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学校教育で使われる用語の「精選」の動きとそれをめぐる考え

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

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学校教育で使われる用語を考えなおそうという議論が、あちこちで起こっている。

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地学・地理に関しては、[2017-05-21の記事]で紹介した。2017年5月の日本地球惑星科学連合大会の用語のセッションでの議論は、同じことがちがう語で表現されていたり、同じ語がちがう意味で使われていたりすることについて、整理が必要だ、ということがおもだったと思う。しかし、わたしはむしろ、共通化すべき概念をしぼりこんだうえで、それに関する用語の統一(または表現はちがっても意味が同じであることの確認)を考えたほうがよいと思った。

そこにも出てきた学術会議の小委員会のメンバーである尾方 隆幸さんほかによって、古今書院(http://www.kokon.co.jp )から出ている月刊『地理』の2017年8月号から11月号まで4回連載の論説が出ている。(わたしは、その号を買いはしたのだが、読むのはこれからである。)

[2018-02-19補足] 学術会議の小委員会のまとめは、報告書には至らなかったようだが、小委員会の上位にあたる 地球惑星科学委員会 人材育成分科会 から 2017年9月に「地学地理教育用語整理について」という記録文書としてウェブ上に公表されている。http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/kiroku/3-20170911.pdf

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生物に関しては、学術会議の小委員会が、任期切れ前の2017年9月に報告書を出した。9月27日のNHKニュースで報道されたが、ニュースのウェブページはすでに消えている。Twitterの「NHK科学文化部 (@nhk_kabun)」の[ツイート]を引用しておく。

【高校生物 暗記から考える科目へ】
日本学術会議は高校で学習する生物について、学ぶ用語が多く、いわゆる「暗記科目」になっているとして、学ぶべき重要な用語を4分の1ほどに絞り込むよう求める指針を初めてまとめました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170927/k10011158381000.htm

報告書はここにある。

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そして、歴史について、「高大連携歴史教育協議会」http://www.kodairen.u-ryukyu.ac.jp から、次の発表があった。

この提案については、新聞で「坂本竜馬が消える」など、呼びかけの趣旨からはかなり偏った報道が見られた。

わたしは提案の内容をまだよく読んでいないのだが、Twitterで見かけた発言から、だいたい次のように理解している。

歴史の学校教育で必須とする用語、とくに人名を、かなり少数にしぼるべきだ。
それには次のような理由がある。

  • 暗記ものではなく、歴史学の考えかたや方法の教育にしたい。
  • 学問的認識があらたまった場合は、教育もあらためたい。(たとえば、かつて重要人物とされたが、それほど重要でないとわかった人の名まえは、省略したほうがよい。)
  • これまで教育で重視されていなかった地域や時代をとりあげたいこともある。(既存分野だけで教えることが多すぎるとあらたな分野が参入しにくい。)

この提案に対して、反論らしいものも聞かれた。慣れたものを変えたくないという感覚によるもののほかに、暗記に代わって「考える」「調べる」学習をさせようとしてもうまくいかないだろうという意見があった。生徒の思いつきによるレポートがよいとされたり、担当教師の思想に合う考えかた・調べかたがよいとされたりするだけで、歴史学の考えかたが定着するわけでもなく、同世代で共有される事実認識もできない、といったことらしい。理科でもそういう心配はありうるが、歴史の場合、因果関係の法則が明示されていないのがふつうだから、むずかしいだろうとは思う。

用語を減らしたのでは基本概念さえ説明することがむずかしいという意見もあった。それに対しては、提案者のほうから、基本用語以外の用語を教えていけないわけではない、それを教えることを必須としないだけだ、という説明があった。

このさきの議論は、提案を読んでからにしたい。(地学・地理よりは優先順位が低くなるが、生物学も、歴史も、わたしにとって無視できない隣接分野ではある。)

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歴史学の提案について知る前から考えていたことを書いておく。

「暗記もの」が生じやすいのは、次のようなしくみがあると思う。

大学が入学試験で、基本的なことがらの理解を問う問題に、具体例を出す。公開されるのは問題(ときに正解)だけで、趣旨説明はない。しかも、具体例を知っていたほうが、その問題に答えるには有利なことが多い。そこで、受験産業や高校としては、具体例を教えておこうということになる。

これをたちきることはできるか? 何が基本的なことがらであるかに合意ができて、それ以外のものを暗記させようという意欲が減ってくれるとよいのだが、そういう流れは作れるだろうか?

日本は、教育でもマスメディアでも、画一的になる傾向があると思う。むしろ、合意を得た基本概念(基本用語)以外は、学校によってちがうことを学んでいてよい、という多様性をもたせるべきだと思う。それには何をどうしたらよいだろうか?