【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】
- 1 -
あたらしい研究論文がでたことを、Twitter の 火山に関連する地質学者の tweet で知った。【これはわたしが共著で書きかけている論文の議論にとって重要かもしれないのだが、その検討を前提にすると論文の完成がおくれてしまう。今回の論文では、この情報は得ているが、検討は今後の課題とする、と書いておくしかないだろう。】
- 2 -
世界のあちこちのいわゆる「天候不順」の原因として、火山の噴火が想定されてきた。[2015-11-11 火山噴火が世界規模の天候におよぼす影響 ] の記事に、そのときまでにわたしが理解したことをのべた。因果関係がわりあいたしかな部分としては、火山起源のエーロゾルのうち成層圏まであがったもの (おもに硫酸液滴) が太陽放射をさえぎり、地表に達する太陽放射のエネルギーがちいさくなるので地上気温が低くなりやすい、という理屈がある。そして、グリーンランドや南極の氷のコアサンプルの硫酸イオンなどの分析によって、大量のエーロゾルをもたらした火山噴火の歴史が編集され、現在にちかい千年あるいは二千年間について年単位の時間めもりがつけられている (たとえば Sigl ほか 2015 の解説参照)。
しかし、「天候不順」は空間的に一様ではなく、噴火からの因果関係の議論はむずかしい。エーロゾルは直達日射をへらすが、散乱日射をふやすので、全天日射をへらすはたらきはあるが直達日射の変化から感じるほど大きくない。地上に達する日射を変化させる要因はむしろ雲の変化であり、エーロゾルから雲への因果関係はあってもよいのだが単純ではない。また、すくなくとも温帯では、気圧の谷・峰の分布がかわることによって、同じ緯度帯でも気温が高くなるところも低くなるところも生じるしくみがある。
- 3 -
1830年代の噴火のうち、1835年のものは、ニカラグアの Cosigüinaであることがたしかになってきたようだ。 (この火山の名まえは Cosegüina ともかかれる。日本語では「コセグイナ」がふつうのようだ。あとで紹介する今村 (1946) では「コセギナ」とされていた。) ニカラグアのうちでは北西の端、エルサルバドルやホンデュラスに近いところだ。熱帯の大噴火だから全地球規模の影響があっただろう。日本の天保のききんのうちでいちばん明確な冷夏だった1836年の冷夏がおきた因果関係は単純ではないとおもうが、この噴火を無視するわけにいかなくなってきた。
- 4 -
こんどでてきた Hutchison ほか (2025) の論文の主張は、1831年に噴火をおこした火山がわかった、というものだ。氷コアの噴火の時系列データをまとめている Sigl さんも共著者にはいっている。
この年の噴火は、フィリピンの北にある Babuyan 島の Babuyan Claro 火山のものだとされることがおおかった (あとで紹介する今村 (1946) では「バブヤン (Babujan)」としている。) しかし Garrison ほか (2018) は、その火山でその年に噴火があったことはありそうもないとした。そして Garrison ほか (2021) は、その年にヨーロッパで「blue sun」がみられた原因は イタリアのシチリアに近い Fernandea 火山の噴火だろうとした。
Hutchison ほか (2025) は、1831年の大きな噴火は、千島列島のシムシル (Simushir、日本統治時代の表記では「新知」) 島の Zavaritskii [ザワリツキー] カルデラの噴火だ、と言い、その証拠を論じている。(Wikipedia 日本語版「新知島」を参照すると、日本語名は「緑湖カルデラ」だ。)
- 5 -
わたしはまだこの論文をよく読んでいないのだが、Twitter で紹介していた人が、この噴火が当時の日本で気づかれていたかを気にしていたので、ひとまずその関連の部分を見てみた。つぎのように書かれている。
Japanese records mention various atmospheric phenomena apparently occurring in 1831 CE, including dry fog, abnormal color of sun and moon, Bishops ring, and volcanic hair [volcanic ash] falling from sky ( 55 ).
文献 55 は Imamura (1945b) だ。地震学者の 今村 明恒 さんの業績としては、東南海地震の関連の地殻変動の研究 (1945a) が有名だが、同じ雑誌の同じ年の巻にのった別の論文だ。ただし、3ページの短い報告で、補足記事 (Imamura, 1945c) をあわせてもあまりよくわからないのだが、日本語の論文 (今村, 1946) のほうにもうすこしくわしく書いた、とある。【1945年の論文が1946年の論文を参照しているのは形式的には変だが、どちらも1945年7月の会合での報告にもとづいたものだし、定期刊行物の発行が名目の年よりもおくれるのは、平常でもありがちなことであり、戦中戦後の時期には当然あっただろう。】
今村 (1946) は天候については 荒川 秀俊、文献については 武者 金吉 から情報をえている。当時の科学研究としては先端の成果だろう。おもに天保と天明のききんのときの天候を論じている。それぞれ数年間つづいた暖冬冷夏の天候パタンの原因として火山噴火を想定したようだ。
そのうち、天保のききんは 1833 (天保4) 年から 1839 (天保10) 年まで 7年間つづいたとみている。その期間の毎年の県別の天候または作柄の情報を、積雪地域農村経済調査所 (1935) にもとづいてしめしている。【わたしはこの資料の存在を 2023年にはじめて知り、それを引用した自分以外の文献を見たのはこれがはじめてだった。】 噴火と天候を関連づける材料として、つぎの項目をあげている。(用語はわたしのものにかえている)。
- (1) 世界的に日射量が減少し、平均気温が低下したこと。1829-1841 とくに 1836-37年に低かった (これは Humphreys [参照された版が不明だが 初版1920, 2版 1929, 3版 1940] Physics of the Air による世界のまとめであり、日本のことではない。)
- (2) 「乾燥霧」が長く出現したこと。日本の天保期についてはつぎの項でのべる 田村 吉茂 の1833年の記録をあげている。
- (3) 太陽あるいは月が赤く見えたこと。日本の天保期については、1833年の事例が 田村 吉茂の『農家心得訓』から引用されている。「天保四癸巳年春の気候不順なり。四月中旬より日輪朝暮丹の如く光なし。霧深き様にて正陽の月陰気勝にて、五月より六月土用に至り袷を用る事也」。また、1836年「2月」に月が紅の如く見えたことが 梯崎 弥左衛門 『天保年中巳荒子孫伝』にあるという。【年は西暦になおしたが、月は太陰太陽暦のままなので注意のためかぎかっこをつけた。】
- (4) 火山毛が広く全国的に降ったこと。1836年「6月19日」を中心として「5月末」から「7月4日」に降ったという。
- (5) 暖冬冷夏の異常が続出したこと。『農家心得訓』からの引用として、1832年に「十一月中旬南風吹三月頃の如く、天気よはし」、(1833年の冷夏は (3) 項で既出)、1835/36年の冬はあたたかく、1836年の春から夏は異常低温であったことがのべられている。
このうち (4) は固体の火山噴出物であり、(3) はエーロゾルの光学的影響 (ただし引用内容には天候をふくむ)、(5) は天候の異常である。( (2) はほんとうに霧ならば天候だがエーロゾルかもしれない。) 火山と天候の関係を論じるには、これをよりわけてかんがえないといけない。
今村 (1946) は数年間にわたって継続した天候異常の原因として火山噴火を想定したようなのだが、わたしがかかわっている共同研究によれば、天保期のうちでも天候の年々変動は大きい。たとえば、1833年はたしかに東北地方で冷夏だったが、(1836年とはちがって) 日本全国の冷夏ではなかった。
Hutchison (2025) が 注 55 をつけたところの本文は 1831年に日本で観測された現象をのべていると読めるが、それは、きびしくいえば、まちがいだ。今村 (1946) までさかのぼって、たしかなことは、1833年 の旧暦4月中旬以後に朝日夕日が赤く見えるという光学現象が見られたことだ。その記述は 田村 吉茂『農家心得訓』による。田村 吉茂 がどの地域の天候を記載したかは、有薗 (1989) の論考でわかった。下野国 河内郡 下浦生村、現在の 栃木県 河内郡 上三川町 下浦生 である。同じ文書のつづきの「霧深き様にて」を今村は「乾燥霧」「so-called dry fog」と解釈し、Hutchison の「dry fog」にひきつがれている。今村が「乾燥霧」を想定したのは、Benjamin Franklin を引用した Humphreys の記述にならったようだ。しかし、わたしは、「霧深き様にて」は、上空のエーロゾルの影響で太陽や月が不鮮明に見えたという光学現象かもしれないし、雨にもなりうる (乾燥はしていない) 霧の天気かもしれないとおもう。 (下でのべる) 『農家心得訓』の 1836 年「4月下旬」の記述から類推すると、1833年「4月中旬」も夜から朝に気温が低かったので水蒸気が凝結して霧になっていた、という解釈がいちばんありそうであり、そうするとエーロゾルではなく天候の情報となる。 1833年の夏に冷夏であったこと ((3)項での引用)、1832/33年の冬に暖冬であったこと ((5)項での引用) は、栃木県での天候のたしかな観測事実だが、火山と天候の関係のたしかな証拠ではない。
(4)項の「火山毛」の情報の出典は『大日本地震史料』で、そのうち海外起源とおもわれるもので「著しい」事例は1836年のことであり1831年の噴火とは関連づけられない。関連づけられるものがあるかどうかは、資料をさかのぼってみないとわからない。Hutchison は volcanic hair の件をふくめるべきではなかったとわたしはおもう。しかしこの件の確認は、Zavaritskii 火山や Cosigüina 火山の噴火と日本の天候との関連を論じるのに必須ではないだろう。
- 6 -
わたしは当面、田村 吉茂『農家心得訓』の今村が引用した箇所の前後の記述をたしかめたい。さいわい、この本は 小野 武夫 『日本近世飢饉志』に収録されており、その本はわたしの所属する大学の図書館にある。【[2025-01-05 補足] 本がいたんでいるからという図書館の判断で、借りだしもコピーもできなかった。ひとまず天保年間の部分の書きぬきをした (校正できていない)。天保年間のうちで光学現象らしい記述は1833年だけだ。霧の記述は 1836年「4月下旬」にもあって朝夕の寒冷にともなうものだ。冷夏は毎年つづいているわけではなく1834, 1837, 1839年は豊作だった。】
火山噴火が、噴火起源のエーロゾルの大気中滞在時間よりも長い時間スケールの寒冷な天候をもたらす可能性はあるが、それにはおそらく海洋 (海洋のうちでは表層) のエネルギー蓄積量の変化が関連するだろう。そのような海洋の変化から天候年々変動への影響もありそうだ。現代の観測によれば、エルニーニョ・南方振動 (ENSO) のエルニーニョ状態のとき、日本では、冬は暖冬、夏は冷夏になりやすい。かならずしもENSOを介するものにかぎらず、海洋の状態を介して、火山噴火が地域によって暖冬をもたらすことはありそうだ。
別の問題として、火山噴火には、グローバルな天候への影響のほかに、地域的な影響があるはずだ。[2018-04-14 火山噴火が地域規模の天候・環境におよぼす影響という問題] ですこし論じた。天明のききんには、浅間山の噴火の対流圏エーロゾルの影響が、おそらく噴火としては規模がおおきいアイスラン ドの Laki の噴火の成層圏エーロゾルの影響よりもおおきかっただろう。1831年の噴火がほんとうに千島列島でおきたものならば、日本には地域的な対流圏エーロゾルによる影響もあっただろう。
しかし、そのあたりの因果関係の解明は、わたしの手がとどくところから遠い。書きかけの論文は、そこまで話題をひろげないでまとめたいとおもっている。
文献
- 有薗 正一郎 (Arizono, S.), 1989: 近世農書が言及する地域の範囲について。地理学報告 (愛知教育大学), 68: 117-120. https://aue.repo.nii.ac.jp/records/6908
- C. S. Garrison, C. R. J. Kilburn, S. J. Edwards, 2018: The 1831 eruption of Babuyan Claro that never happened: Has the source of the one of the largest volcanic climate forcing events of the nineteenth century been misattributed?, Journal of Applied Volcanology, 7: 8. https://doi.org/10.1186/s13617-018-0078-9
- C. Garrison, C. Kilburn, D. Smart, S. Edwards, 2021: The blue suns of 1831: Was the eruption of Ferdinandea, near Sicily, one of the largest volcanic climate forcing events of the nineteenth century? Climate of the Past, 17: 2607–2632. https://doi.org/10.5194/cp-17-2607-2021
- W. Hutchison, P. Sugden, A. Burke, P. Abbott, V.V. Ponomareva, O. Dirksen, M.V. Portnyagin, B. MacInnes, J. Bourgeois, B. Fitzhugh, M. Verkerk, T.J. Aubry, S.L. Engwell, A. Svensson, N.J. Chellman, J.R. McConnell, S. Davies, M. Sigl, G. Plunkett, 2025: The 1831 CE mystery eruption identified as Zavaritskii caldera, Simushir Island (Kurils). Proceedings of the National Academy of Sciences U.S.A., 122: e2416699122. https://doi.org/10.1073/pnas.2416699122
- Akitune Imamura, 1945a: Land deformations associated with the recent Tôkaidô Earthquake. Proceedings of the Japan Academy, 21: 193-196. https://doi.org/10.2183/pjab1945.21.193
- Akitune Imamura, 1945b: Effects of volcanic dust on solar and terrestrial radiations, with special reference to the causes of the Tenpo and Tenmei Famines. Proceedings of the Japan Academy, 21: 382-384. https://doi.org/10.2183/pjab1945.21.382
- Akitune Imamura, 1945c: Supplementary note on abnormal climate as caused by volcanic dust. Proceedings of the Japan Academy, 21: 430. https://doi.org/10.2183/pjab1945.21.430
- 今村 明恒, 1946: 火山噴出塵の太陽及び地球の輻射線に及ぼす影響、特に天保及び天明度の凶作の原因に就て (昭和二十年七月十二日報告). 帝国学士院紀事, 4: 1-16. https://doi.org/10.2183/tja1942.4.1
- 小野 武夫, 1935: 『日本近世飢饉志』。学藝社。[わたしは
まだ見ていない2025-01-04 に大学図書館で見た。] (1987年 有明書房 から復刻版あり) - 積雪地方 農村経済調査所, 1935: 『東北地方凶作に関する史的調査』 (積雪地方 農村経済調査所 報告 第8号)。山形: 積雪地方 農村経済調査所, 124 pp. [読書メモ]
- Michael Sigl, J.R. McConnell, M. Toohey, G. Plunkett, F. Ludlow, M. Winstrup, S. Kipfstuhl and Y. Motizuki, 2015: The history of volcanic eruptions since Roman times. PAGES (Past Global Changes) Magazine, 23 (2): 48-49. (雑誌のこの号) https://pastglobalchanges.org/publications/pages-magazines/pages-magazine/6911