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日本の四季という問題

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

- 1. 序論 -
「日本には四季があるからすばらしい」のようなことばをときどき聞く。個人の感想としてすなおにそう言うのはかまわないだろう。しかし、日本がほかの国よりもすぐれている理由という文脈で出てくると、「四季があるのは日本だけではない」「季節が四季でないことを劣っているとみなすのは偏見だろう」といった批判が出てくる(わたしもそういう批判がもっともだと思う)。

さて、「日本には四季がある」というのは事実としてよいだろうか。

小学校などでそれが正解でそれ以外はまちがいだという教育をしているかもしれない。

わたしは、日本に四季があるというのはひとつの正しいとらえかただが、唯一の正しいとらえかたではない、つまり、ほかのとらえかたをまちがいだとみなしてほしくない、と考えている。

おそらく、気候の専門家の多数の人がわたしと同様に考えていると思う。(気候の専門家のうちには、おもに地理の気候学を学んだ人と地球物理の気象学を学んだ人がいるが、この件については両者のあいだで差はあまりないと思う。)

わたしは、日本の特徴として「四季がある」あるいは「四季がはっきりしている」をあげるのはよいだろうと思う。しかし、「四季は日本だけの特徴だ」というのはまちがいであり、「四季があるから日本は(他の国よりも)すごい」というのは変だと思う。四季があると言えるのは、温帯に共通する特徴だ。

温帯の定義は、[2012-06-14の記事]で述べたように、ひとつに決まっておらずいくつもある。ここでは、いわゆる「天文学的定義」により、回帰線(緯度23.4度)と極圏の緯線(緯度66.6度)にはさまれた範囲ということにしておいてもよいだろう。

- 2. 気温による四季 -
気温の年変化(平均的な1年間の変化)を「四季」としてとらえるのは、次のような折れ線のイメージによっていると思う。

  • 気温が年最低付近でほぼ一定の時期 : 冬
  • 気温が上がる時期 : 春
  • 気温が年最高付近でほぼ一定の時期 : 夏
  • 気温が下がる時期 : 秋

現実の温帯の気温の年変化は、おおまかにはこれに似ているが、むしろサインカーブ(正弦波)で近似できる。

毎日の気温を、年平均値(定数)と、1年周期、(1/2)年周期、(1/3)年周期...のサインカーブの合計として近似表現することができる。「フーリエ展開」という数量の変換である。(具体的な計算手順に関心のあるかたは、わたしののウェブページ[気温の年変化の振幅と位相]をごらんいただきたい。)

すると、気温の分散を、各周期成分がもたらす分散の合計としてとらえられる。温帯のほとんどの地点では、気温の分散の大部分を1年周期成分がしめるのだ。(熱帯や寒帯では、半年周期成分も重要になる。この特徴は、3節で述べる「日射」のもつ周期性からきている。)

そこで、四季の定義のひとつの案(ここで便宜的に「第1案」と呼ぶ)として、

  • ふゆ: 気温の1年周期成分が最小値をとる日を中心とする(1/4)年間
  • はる: (過渡期)
  • なつ: 気温の1年周期成分が最大値をとる日を中心とする(1/4)年間
  • あき: (過渡期)

というものが考えられる。[注]

  • [注] 「冬、春、夏、秋」という漢字は、中華文明の伝統にちかい意味につかいたいので、ここではわざと、ひらがなで書いた日本語の単語をつかうことにした。

ただし、各季節の長さは、この案では四季を同じ長さにすることを想定して(1/4)年間(約91日間)としたが、必ずしも同じにする必要はなく、別の決めかたをすることもできる。

- 3. 日射量による四季 -
季節をもたらす原因は、地球の公転と自転によって、地球に達する太陽放射(光)のエネルギーが、緯度と時とによってちがうことである。

ここでは、大気や地表面の吸収や反射を受ける前の、地球に外からはいってくる太陽放射のエネルギーの、単位時間あたり、地表面の単位面積あたりの量 (単位はW/m2)に注目し、便宜上「日射量」と呼ぶ。(地上で観測される日射量とは関係はあるが別の量であることに注意してほしい。) 太陽が出す放射エネルギーを一定と仮定すれば(実際、よい近似である)、日射量は、地球と太陽との幾何学的位置関係によって決まるものである。ここではさらに、日変化をならした、日平均の日射量に注目する。

日射量の年変化は、地上気温よりもさらによく、サインカーブで近似される。温帯では、その分散の大部分を1年周期成分がしめる。

そこで、四季の決めかたの第2案として、

  • 冬: 日射量の1年周期成分が最小値をとる日(≒冬至)を中心とする(1/4)年間
  • 春: (過渡期)
  • 夏: 日射量の1年周期成分が最大値をとる日(≒夏至)を中心とする(1/4)年間
  • 秋: (過渡期)

というものが考えられる。

中国をはじめとする東アジアの伝統的な暦のうちの太陽暦部分である「二十四節気」
([2012-10-28「二十四節気・七十二候」]の記事参照)は、(厳密ではないが)ほぼこのようなものである。

この日射量による季節は、北半球の温帯という広がりで、同時性がある。

ただし、日射量による四季の決めかたはこれだけではない。
第3案として、

  • Winter: 日射量の1年周期成分が最小値をとる日(≒冬至)から始まる(1/4)年間
  • Spring: (過渡期)
  • Summer: 日射量の1年周期成分が最大値をとる日(≒夏至)から始まる(1/4)年間
  • Autumn: (過渡期)

というものを考えることもできる。これは西洋、たとえばイギリスでの「季節の天文学的定義」と言われるもの[注]とほぼ同じなので、季節名を英語で示したのだが、第2案としてあげた東アジアのものとは、「1季節」の半分つまり(1/8)年だけずれる。

  • [注] [2017-12-16補足] Trenberth (1983)の序論に出てくる「astronomical seasons」(南北半球それぞれについて示している)はこれである。

- 4. 気温による四季と日射量による四季との関係 -
第1案の気温による四季と、第2案の日射量による四季との間には、時期のずれがある。

日本の多くの地点では、このずれは約(1/8)年つまり約45日である。日本の気温による「はる」は日射量による第2案の「春」よりも約45日遅れ、たまたまだが、第3案の「Spring」と同じ時期にあたることになる。

中国内陸部では、ずれはもう少し少ない。たとえば、唐の長安であった西安(シーアン)あたりでは、ずれは約30日である。

(もう少し詳しい議論は上記の「二十四節気・七十二候」のリンク先を参照。)

- 5. 月単位で考えた四季 -
人間社会では年のうちの時期を「月」単位でとらえることが多い。気候データも月平均気温、月降水量などをよく使う。そこで、四季も、月をまとめる形で定義したくなることが多い。次のようなまとめかたをすることが多い[注]。(ここでは「第4案」としておく。)

  • DJF (北半球では冬): 12, 1, 2月
  • MAM (北半球では春): 3, 4, 5月
  • JJA (北半球では夏): 6, 7, 8月
  • SON (北半球では秋): 9, 10, 11月

(この件については、[2012-11-10 「DJF, JJA」]にもう少し詳しく書いた。)

  • [注] [2017-12-26補足] Trenberth (1983)の序論に出てくる「meteorological seasons」のspring, summer, autumn, winter (南北半球それぞれについて示している)は、これである。 同じ論文の本論では、このブログ記事の2節で述べたのと同様な気温の年変化による季節の定義を考えるが、アメリカ合衆国本土の大部分の地点では「meteorological seasons」が気温の年変化による季節のよい近似になっているという議論をしている。

- 6. 「二季」 -
気候を非常に大まかに、ただし年平均だけを考えるよりは少しだけ細かくとらえるときには、過渡的季節を扱わないで、気温(の1年周期成分)の極小・極大をそれぞれ中心とする2つの季節として扱うことがある。これを「冬」「夏」という表現をしてしまうこともあるが、四季の冬・夏と区別したいときは、「寒候期」「暖候期」という用語が使われる。

- 7. 降水や乾湿による季節 -
世界のうちで、降水のある時期と(ほとんど)ない時期がある地域では、季節区分は、「雨季」「乾季」が基本となることが多い。

- 8. 気温と降水を考えた日本の「六季」 -
日本は、年間を通じて降水(雨や雪)があるが、時期によって降水の多い少ないがある。

とくに、日本の多くの地方で、暖候期のうちの降水の多い少ないが、めだった特徴になっている。6-7月の「梅雨」と9月ごろの「秋雨」(あきさめ)または「秋霖」(しゅうりん)がいわば雨季、7-8月の「盛夏」がいわば乾季にあたる。(梅雨と秋雨については、[2012-11-10 「梅雨、秋雨/秋霖」]の記事に書いた。)

このような降水の特徴と、気温の特徴あるいは天気をもたらす大気現象の特徴とを組み合わせて、日本(の多くの地域)の季節として「秋」「冬」「春」「梅雨」「盛夏」「秋雨」の6つをかぞえる人もいる。

気候専門家の多くは、「六季」と「四季」のどちらが正しいと決めることはせず、両方のとらえかたを許容していると思う。

- 9. いくつの季節をとらえるかは人間のつごうか? 温帯の場合 -
【この記事のここからさきは、自然科学者としての専門的知見を述べるものではなく、個人として考えたことを述べるものである。】

ここまで、自然現象としての気候について考えてきた。しかし、気温や降水量などは連続変数であって、季節をいくつに区分するかの根拠にはなりにくい。

日本で、人びとがなぜ四季を考えるかといえば、冬には寒さ対策、夏には暑さ対策が必要だが、春・秋にはどちらもあまりいらない、という理由だろうと思う。

少し一般的に言えば、人間活動(あるいは作物の生育など)にとって、

  • 冬: 寒さが制約となる時期
  • 夏: 暑さが制約となる時期

が取り出される。
そして、温帯では気温の年変化がサインカーブで近似される形をしているので、暑さ・寒さのどちらも制約とならない時期は、ひとつの春とひとつの秋として認識できる、ということなのだと思う。

- 10. 熱帯モンスーン気候の「三季」(初歩的に考えたこと) -
ここで仮に熱帯モンスーン気候と呼ぶのは、熱帯のうちで、わりあい湿潤ではあるが、明確な乾季があるような気候である。ただし、明確な定義はしない。(必ずしもケッペンの気候区分でいう熱帯モンスーン気候をさすわけではないが、それと大きくかけはなれているものでもない。)

たとえば、(資料として使えるほど精密な聞き取りではないのだが)タイ国中部での季節は次のように認識されていると聞いた(英語で聞いたので季節名は英語にしておく)。

  • Summer: 3月-5月前半
  • Rainy season: 5月後半-9月
  • Winter: 10月-2月

この地域は、いわゆる夏のモンスーンで雨がふるのだが、「夏のモンスーン」というときの「夏」は、大まかにこの記事の用語を使って言えば、大気上端にはいる日射量が年平均よりも多い時期のことだ。その時期の大部分は雨季になる。それに対してタイの人がsummerと英訳してくれた季節は、地上気温が高い季節で、雨季よりも前にくる。タイの学校の新学期は5月中旬なのだが、その前の時期は暑くて小さい子には授業や通学がむずかしいと判断して「夏休み」とされた、と聞いた。

熱帯モンスーン地域の全部がこのような季節進行をするわけではない。「冬のモンスーン」による降水が多い地域、たとえば、タイ南部(マレー半島の北部)では、季節進行はこれとは大きくちがう。

しかし、インドに関する文献などもあわせて考えると、この「三季」というとらえかたは、熱帯モンスーン地域全体を代表はしないものの、そのうちかなり大きな部分に適用できると推測している。(各季節の時期は、地域によっていくらかずれる。)

これは自然現象だけで決まるものではないかもしれない。第9節と同様に考えてみると、

  • Summer: 暑さが制約となる時期
  • Rainy season: 雨が(めぐみでもあるのだが)制約となる時期
  • Winter: 暑さ・雨のどちらも制約とならない時期

という構造なのではないか、と推測している。

- 11 -
この記事の9・10節で述べたようなことを、個人の推測だけでなく、学問的な知見にできるとよいと思うが、自然科学としての気候学(あるいは気象学)で閉じていてはわからないだろうと思う。気候学もかかわる必要があるが、気候を認知しまた利用する人間社会の側をとらえる学問との協力が必要だ。しかし、具体的にどの学問の専門家に呼びかけたらよいか、よくわからない。

関心をもったかたがいっしょに考えてくださるかたがいるとありがたい。

文献 [2017-12-16 追加]

  • Kevin E. Trenberth, 1983: What are the seasons? Bulletin of the American Meteorological Society, 46: 1276-1282. doi: 10.1175/1520-0477(1983)064<1276:WATS>2.0.CO;2