macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

大気のエネルギー、エネルギー収支、「熱収支」(3)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

[第1部(2016-12-09)][第2部(2016-12-10)]の続き。節の番号も続きでつけることにする。

大気のエネルギー収支・「熱収支」と言われる仕事には、いろいろな概念枠組みによるものがある。統一的な視点から分類して説明できるとよいのだが、残念ながら、わたしにはまだできそうもない。ここから複数回にわたって、これまで、わたし自身がしてきたことや、参考文献として見てきたものに出てきた枠組みを、それぞれ説明してみることにする。気象学の知識の少ない読者には、わかりにくい議論が多くて申しわけないが、教科書的文献の紹介のところだけごらんいただきたい。

- 10 -
わたしの修士論文の主要部分を改訂したものは、学術雑誌論文(Masuda, 1983)として出版されている。当時わたしは、自分の計算を「大気の熱収支」あるいは「大気のエネルギー収支」についての「データ解析」だと認識していた。しかし、その内容は、第1部や第2部で述べたエネルギーを全部かぞえあげたものではなかった。

その計算の枠組みは、気象力学の理論や数値天気予報モデルで使われる、大気の力学の予報方程式系に基づくものだ。その方程式系は、運動方程式と、質量保存の式(「連続の式」ということのほうが多い)と、「熱力学の式」(あとで説明するので仮にこう呼んでおく)が連立されたもので、状態方程式 (圧力 p・密度ρ・温度T を関係づける式)も組みこまれている。

大気の力学の予報方程式系について、わたしが学生のときに学んだ教材は、まず小倉(1966)だった。小倉(1978)の教科書も出たので読んだが、わたしには1966年の解説のほうがわかりやすかった。読者のためには、気象学の初歩の人には 二宮(2004, 2006)、専門知識があるが詳しく知りたい人には Satoh (2013)をあげておく。

方程式系を構成する方程式のうち、時間による偏微分 ∂/∂t を含むものを「予報型(prognostic)」の式、含まないものを「診断型(diagnostic)」の式、と分類する。

予報方程式系として、ここでは、「p座標のprimitive方程式系」と呼ばれるものを考える。

ひとまず、大気を1成分の理想気体で近似する。(水蒸気のことはあとで補足的に考える。) 水平の広がりは、実際には球面で考えるばあいもあるが、便宜上2次元平面のような(x,y)座標で書いておく。

静水圧の近似をすると、運動方程式のうち鉛直方向の式が静水圧のつりあいの式(診断型の式)に置きかえられ、鉛直加速度(鉛直速度の時間による微分)が現われなくなる。静水圧の近似を前提として p 座標を採用すると、連続の式が「∂u/∂x + ∂v/∂y + ∂ω/∂p = 0」つまり「 (x,y,p)空間での速度の発散がない」という形の診断型の式になる。ただし、これらの診断型の式の境界条件として、水平2次元座標の関数である地表面気圧 (静水圧近似のもとで、鉛直に合計した面積あたりの空気の質量に比例する)を知る必要があるので、地表面気圧についての予報型の式が現われる。

水平方向の運動方程式は、3次元の座標の関数である速度の水平2成分(u, v)に関する予報型の式になる。そこには水平の気圧傾度力が現われるが、それは p 座標では等圧面高度の水平座標による偏微分で表現される。等圧面高度は、3次元の座標の関数として温度が、水平2次元の座標の関数として地表面気圧がわかっていれば、診断型の静水圧の式と状態方程式によって、得ることができる。あとは、温度についての予報型の式があれば、方程式系を閉じることができる。予報方程式系の「熱力学の式」とは、この、温度についての予報型の式なのだ。

- 11 -
一般的な気体の熱力学の式から始める。ただし単位質量あたりの量で示す。熱力学第1法則は次のように書かれる。

d U = p dα + d'q ... (6)
【式の番号は今後つけかえるかもしれない。】

ここで U は単位質量あたりの内部エネルギー、d'qは単位質量あたりの受け取る熱である[注]。

  • [注] 総量と単位質量あたりの量を大文字・小文字で区別する流儀もあるが、ここでは(他の変数との区別を優先して)同じ文字を使った。熱については、あとで使う予定の大文字の Q とまぎれないようにしたいので、小文字の q を使った。気象学では q は比湿に使うが、ここではその意味ではない。「d q」でなく「d'q」としたのは q という量の微分ではないという意味である。

単位質量あたりのエンタルピー H = U + p α を導入すると、d(p α) = p dα + α dpだから、次の関係がある。

d H = α d p + d'q ... (7)

単位時間あたりの変化にする。

dH/dt = α dp/dt + d'q/dt

ここで、次の関係を使う。

d( )/dt = ∂( )/∂t + u∂( )/∂x + v∂( )/∂y + ω∂( )/∂p

H = cp T

単位質量・単位時間あたりの熱 d'q/dt を あらためて Q と書くことにする[注]。すると、次の式が得られる。

cp {∂T/∂t + u∂T/∂x + v∂T/∂y + ω∂T/∂p} - ω α = Q ... (8)

  • [注] この Q は「単位時間あたりの加熱」つまり「加熱率」(heating rate)である。Masuda (1983)では Q の上に点をのせた形を使った。点は「時間微分のようなもの」を意図した表現だった。しかし、時間累積した熱は出てこないので、ここでは単にQとする。

さらに、 -ωα の項(鉛直流ωに伴う断熱変化の項)を、状態方程式

p α = Rair T

を使って変形すると、次の形にできる。

cp { ∂T/∂t + u∂T/∂x + v∂T/∂y + ω{∂T/∂p - Rair T/(cp p) } } = Q ... (9)

Masuda (1983)の研究では、(9)式の左辺各項の値を(観測値がとりこまれている)客観解析データ(今の用語ならば「データ同化プロダクト」)に基づいて得ることによって、右辺のQの値を求めたのだった。(ただし、客観解析データにはω (鉛直p速度)は含まれていなかったので、それを求めることが作業の大きな部分をしめていた。)

- 12 -
(6)式は、内部エネルギーは仕事と熱によって変化するという、エネルギー保存則の式だ。(7)から(9)は、エンタルピーの収支の式の形をしており、もはや「熱力学第1法則の式」というのは適切でないかもしれないが、そのように言われることもある。ここではもう少し漠然とした「熱力学の式」という表現のほうを採用した。

20世紀なかばの気象学では、(8)や(9)のような式を念頭に、空気がもつエンタルピーをさして、空気がもつ「熱」あるいは「顕熱」と言う表現がよく使われたようだ。(「顕熱フラックス」はこの「顕熱」の乱流輸送とみなすことができる。「顕熱フラックス」を「顕熱」と省略する習慣はこれよりは新しい時期のものだ。)

熱力学の用語でいう「熱」のことは、気象学では「加熱」(heating)というのがふつうだ。単位時間あたりの加熱を heating rateといい、日本語では「加熱率」ということがある。加熱率の数量は、空気の単位質量あたりの単位時間あたりの熱としてのエネルギー供給量(SI単位 W/kg)で表わされる場合と、それを(圧力一定の)比熱容量cp (SI単位 J/(kg K))で割って温度上昇率と同じ次元(SI単位 K/s)で表わされる場合がある。

  • [注] 気象の話題ではふつう、heating (「加熱」)は熱を与えられること、warming (日本語では「昇温」、「温度上昇」)は温度が上がることをさす。それを負にしたものはどちらも cooling となり、文脈によって意味(「冷却」か「温度低下」か)を判断する必要がある。【気候の変化に関する「温暖化」「寒冷化」も warming, coolingだが、そこまで含めると話が複雑になるので、ここでの話題からははずしておく。】

Masuda (1983)の論文の題名では、diabatic heating、日本語では「非断熱加熱」ということばを使っている。単に「加熱」でよいはずだが、このようなまわりくどい表現になっているのは、まず、中高緯度の大気の力学を考える枠組みとして、まず断熱(Q = 0)の問題を考え、それに熱が加わるという考えかたをしているからだ。また、heatingということばは、熱力学でいう熱に限らずに、温度を変えようとするプロセスをさして使われる可能性もあって、もしそうならば鉛直流に伴う断熱変化の項も含むので、それを含まないことを明示したいということもあると思う。「断熱」は英語で adiabatic というので、「非断熱」はnon-adiabatic という表現のほうが先にあったと思うが、adiabaticの「a-」が否定の意味だから、adiabaticの否定は「a-」をはずせばよいはずだという理屈で、diabaticという語が使われるようになった。【「a-」のあるなしで区別するのは、聞いてわかりやすい表現ではないし、読みまちがいもおきやすいと思う。このごろわたしは、明示するときはnon-adiabaticを使い、adiabaticの項はheatingに含めないことをことわったうえで、あとは単にheatingと言うほうがよいと思っている。】

上に述べた気象学の伝統的な「熱」という用語を前提とすれば、(9)式にもとづいてわたしがやった計算は「熱収支」と言えるのだが、「エネルギー収支」と言えるだろうか。第1部・第2部で述べた大気のエネルギー収支とは、次のようなちがいがある。

  • 内部エネルギーの水蒸気による部分は収支を考える対象の外になっており、それと温度に比例する部分とのやりとりは、(あとで述べるように)Qのうちに含まれている。
  • 位置エネルギーも対象の外になっており、断熱変化の項が内部エネルギーと位置エネルギーとの間のやりとりに対応している。
  • 運動エネルギーも対象の外になっているが、これは定量的に小さいことがわかっている。

エンタルピーという変数を介して、空気の内部エネルギーの温度に比例する部分の収支を考えた、とは言えると思う。

Qの物理的内容には何があるか。

  • 空気による放射吸収(正)、射出(負)。
  • 水蒸気の凝結が起きると、水蒸気に伴う内部エネルギーから、温度に比例する内部エネルギーへの変換が起きる(正)。凝結してできた雲粒が蒸発すればその逆が起きる(負)。Qに含まれる水の相変化は「正味の凝結」であり、鉛直に合計すれば降水量に等しいはずである。(ただし、固相とのあいだの相変化や液相の熱容量は省略して考えた。)
  • 地表面からの顕熱輸送 (海や陸が大気をあたためる場合 正、ひやす場合 負)。連続体の微分形の式ではこれは地表面に集中して与えられるはずである。データを入れて計算する場合は、データの格子よりも細かい運動による乱流輸送が(9)の左辺の移流項で表現できず右辺の Q にまざるので(この件は第4部でもっと論じる予定)、高さ1〜3 kmくらいまでの層に分布して現われる。
  • (地表面からの水の蒸発によって、水蒸気に伴うエネルギーが大気にはいってくるが、それはここで収支計算の対象となるエネルギーにははいってこない。)

大気の運動を考えるうえでは、「熱源」の働きとして、大気の密度を変えることが重要だ。大気の密度の場所によるちがいには、水蒸気と窒素・酸素との密度の差よりも、水蒸気の凝結に伴って温度が上がることのほうが、大きくきいている。したがって、水蒸気が供給されるところでなく凝結が起こるところに「熱源」があるという認識のほうがこのまれる。内部エネルギーの温度に比例する部分に注目した「熱収支」はそれに適した枠組みだ。

文献