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地域別の選挙結果の分布図について考えたこと

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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アメリカ合衆国の大統領選挙があった。

【その結果としてできる政権がどんな政治をするかについては、また別に考えなければならない。(G. W. Bush大統領のときの共和党の政治が復活するのか、Trump氏の新機軸がどれだけ加わるか、そしてだれがトップにいようと時代とともに変わらざるをえないこともあるだろう。)】

ここでは、おもに、地理情報の専門家でもある立場から気になった、地域別の人々の候補者(または政党)への支持傾向の表現について書く。そして、有権者の意向と選挙結果の関連という観点から、選挙制度などについても少しだけ論じる。

【立場のちがう文章がまざってしまいました。2は社会の一員としての主張、3-5は地理情報の専門にかかわる人としての知識提供や感想、6-7はしろうととしての感想です。】

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本論にはいる前に、情報源について気になるところを述べておく。わたしはここ数日テレビを見ておらず、情報源としては、ネット上、おもにTwitterを見ていた。Twitterの投稿者がリンクしているウェブサイトの記事や図を見たこともある。しかし、わりあい多かったのは、テレビの画面captureだった。

テレビで報道されたことについてネット上で議論するために、テレビの画像を引用することは可能であるべきだと思う。しかし盗用はいけない。何が引用で何が盗用かについての合意ができてほしいと思う。情報の根拠をさかのぼれること(トレーサビリティ)、著作権、情報提供活動の尊重(credit)のどの面からも、出典表示が求められるだろうが、Twitterなどでは字数に限りがあるし、画像の著作権者を確認することは困難だ。「どの局のいつの放送であるかを明示すればよい」といった原則ができるとよいと思う。また、人の顔が出ている画像は、肖像権やプライバシーの考慮が必要かもしれない。これも、たとえば、犯罪被害者や推定無罪の容疑者の顔はだめだが、報道中のアナウンサーや報道の対象となっている政治家の顔ならばかまわない、といった合意ができるとよいと思う。インターネットは世界じゅうつながっているので、どれだけの人のあいだで合意を得るかはむずかしいが、たとえば「日本語圏のTwitterユーザーのあいだの合意を、日本の法律ともTwitterサーバーの置かれているアメリカの法律とも矛盾しないようにつくる」ことが考えられると思う。

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アメリカ合衆国には、民主党共和党の二大政党がある。そして、少なくとも2000年以後、政党支持を地域別に見るとき、民主党支持者が多い地域を青、共和党支持者が多い地域を赤で塗る習慣ができている。

今回の選挙報道では、「ほとんどまっ赤」なアメリカの地図が示された。(州ごとに塗り分けたものでも、州の下の行政区域であるcounty [「郡」と訳されることが多い]ごとに塗り分けたものでも、そうだった。) しかし、実際の得票数は、わずかながら民主党候補のほうが多かったそうだ。州ごとの選挙人を選ぶという選挙制度(そしてその選挙人定数の決めかた)のせいで、正しいとされる手続きに従って共和党候補が当選となったのだ。

投票者のほとんど半分にすぎない共和党候補支持者が、地図上で大部分に見えることには、2つの要因がからんでいる。

ひとつは、多少とも支持者の多いほうの政党の色で、その地区を代表させてしまうことだ。アメリカ大統領選挙の場合、全部ではないが大部分の州で、多数をとったほうの党が全部の選挙人を得る、いわゆる「総どり」制度なので、これは見かけでなく現実の政治のしくみで起こっているシグナルの変換だ。

もうひとつは、地図を塗り分けると、人口にも選挙人数にも比例していない、地図上の面積がかかった形で情報が伝わってしまうことだ。共和党支持者は、人口密度の低いところに比較的に多い (逆に言えば、民主党支持者は都市に多い)。これは、情報を提示する方法によって起こる見かけの問題だ。

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地図の見かけの問題については、いくつかの対策がある。

決まった選挙人の数を示すならば、選挙人ひとりごとに一定の図形を置いて、それを赤や青で塗ればよい。

テレビ報道でも、六角形あるいは四角形のタイルをならべて塗り分けたものがあった。また、地図の各州の形をのびちぢみさせて図上の面積を(どちらか確認していないが)選挙人数か人口に比例させたらしいものもあった。これは、画面上の色の比率と伝えたい数量とを対応させるという目的に対してはもっともな方法だ。しかし、当然ながら地図としてはゆがんでしまう。見る人にとって、図上のどこがどの地域に対応するかを確認することは楽ではない。

地図はゆがめないで、選挙人に対するタイルを面積が小さな州にもおさまる大きさにして、面積が大きな州にもそのタイルを置き、残りは空白にしておく形も考えられる。ただし、画面の画素数がかなり多くないと読みとれないかもしれない。

地域(たとえば州)ごとの支持者の比率を示したいならば、各地域に一定の大きさの図形を置き、その中を塗り分けることが考えられる。W. S. Cleveland (1985) Elements of Graphing Data では、長方形の柱を立ててその中の液体の水位のような形で比率を示す方法を提案している[読書ノート]。わたしはむしろ、円を置いてその中の扇形を塗ったほうがよいと思う。これはわたしが円グラフが適切な表現方法だと思う数少ない場面だ([2012-08-15の記事]参照)。

地域ごとの支持者の数を地域間でくらべられる形で示したいならば、各地域に置く図形の大きさを変えることが考えられる。ただしここで問題は、地域(たとえばcounty)ごとの人口がけた違いのことがあることだ。人口が多いところにあわせると少ないところが見えなくなってしまい、少ないところにあわせると多いところの図形が地図上の地域から大きくはみ出して他の地域の情報を示す図形と重なるだろう。(図形を、球に見えるようなものにして、球の体積が人口に比例するようにすると、いくらかは同時に表現できる数量のけたの幅を広げられるが、読み手の知覚が体積をとらえられるかは確実ではない。)

Twitterで見た画面captureのうちで、たぶんcountyごとの人口にあわせて大きさを変えた円を置いたものを見かけた。ただし「総どり」であるかのように相対的に支持の多いほうの党の色で塗ってしまっていたようだった(もしかすると中間の色も使っていたかもしれない)。ただ、tweetに出典が示されていなかったので、これを追いかけるのはあきらめた。】

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図上の面積の知覚の問題は承知のうえで、地域ごとの塗りわけという表現方法には捨てがたいところもある。

今回の、あるいは過去の(例は2008年だったと思う)アメリカの選挙のcounty別の政党支持の色分けを見ると、大都市や大学のある町で民主党支持者が多いのは予想どおりだが、そのほかに、アパラチア山脈の南東側に青い(民主党支持者が多い)曲線のようなものが見えるのだ。

これに気づいて、「滝線都市」(工業化初期に水力を利用した工業が立地したところ)と対応するのではないか、と考えた人がいた。そうではなくて、黒人の多いところであり、それはかつてサトウキビ栽培に奴隷がつれてこられたところであり、その農作物の立地は地質条件によるのだ、という説も読んだ。

アメリカならばさまざまな地理データが公開されているから、因果関係はともかく相関を確かめることはできそうだ。ただし、地図を塗り分けるという表現方法では、複数の情報を細かい位置に注意しながら同時に見るのは楽ではない。対話型で、読み手が指示して表示対象変量や場所や縮尺を切りかえながら見ることができれば検討できそうだ。GIS (地理情報システム)のソフトウェアでできそうだが、わたしは自分がそれに慣れる時間をとれそうもないのでまだ踏み切れない。

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アメリカ合衆国の大統領選挙は、選挙人を選ぶ方式であり、選挙人の定数は上下両院の議員数で、下院はほぼ人口比例だが上院は州ごとに一定人数だから、有権者あたりの重みが人口の少ない州に多めになる。

これが連邦国家として発足した事情によることはわかるのだが、今では選挙人の名まえなど気にせず大統領候補者に投票しているのだから、単純な直接選挙にしたほうがよいのではないか、と、外国のことながら、思ってしまう。

直接選挙にした場合の欠点として思いあたるのは、もし接戦で数えなおしが必要になると全部の州で作業が必要になることぐらいだ。

(これは今回の選挙の民主党側からの負け惜しみではないつもりだ。)

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1970年代前半の中学・高校生のころ、学校の授業からだったか読んだ本からだったか忘れたが、「小選挙区制だと二大政党体制になる。二大政党体制だと両政党の政策は似たりよったりになりがちだ。」と習ったおぼえがある。

しかし、2000年ごろ以後のアメリカを見ていると、二大政党体制であることは変わらないのだが、両政党の政治家のとなえる政策が、反対党とのちがいを強調することのほうが多くなっていると思う。とくにG. W. Bush政権は「保守」(そのうちに、わざと雑な表現をすると、キリスト教原理主義市場原理主義という異質なものを含むのだが)であることを、それに対抗する民主党の政治家は「リベラル」(説明しにくい現代アメリカ独特の意味)であることを強調していたと思う。(今回は、Trump候補が従来の保守とはちがう方向だが中央から離れたが、H. Clinton候補は中央に近づいた、という印象があるのだが、これが適切な認識かは自信がない。)

二大政党の政策が近くなるか遠くなるかは、偶然にすぎないのだろうか? 何か事情が変わったのだろうか? たとえば、「人口のちょうど半分を満足させるような政策を設計すること」が、昔はできなかった(ので、政党はもっと多数の人びとを満足させるような政策を考えた)が、社会的技術が発達してできるようになってしまった、ということなのだろうか?

また、日本の場合は比例代表制を併用しているからかもしれないが、そうでないイギリスでも、小選挙区制なのに二大政党体制ではなく、一強多弱になっていると思う。

むかし習ったとおりでないことはわかる。ではどう考えを変えたらよいかはよくわからない。