植物性食品よりも、食物連鎖の段階が高いので、食品の一定量をつくるのに、一次生産(光合成)の有機物量を多く使っている。そこで、肉食を菜食に変えたほうが環境負荷を減らせるはずなのだ。

ただし、食物は完全に互換ではない。栄養と嗜好の問題がある。

わたしは、今のところ肉食をやめられないが、この理由で、肉食を減らすのが望ましいと思っている。肉と似ていなくてもよいから、肉のかわりになる栄養があり、食べあきない味や舌ざわりがある植物性の食材がふえれば、世の中全体として、肉食を減らせるだろうと期待している。([2011-09-04の記事]に書いた。)

ただし、持続可能性や環境負荷は、菜食の動機としてはいわば第3のものであり、そういう考えをもつ人は、まだ多くないだろう。

菜食の動機の第1は、宗教を含む民族文化的習慣、あるいは、各人の倫理感覚だろう。

そのうちには、「動物を殺すな」という宗教的または倫理的規律に従う場合があるだろう。(動物の乳については許す場合と、それも動物の子から奪ってはいけないとする場合があるだろう。)

しかし「殺すな」とは直接関係なく、肉などを自分(の民族)にとっての食べものの内に含めるか、外に位置づけるか、という分類の問題であることもあるだろう。

動物一般ではなく、特定の種類の動物を、食べてはいけないという禁忌の対象とする文化がいろいろある。そこで、複数の宗教の人に共通に提供する食物を用意する場合は、動物性食品を避けて vegetarianのこんだてで対応することもある。

菜食の動機の第2は、自分の健康のため、だろう。栄養成分(たとえば、脂肪のうちわけ) に関する判断によって、肉食を避け、菜食に向かう人びともいる。この場合は、肉食をまったくしないという意味の菜食主義の人よりも、量を減らそうとする人が多いと思う。