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「無断引用」という表現はまずい。正当な引用ならば原著者には無断でよい。...

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

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近ごろのニュースのうちに、ある人【便宜上、「引用」という用語の意味をたなあげにして、この人を「引用者」と呼ぶ】が著者となった学術論文(博士論文だったか、出版された論文だったか)の中に、他の人【便宜上「原著者」と呼ぶ】の論文からの「盗用」があった(と、ある組織が判断した)という事件の話題があった。

さらに別の人【便宜上「報道者」と呼ぶ】が、この事件を伝える際に、引用者のしたことを「無断引用」と表現した。(記事本文には「盗用」という表現があったが、見出しで「無断引用」とされていたらしい。ただしわたしは確認していない。)

この報道者(その内を分ければ見出しをつけた人)による表現について、さらに別の人【実際には複数の人がいて、いずれも個人としての発言だったが、大学教員やその経験のある人であり、その職務を背景とした専門性のある発言と思われるので、ここでは「学者」と呼ぶ】が、「無断引用」という表現はまずい、という批判をした。報道者は、「無断引用」ということばを、「盗用」よりは主張が弱い表現ではあるが、(法あるいは道徳などの規範からみて)悪いことであるという評価をふくめて使っている(と学者は読む)。しかし、無断引用は悪いことではない。記事の見出しを読んだ人(とくに、事件の内容について詳しく読まない人)が「無断引用は悪いことだ」と思ってしまうと、とてもまずい。

わたしは、この学者の主張に、基本的に賛成する。しかし、わたし自身、「無断引用」という表現を、それは悪いことだという評価をふくめて使ったことがあったのを思い出した。そのときわたしが使った「無断引用」ということばの意味は、学者が「無断引用は悪いことではない」と言ったときの意味とはちがう。わたしの使いかたは、「無断」と「引用」という要素からの組み立てとしてはまちがっていないと思う。しかし、わたしが書いたものについて、読者が「無断引用」を学者が使った意味で解釈する可能性は、かなりある。わたしはその文脈で「無断引用」ということばを使うべきではなく、ほかの表現をえらぶべきだったのだと思う。

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「引用」ということばの意味の広がりも、文脈によって、ちがうことがある。

【ここからは、「原著者」「引用者」などのことばを、1節に述べた事件とは関係なく、役割の表現として使う。】

「引用」の、わりあい広い意味は、次のようなものだと思う。

引用者が、原著者の著作物の部分を複製し、引用者自身の著作物の部分として使うこと。

「引用」の意味のひろがりのちがいは、おもに、ここで仮に「複製」とした行為の意味のひろがりのちがいからくる。

  • a. まったく表現を変えないで複製する。
  • b. 表現は変わることがあるが、原文と対応がつく文章でとりこむ。
  • c. 文章としては対応しないことがあるが、アイディアをとりこむ。
  • d. 参考文献としてふれる。(これは性格がちがうが、学術文献に関する議論で「引用」(英語ではcitation)をこの意味に使うこともあるのでふれておく。)

引用符に関する[2017-11-28の記事]で述べたように、引用を a にかぎりたいこともあるかもしれない。しかし、言語間の翻訳が必要な場合は、a をめざしても b が必要になる。また、引用を制限したいたちばからは、a だけでなく b も制限することを考えるだろう。

著作権法については次に考えるが、著作権法の対象は表現だから、著作権法での意味ならば、「引用」は、a, b はふくむが c はふくまないはずだ。

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日本の著作権法では、「引用」については次のような規定がある。

第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
(http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=345AC0000000048&openerCode=1 2017-12-30現在。)

この法律自体には「引用」の定義は見あたらない。しかし、担当官庁である文化庁のウェブサイトで、上記の条文にふれているところに、次のような説明がある。

ホーム > 政策について > 著作権 > 著作権制度に関する情報 > 著作権制度の概要 > 著作物が自由に使える場合
http://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/gaiyo/chosakubutsu_jiyu.html (2017-12-30現在)より

(注5)引用における注意事項
他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。
(1)他人の著作物を引用する必然性があること。
(2)かぎ括弧をつけるなど,自分の著作物と引用部分とが区別されていること。
(3)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。
(4)出所の明示がなされていること。(第48条)
(参照:最判昭和55年3月28日 「パロディー事件」)

これは、引用が合法とされる条件であって、「引用」の定義ではない。

しかし、文脈によっては、合法なものだけを「引用」と呼び、違法なものは「引用」ではないとすることがある。「引用」と(たとえば)「盗用」との意味の広がりをかさなりのないものにしようとすれば、そのような用語づかいになるのも当然かもしれない。

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引用に関する現代社会の規範には、原著者を尊重すること、とくに、原著者の著作物を引用者自身の著作物であるかのように示してはいけないということ が ふくまれているが、その意味は、大きくわけてふたつある。著作権(やその周辺)に関することと、オリジナリティの尊重に関することだ。両者にはいくらかのかさなりはあるが、基本的に別ものだ。

- 4a -
著作権法の運用上、引用と認められる範囲が、3節に紹介した判例や、そのほかの慣例によって決まっている。

引用とされる範囲をこえたものは、引用ではなく複製とみなされる。著作権のあるもの(まだ消滅していないもの)を複製するには、著作権者の許諾をもらう必要がある。著作権者は、原著者である場合もあるが、原著者から他の人(たとえば出版社)に移っていることも多い。著作権者があらかじめ許諾条件を明示していて、それにあてはまるので、引用者【むしろ「複製利用者」だがこの表現を続けておく】は著作権者と連絡をとらなくても複製利用できる、という場合もある。そうでなければ、引用者は(間接的になることが多いが)著作権者と交渉する必要があることになる。

引用の場合は、引用者著作権者と連絡をとる必要はない。ただし「出所明示」が必要だ。つまり、原著作物が何であるかを読者にわかる形で示す必要がある。(具体的な表現は、出版物のジャンルごとの慣例によるだろう。)

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オリジナリティの尊重に関して、まず重要なことは、引用部分が引用部分であることをまぎれなく示すこと、つまり、引用者自身のオリジナルな文章であると誤解されないようにすることだろう。この誤解を意図的に起こす場合が、「盗用」というのにふさわしい。意図的でなくても、学術の規範に反するまずいことと考えられている。とくに、博士論文など、著者の業績の評価にかかわる場合は、引用がそのように明示されていないと、他人の業績を本人の業績と誤認させることになるから、非常にまずいこととされる。

引用であることだけでなく、原著者 (著作権者ではない) がだれか、もとの出版物が何か、も、示すべきだ。ただしそれをどのくらいきびしく求められるかは、出版物のジャンルや学術の専門分野ごとにさまざまだ。(理科系の分野での経験では、すでに確立したアイディアについては、そういうものであることが明確になっていれば、引用として示す必要はないとされることも多い。)

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1節でふれた学者は、「無断引用」という表現を、「原著者に引用することを伝えないで、引用すること」という意味に解釈したうえで、それは悪いことではないのだ、と主張していた。

著作権法(の運用慣例)で「引用」とみなされる引用ならば、引用するにあたって著作権者の許諾を受ける必要はない。また、学術論文などの慣例としても、引用するにあたって原著者と連絡をとる必要はないとされている。原著者と連絡をとらなければならないという規範を置くことは、論文で見解を自由に述べにくくなるおそれがあるので、よくないとされている。この意味で、「引用は無断でよいのだ。」

【ただし、学術出版者は、図の引用(とわたしなどが思うもの)については、著作権法の「引用」ではなく「引用でない複製」とみなして「著作権者の許諾が必要」とすることが多い。】

場合によっては、原著者が「引用するならば連絡をとってほしい」と思うことはあるだろう。引用者がそれを尊重したほうがよい場合もあるだろう。しかしそれは引用に関する一般的な規範ではない。

- 6 - [この節、2017-12-31 改訂]
ところが、わたしがだいぶまえに「無断引用」という表現を使ったときの意味は、次のようなものだった。

  • (ア) 引用であることを(読者にむけて)ことわっていない引用。
  • (イ) 引用であることはわかるが、どこから引用されたかを(読者にむけて)ことわっていない引用。著作権法の用語を部分的に借りれば「出所明示のない引用」。

このようなものも「無断」と「引用」からなる表現のすなおな解釈のひとつではあると思う。

著作権法との関連で考えると、わたしの意味の「無断引用」は、対象が著作権のあるものの場合には、合法でないとされるだろう。また、オリジナリティ尊重の立場からも、わたしの意味の「無断引用」は、学術の規範に反する悪いことだ。だから、わたしは「無断引用」ということばに否定的評価をふくめて使った。

しかし、言われてみれば、「無断引用」ということばを使うと、読者には5節のような意味にとられるおそれがある。わたしがここでの「(ア)」や「(イ)」のつもりで使っても読者がそう思ってくれるとはかぎらないので、そういう使いかたをするべきではない、という考えに至った。

これをどう呼ぶべきか。今では、(ア)は「明示されない引用」、(イ)は「出所明示のない引用」がよいと思っている。

【「無標引用」などという表現を考えてみたこともあるが、わたしは現代の日本語で漢字からあたらしいことばを組みたてることに積極的ではないので、このすじで考えるのはやめた。】