macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

大気のエネルギー、エネルギー収支、「熱収支」(4)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

[第1部(2016-12-09)][第2部(2016-12-10)][第3部(2016-12-11)]の続き。節の番号も続きでつけることにする。

- 13 -
気象学者全体ではないが、熱帯の対流圏の気象についての専門文献を読む人ならばたいてい、「Q1, Q2」という表現を知っているだろう。これは、柳井 迪雄(みちお)さんが、台風の発生についてのデータ解析をしたYanai (1961)の論文で導入したものだ。

日本語による説明としては、新田(1982)の本の7.2節に、下に述べるYanai, Esbensen, Chu (1973)に沿ったものがある[この部分2016-12-15改訂]。

わたしは大学院生だった1980年前半に「Q1, Q2」について学んだのだが、そのとき示された基本的参考文献はYanai, Esbensen, Chu (1973; 以下「YEC1973」と略す)の論文だった。だいぶあとになって、もとのYanai (1961)の論文を読んだら、Q1の定式化がちがっていた。しかし、それを使っていた研究者たちは、どちらの定式化でも実質的に同じという態度で扱っていた。(数量は厳密に同じにはならないのだが、そのちがいは、観測データを使ったデータ解析の不確かさの原因として、観測データの誤差や代表性などに比べて、小さい、ということなのだと思う。おそらくだれかが実際に比較計算をしたと思うが、文献として出版されているものはないようだ。)

- 14 -
ここでは、第3部までの話とのつながりのつごうで、まずYEC1973の定式化にそって説明する。

「Q1, Q2」の話題では、そこに出てくる風速や気温などの数量が、どのような時空間スケールを代表しているものかも重要なのだが、その件をあとまわしにして、まず式の形を示すことにする。

次の変数を導入する。(これは「Q1, Q2」の件に限らず、熱帯対流圏の気象の研究で使われる表現だが、気象学でもそれ以外の専門の人には通じないだろう。s や h の文字はほかの文脈ではほかの意味で使われる。)

s = cp T + g z ... 単位質量あたりの dry static energy (日本語訳: 「乾燥静的エネルギー」) ... (10a)
h = s + L q = cp T + g z + L q ... 単位質量あたりの moist static energy (同 「湿潤静的エネルギー」) ... (10b)

すると、Q1, Q2は次のようなものである。

Q1 = ∂s/∂t + divH(s vH) + ∂(s ω)/∂p ... (11a)
Q2 = - L{ ∂q/∂t + divH(q vH) + ∂(q ω)/∂p } ... (11b)

このQ1の定義の式は、s という量の収支式の形をしていて、Q1は s のsource (源)の項である。Q2は L q のsourceの項に負の符号をつけたもので、sinkのほうを正としている。両方を合わせると、Q1 - Q2 が、s + L q つまり h の収支式のsourceの項になっている。

熱帯の大気中のエネルギー変換過程のうちで、運動を駆動するうえでいちばん重要な現象は、雲の中で起こる水蒸気の凝結に伴う L q から s への変換だ。それは h の収支では消えてしまうが、このように分けるとよく見えるのだ。

柳井さんたちは、Q1apparent heat source (見かけの熱源)、Q2apparent moisture sink (見かけの水蒸気sink) と呼ぶ。 (YEC1973の本文で最初に出てきたところではQ1は「apparent heating」とされているが、のちには両者の対称性のよい形がこのまれた。) ここで apparent つまり「見かけの」ということばがはいっているのは、数量の時空間スケールの問題に関連している。

ひとまず仮に、(11)式が連続体とみなした大気を細かいところまで正確に表現したものだとする。水蒸気の正味の凝結(凝結ひく蒸発)があれば、Q1とQ2に、同じ正の値として現われるだろう。Q1にはこのほかに、放射の吸収と射出 (多くの場合、射出のほうがやや大きく、合計は負の値をとる)が加わる。このほかに、sの収支には地表面からの顕熱伝達、qの収支には地表面からの水の蒸発があるが、それは地表面の境界に集中して現われ、大気内部には現われないだろう。

観測データ、あるいは大気の大規模な運動を表現する数値モデルからのデータを入れて数量を評価しようとすると、数量の時空間規模を考えなければならない。積雲は、(対流圏の高さが熱帯では約15 kmなので) 10 km程度の鉛直スケール、同じ10 km程度の水平スケールをもつ循環で、1 km程度の水平スケール、1時間程度の時間スケールでの不均一性が大きい。他方、風速や温度などの観測の主要な手段であるラジオゾンデの観測点の水平間隔は 100 km 程度、時間間隔は12時間程度であることが多い。データ解析では、観測点で囲まれた多角形で計算する場合と、格子点に内挿して計算する場合があるが、多角形あるいは格子の升目で計算される量は、たくさんの積雲の上昇域とそのまわりの下降域について平均したものになる。以下、多角形あるいは格子で表現(解像, resolve)される現象のスケールをgrid scale、それで表現されない現象のスケールをsub-grid scaleと呼ぶことにする。

大気の流れによるエネルギーの輸送量は、風速とエネルギーの積の形をしているが、sub-grid scaleの変動がある場をgrid scaleで平均して見るとき、積の平均は、平均の積と同じではなく、それに「平均からのずれどうしの積の平均」をたしてやらなければならない。[2015-07-01の記事]でふれ、[教材ページ「渦(eddy)輸送」: 「積の平均」と「平均の積」の違い]で説明した、「渦(eddy)輸送」があるのだ。

柳井さんたちが扱った状況では、積雲と、大気境界層(地表面から高さ1 kmくらいまで)との両方で、(11)式の右辺に出てくる鉛直移流の項の s ω や q ω は grid-scale の平均の積であることを考慮しなければならない。Sub-grid scaleの量どうしの積はgrid-scaleで平均しても無視できない値をとるはずだが、それは右辺には出てこないで、収支計算で得られたQ1とQ2に含まれるのだ。

YEC1973の論文で、計算結果のQ1とQ2の鉛直分布を見ると、鉛直積算した量はだいたい同じなのだが、ピークの位置が、Q1のほうが高いところにある (Q1のピークは対流圏中層の500 hPa付近、Q2のピークは対流圏下層の800 hPa付近にある)。実際に凝結が起こっているところから上のほうに、sub-grid scaleの上昇・下降流による s の上向き鉛直輸送があると解釈できるだろう。

水平移流の項の s vH や q vH についても、渦輸送は原理的には無視できない。YEC1973では、「風の水平成分は s や q と有意な相関がないと仮定する」という言いかたをして式から省略している。観測データに基づいてこの渦輸送項を評価することは、1970年代には不可能だったし、今でも困難だろう。

- 15 -
(11a)と(11b)を組み合わせてQ1 - Q2の式にしたものが、わたしの記事の第1部・第2部で見た、大気のエネルギーの収支式(ただし運動エネルギーは省略)に相当する。

しかし、比べてみると、局所変化項のうちの、(11a)に示したYEC1973の定式化では s = cp T + g z になっているところが、第2部の(5)式で示したOortの定式化では cv T + g z となっていて、Rair T だけのちがいがある。これが、第2部の「- 9 -」で述べた、わたしの疑問が残ったままになっている点だ。

また、水蒸気に伴うエネルギーのほうは、YEC1973とOortとでちがいはないのだが、わたしの概念的理解がまずかった点に気づいた。これまで「内部エネルギーの水蒸気に伴う部分」と書きながら、数量としては L q と書いてきた。しかし、いわゆる「蒸発の潜熱」の定義から考えると、これは、水蒸気に伴うエンタルピー(の液相の水との差)であるはずだ。わたしの知るかぎり、気象学者はみな、大気中の水蒸気のもつエネルギーを L q とし、それに cv/cpをかけたりはしない。(Lの温度依存性を考えるか、また、液相の水の熱容量を考えるか、に関する多様性はある。) エンタルピーで一貫して考えればよさそうだが、大気のエネルギー現存量を考える際にエンタルピーのままでよいのか内部エネルギーを取り出す必要があるのか、わたしはまだ納得がいかないままである。

- 16 -
Yanai (1961)の論文では、Q1は、温位 (potential temperature) θ という量を使って定義されている。温位とは、空気のある小部分を、もし断熱変化によって一定の気圧 p0 (ふつう 1000 hPaをとる)に持ってきたら得られるだろう、その小部分の温度である。

大気の中で、上下の対流が起こる条件は、おおざっぱに言うと「上のほうが重い」ことだが、大気の密度はおもに圧力によって変わるから、「重い」とは「断熱変化で一定の気圧に持ってきたときの密度」つまり「ポテンシャル密度」(potential density)が大きいということなのだ。しかし、気象データを見ている人には、密度成層よりも温度成層のほうがわかりやすい。状態方程式によって、一定の気圧のもとで温度は密度に反比例するから、「ポテンシャル密度が大きい」ことは「温位が小さい」ことに対応するのだ。(ここで考えた対流は、水蒸気の凝結を含まない「乾燥対流」である。)

温位は次のように定式化される。

θ = T (p0/p)κ ... (12)
ただし
κ = Rair/cp

なぜこうなるかは、いろいろな本(たとえばPetty 2008の5.4節 136-138ページ、North & Erukhimova 2009の6.2節 138-141ページ)に書かれているので、ここでは省略する。
また、水蒸気の凝結を含む「湿潤対流」を評価するためには、相当温位 (equivalent potential temperature)などの数量が定式化されているのだが、その話題も省略し、「温位とdry static energy」「相当温位とmoist static energy」が、物理量の次元はちがうが、それぞれ似たふるまいをする量である、ということだけ述べておく。

Yanai (1961)の定式化による Q1は次のようになる。

Q1 = cp (p/p0)κ {∂θ/∂t + divHvH) + ∂(θ ω)/∂p} ... (13)

θが変化することが、非断熱加熱があるということだ。その量を、標準の圧力に持ってきたとしたときのエンタルピーの変化に対応する形で求め、補正して現場の圧力での値にしている、と言えるだろう。

- 17 - [2016-12-14 追加]
柳井さんを記念する論文集(Fovell and Tung 編, 2016)が出た。Q1, Q2も当然ながら話題になっていて、それに関する最近の学術的話題もあるが、その初歩的説明は含まれていないようだ。柳井さんの伝記的事項が書かれている「エピローグ」は、2011年に開かれた記念シンポジウムのパンフレット([読書メモ])にのったものをもとにしている。

文献

  • Robert G. Fovell and Wen-wen Tung, eds., 2016: Multiscale Convection-Coupled Systems in the Tropics: A Tribute to Dr. Michio Yanai. Meteorological Monograph (American Meteorological Society), Vol. 56. https://journals.ametsoc.org/view/journals/amsm/56/1/amsm.56.issue-1.xml [2021-02-05 リンクさき修正] (PDF版は無料公開)
  • 新田 勍 (にった つよし), 1982: 熱帯の気象 (気象学のプロムナード 7)。東京堂出版。
  • Gerald R. North and Tatiana L. Erukhimova, 2009: Atmospheric Thermodynamics -- Elementary Physics and Chemistry. Cambridge University Press, 267 pp. ISBN 978-0-521-89963-5.
  • Grant W. Petty, 2008: A First Course in Atmospheric Thermodynamics. Madison WI USA: Sundog Publishing, 336 pp. ISBN 978-0-9729033-2-5. 出版社ウェブサイト http://www.sundogpublishing.com そこから書籍情報・注文のページへのリンクがある。[2019-06-15 リンクさき修正]
  • Michio Yanai, 1961: A detailed analysis of typhoon formation. Journal of the Meteorological Society of Japan, 39: 187-214. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmsj1923/39/4/39_4_187/_article
  • Michio Yanai, Steven Esbensen and Jan-Hwa Chu, 1973: Determination of bulk properties of tropical cloud clusters from large-scale heat and moisture budgets. Journal of the Atmospheric Sciences, 30: 611-627. doi: 10.1175/1520-0469(1973)030<0611:DOBPOT>2.0.CO;2