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長期大学 -- 子育てと学業を両立できる場を

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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数か月前に、ある短大(短期大学)が、学生の募集を停止するというニュースが流れた。【その短大が公開している情報にはまだその件は出ておらず、2017年4月入学の学生募集は今までどおりするようなので、報道が正しいとすれば2018年入学の学生を募集しないということなのだろう。その短大が、学生がいなくなったら単純に廃止されるのか、何かの教育機関として生き残るのかも、わからない。】 ここではその特定の短大のことではなく、それをきっかけに、日本全国の教育に関する問題を考える。

短大の廃止は、30年以上前からいくつも聞いているが、事実上4年制大学に改組される場合が多かった。しかし最近は、4年生大学の需要にも限りが見えてきて、単純に廃止ということもあるようだ。

おそらく、高卒後2年勉強して就職あるいは専業主婦になるという人生コースの希望者が減ったのだろう。教養を得たいならば4年制大学がよい、職業向きの(大学卒を要求されない)資格を得るためならば専門学校がよい、ということなのだろうか? (未確認だが)

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短大の需要が減った代わりに、どんな教育機関が求められているのかを考えてみたくなった。ふと、「短期大学の反対」ということば遊びのような発想で、「長期大学」と言ってみたら、そういうものがあってもよいような気がした。

短期大学は、標準修業年限が4年の学士課程[注](いわゆる4年制大学)に対して、標準修業年限が短いものだ。その意味ならば、医学部などの標準修業年限6年の課程を「長期大学」と言うことがありそうだが、実際にはそう言う習慣はない。学士課程と大学院で同じところにかよい続けることに関する冗談表現として「長期大学」という表現はありうる(わたし自身、使ったような気がする)が、今はそれは考えないことにしよう。

  • [注] 英語でいうundergraduate courseを、大学院の修士課程・博士課程と同様に、修了すると学士になれるという意味で、「学士課程」と呼ぶことにする。日本では「学部課程」ということが多いようだが、大学内の組織名が「学部」とは限らない。その多くは標準履修年限が4年なので「4年制大学」とも呼ばれるが、ここでは履修年数が標準とちがってくる学生を念頭に置きたいのでこの表現を避けたいのだ。

「短期大学」は「短大」と略されるが、「長大」は、「長大な」という形容語(学校文法の品詞は形容動詞)でもあるし、長崎大学などの省略形としても使われているので、「長期大学」の省略であると考える人は少ないだろう。

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【この節の話題は、このブログ記事のほかの部分の話題からははずれるのだが....】

短期大学という制度には、もしかすると、別の可能性があるかもしれないと思う。

大学の学士課程では、専門教育に進む前に、教養教育、liberal arts教育、あるいは専門共通基礎教育を受けるべきだとされることがある。(専門教育と並行して受けるべきだとされることもあるが。)

この教養教育などの部分を独立させて短期大学とすることは考えられるだろうか。もちろん、専門課程をもつ大学が、編入や単位認定を認めることが前提となる。むずかしいのは、短大は1年だけというわけにはいかないだろうし、専門課程のほうも2年間では短すぎると感じられるだろう。もし、短大に2年、専門課程に3年、合計5年かけて学士をとることが、4年一貫の学士課程よりも好まれるならば、このような「大学予科的な短大」が成り立ちうると思う。

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別の話題の発端として、日本の少子化がある。

現政権の政策は、女の人に、出産に積極的になってほしいと希望しているが、女性労働者のキャリアパスを確立しようとしているのでもなく、夫がかせいで妻は専業主婦という形を奨励しているわけでもない。無理な要求になっている。

現政権が(有村氏が少子化対策大臣だったころ)、若いうちの出産を勧めるためにつくった資料のうちには、「妊娠しやすさ」のグラフがあって、22歳にするどいピークが示されていた。これは、産婦人科学の専門家が提供したものだが、その材料となった学術文献の代表性も適切でなく、またその解釈もまちがっていたことが指摘されている(次を参照)。

実際には、生物的な妊娠しやすさの年齢へのよりかたはもっと鈍いものだ。また、妊娠件数には、生物的要因に劣らず社会的要因が働いている。

それにしても、20歳代は身体的には妊娠に適していると考えられる。現代の日本でその世代の出産が少ないのは、社会が、子どもを育てながら生きていく人にきびしくできているからだろう。

現代社会では、十代(後半)での妊娠・出産は、身体的よりもむしろ社会的理由で、望ましくないとされる。しかし、十代の妊娠がなるべく起こらないような社会にすることと、十代で妊娠した人をあたたかく受け入れることとは、両立しうるはずだし、両立させるべきだ。高校は生徒が出産することを想定しないでつくられていてもよいのだと思うが、出産した生徒が高校教育をまっとうできるような個別対応は必要だろう。
【なお、数か月前に話題になった件は、妊娠した生徒が、退学をせまられたのではなく、体育実技を履修できていないことを理由に留年となったということだった。このような場合、標準年限で卒業を認めるのとどちらが教育機関として責任ある態度なのかの判断はむずかしいが、病気・事故で実技ができない場合に比べて不利にすべきではないと思う。】

大学生ならば、まっすぐ進学しても18-22歳であり、もっと年長の人もいる。大学生の妊娠・出産については、奨励するかどうかはともかく、通常のこととして受け入れる社会になるべきだろう。

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関連するがいちおう別の話題の発端として、女の人の、労働者として、また専門職としての、キャリアと、出産・育児との兼ね合いの問題がある。

多くの職場で、就職してすぐの時期には産休をとりにくい。あるいは産休をとる可能性のある人が採用されにくい。

また、今の日本社会には任期つき雇用が多い。任期つきの雇用条件は、育児休業がとれないことが多く、産休はとれる場合もあるが、任期が延長されず、労働期間の中断が不利益になる。

大学院を出ると学部卒よりも年齢が高くなる。博士修了ならば、標準年限でまっすぐきても27歳だ。専門を変えたりいったん就職したりしてもっと年数がかかっている人も多い。ところが、大学院修了後に最初につける職はほとんど任期つきのものだ。

学生の出産・育児も楽ではないが、就職後よりは学生のうちのほうが相対的には楽、という話を見聞きすることがある。経験談として語る人も、後悔している人もいる。個別事例の主観的報告なので、一般的にそうかどうかはわからないが。

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学生が子育てしながら勉強する場合のうちで、子どもを保育所にあずけてフルタイムで働く人と同様に、子どもを保育所にあずけてフルタイムで学生をする人に対しては、大学の制度を大きく変える必要はない。

まず、学生という身分で子どもを保育所にあずけることが、希望どおりできるようにすればよい。(保育所が不足していればつくること、保育所の制度を学生に適応させることだ)。

そのほか、大学の制度のあちこちを、出産・育児に適応させる必要はあるだろう。これは職員については必要になっているのだから、それを参考に考えていけばよいと思う。産休その他の母性保護の制度が必要かもしれない。出産などによって履修できなかったことを怠慢のような悪いこととはみなさないのだが、履修したとみなすわけにはいかないだろう。追試験や補習によって追いつけるか、留年になるかは、一律に扱うのではなく、授業の内容と、当事者の体調やタイミングを個別に配慮する必要があるだろう。大筋は病気や事故による欠席・休学と同様だと思う。

ここまでは、特別な大学だけでなく、どの大学でも考えてほしいことだ。

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子育てしながら勉強する学生のうちには、1年あたりの勉学時間数をフルタイム学生なみにすることはむずかしく、年数をふやすことによって履修したいと考える人も多いだろう。2年制短大相当の課程を3年、4年かけて、学士課程(4年制大学相当)を5年、6年、7年、8年かけて卒業したい、と考えるのだ。

そういう学生を積極的に受け入れて教育していこうとする大学があってよいと思う。それを仮称「長期大学」と呼んでみたい。子育て中の学生は、子どもの父親のこともあるので、男女共学にすべきだ。しかし、母親が多いだろうから、ここではおもにその場合を想定して考えてみたい。女子短大からの改組の行き先として、このような特徴をもつ大学があってよいのではないかと思うのだ。

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(子育ての件は考慮されていないが)パートタイムの学生を想定した学校・大学は、従来からある。(今は少なくなったので、過去形で「あった」といったほうがよいかもしれない。)

高校ならば、「定時制」と言われる。その多くは、昼に勤務している人向けに、夜に授業をする。しかし、少数ではあるが「昼間定時制」もあった。昼番夜番交代勤務の人向けに、勤務と両立するような時間割で授業をしていた。

大学にも、(「定時制」とは言わないが) 夜間コースがあった。昼に勤務している人向けで、標準履修年数がフルタイム学生向けのコースより長いことも多かった。これは(短大と同様に)減っている。

減っているひとつの要因は、1980-90年代に、多くの大学が都市の中心部から郊外に移転して、大学と勤務先の両方にかよえる場所が少なくなったことだが、この要因は、最近逆転している。

もっと大きな要因は、雇用の形の変化だ。若者のフルタイム雇用の機会は減り、もしあれば長時間勤務になりがちで、授業が夜であっても通学が困難になった。そして、若者の給料が比較的よいパートタイム雇用の機会は夜に多く、夜間コースの授業と重なってしまう。

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子育て中のパートタイム学生を積極的に受け入れる「長期大学」にはどのような態勢が必要だろうか。

まず、パートタイム学生が、授業を受ける時間だけでなく、学生どうしや図書館を利用して勉強する時間なども、子どもを保育所にあずけられることが必要だ。

また、学生が妊娠中や乳幼児をかかえている場合、本人や子どもの健康状態によって、勉学にさしつかえることもあるだろう。それは個人差が大きく、本人でも予測困難なこともあるだろう。そこで、個人ごとに、個人の事情と受けている教育課程の事情を考慮して、履修の時間配分を考え、それを随時修正することが必要になる。「長期大学」はそれを支援する職員、いわば「履修プランナー」を配置するべきだ。その仕事は、介護保険制度のケアマネジャーが要介護者の状態変化に対応してケアプランを修正するのと似たところがある。

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このような「長期大学」ができれば、子育て中ではないパートタイム学生もやってくるだろう。(平日毎日昼間勤務とはちがった形の)勤労学生、高齢者の介護をする学生、本人の健康上の理由でフルタイム出席は困難だがパートタイム出席なら可能な学生などが含まれるだろう。

長期大学は、パートタイム学生に特化するのではなく、フルタイム学生も受け入れ、彼らにとっても有意義な教育を提供する大学をめざしたほうがよいと思う。

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長期大学では、在学年数が標準履修年限よりも多くなるのは当然のことだ。監督官庁にも、それを考慮して評価してもらわないといけない。

しかし、大学の施設の利用や、交通・ソフトウェアなどの学生割引などの権利を確保するだけで、勉学が進まない学生に、長く在籍を認めるのもまずい。

従来の大学では、留年年数・休学年数それぞれに上限を決めて、それを越えると退学(除籍)とすることが多い。
【なお、「休学中でないのに履修単位数が(ルールで決められた数よりも)少なければ強制退学、ただし(1年以上後に)希望があれば審査したうえで(入学試験を受けなおさなくても)復学を認める」といった制度をもつ大学もあった。】

子育てや勤労などの事情のあるパートタイム学生に対しては、規定をもう少しくふうする必要があるが、9節に述べたように大学職員が関与して履修プランをつくるのならば、それを基準に勤勉度を評価することが可能になるだろう。

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長期大学の費用はどのようにまかなうことが可能だろうか。

他の大学と同様に、高等教育行政から、公立大学ならば運営交付金、私立大学ならば補助金をもらうことができるだろう。(ここで、標準履修年限で卒業する学生が少ないことを負の評価にならないようにしてもらう必要がある。) また、子育て支援あるいは少子化対策の政策からの資金を少しもらえると思うが、それはおもに保育所に向けられるだろう。

所在地の自治体が、長期大学があることでメリットがあると認めれば、自治体が設置主体になることや補助金を出すことがあるかもしれない。しかし、学生とその子が住民登録することによって、自治体の社会福祉政策や社会インフラ政策などの支出がふえるが、税収がふえないのでは、歓迎されないだろう。

大学が地域に知識を提供することによって収入を得ることができるとよいが、それは教員集団が持っている能力と地域の需要がうまく合った場合に限られるだろう。

学生とその家族が費用の大きな部分を負担することが必要だ。子育て中の学生自身の経済的能力は小さいことが多いだろう。学生の夫や親が、妻や子が勉学できることを高く評価し、1年あたりふつうの大学と同様の授業料を、多い年数ぶんだけ払ってくれるならば、大学は成り立ちそうだ。

学生とその家族が求めるものが何かを知って、大学はそれを提供できるように努力することになる。

  • 勉学できること自体であれば、授業内容の充実、講義(のうち可能なもの)の寮などへの中継や録画利用を可能にすること、などだろう。
  • 就職可能性であれば、国家資格や、多くの職場で求められるスキルの教育などだろう。
  • 高度な専門教育に進めることであれば、多くの専門の基礎となるスキルの教育やliberal arts型教育だろう。ただし単独の大学で学士修了レベルまで教えられる分野は限られるだろうから、中途で他大学に移る学生が多くなることを覚悟する必要があるだろう。(中退者が多いと見えるとうまくないが、学生の大学間transfer (転学)が複数の大学が共同で顧客の需要にこたえる活動と認められるべきだと思う。また、学士課程と短期大学士または準学士の課程の両方をもつ大学ならば、前者から後者にtransfer (課程変更)して卒業という形をとることもできるとよいと思う。)

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学生とその家族が、学費・住居費・保育料を確実に払えればよいのだが、それがむずかしいことも起こるだろう。

仮に入学時にその条件を満たしている人に限ったとしても、家族の死亡や病気、パートナーとの別離など、条件の変化が起こりうる。(たとえば、パートナーも学生だったが、本人よりもさきに就職して遠く離れることになって、カップルとして続かなくなってしまう、ということはありがちだろう。)

また、入学時にすでに乳幼児をかかえていたり妊娠している学生は、この大学を志望する意志が強いだろうし、設立趣旨からは歓迎すべき学生なので、初年度の学費納入は要求できても、卒業までの学費負担見こみを示させるのは酷だろう。

慈善的対応には限りがある。学生自身に働いてもらわないといけない。子育てと労働をすると、勉学に向けられる時間は短くなるが、やむをえない。課程卒業までには、勉学と子育てだけの学生よりもさらに年数がかかるだろう。勉学を続けても残念ながら卒業をあきらめる場合もあるだろう。しかしそのような経歴ならではの特徴をもった卒業生を出せることもあるだろう。大学として、そのような学生への対応が必要になる。履修プランナーが継続意欲を判断し、可能なレベルで履修を続けるように相談にのるのだ。(監督官庁に、そういう学生をかかえていることで大学の評価を低くしないように配慮してもらう必要もある。)

大学自身というよりもそれを含む組織が、働きたい学生に、学業と両立しやすい労働機会を提供するのがよい。大学や保育所から移動する時間が短い職場や、大学で学んだスキルが役だって労働時間の割に給料がよい仕事が望ましい。

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学生のパートタイム労働、大学(を含む組織)が収入を得る道、大学の卒業生の進路、いずれにしても、この長期大学の特徴を出せそうな職種を、いくつか考えてみる。

まず明らかなのは保育士だ。大学に関連して保育士の需要があるし、保育について学びたい学生が多いにちがいない (そのすべてが職業保育士志望ではないが)。意欲と適性のある学生には、短大相当の課程で保育士資格をとって、保育士として働きながら学士課程に在学してほかのことを学ぶ、という履修計画を可能にできるだろう。ただし、資格をもった人がローカルな保育士の需要よりも多くなって希望者が職につけない可能性もある。

長期大学が特別に強いわけではないが、もしかしたら強くなりうる職能として、コンピュータへのデータの入力・点検があると思う。大学でパソコン操作のスキルだけでなく内容に関する基礎知識をも得ていることを生かすことでデータの品質が高くなるようなものを、大学の関連組織で引き受け、学生を雇うのだ。これは他の大学でもできることだが、長期に続ける人がいることが、長期大学の強みになりうる。しかし単価をあまり高くすることは困難なので、大学関連組織の収入の大きな部分をになうことは期待できないと思う。

履修プランナーは、新しい職種で、この大学で養成しないといけない。もし、他の大学にも類似の職種の需要があれば、この大学が人材を供給できる可能性がある。しかし、顧客個人と学問内容と大学の制度という複数の条件をにらんで履修プランをたてることは、適性のある人が限られるだろうし、実務でのトレーニングが必要だろう。この職種の人の養成は、学生への教育ではなく、職員の能力開発として考える必要があるだろう。ただし、学生として履修指導を受けた人のうちから指導者になろうという意欲をもつ人が出てきやすいという関連はあるだろう。

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長期大学の運営、働く必要のある学生の生計、いずれも、支出に見合った収入を得るのはむずかしそうだ。善意の寄付(喜捨)か、政策的な公共資金が、継続的に得られればよいのだが。