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天皇ビデオメッセージをきっかけに考えたこと

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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2016年8月8日、天皇のビデオメッセージが放送された。わたしは放送をきいていないが、NHKのウェブサイトに出た文章を読んだ。

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わたしは、日本国憲法の理念(だとわたしが思うもの)に基づいて、天皇制は無理のある制度であり、最善は憲法改正による天皇制廃止、次善は空位状態にすること(たとえば退位を可能にするがそれに伴う皇位継承を決めない特別法を成立させること)だと思っている。しかし、わたしのような者がそんなことを言っても実現につながる現実みはない。現実性のある案は、現在の天皇に関する制度から連続性のある形で、無理なところを減らすような変更だろうと思う。

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日本国憲法のもとで、天皇には政治にかかわる権限がない。天皇に関する制度を変えることは明らかに政治的なことである。天皇天皇に関する制度について意見を言うことも憲法違反ではないかという疑いはもっともだ。

しかし、現憲法のもとでの天皇は、(実定法上はちがうだろうが法の理念からすれば)あきらかに労働者だ。労働者が自分の労働条件について意見を言う権利は認められるべきだ。現実の職場では、制度を決める権限は雇用主にあって、労働者にはそれを認めて雇われるか認めず雇われないかの選択しかないことが多いだろう。天皇の場合も、制度を決めるのは雇用主に相当する機関としての国、具体的には国会の権限だ。しかし労働者の意見は考慮されるべきだろう。天皇の場合、同時にその職にある人はひとりだけなので、該当する労働者を一般的に扱うことと、個人を特定して扱うこととの区別がむずかしいという問題はあるが。

労働者というとらえかたにこだわらず少し一般的に言えば、国の機関としての天皇が発言できることは限定されている。しかし、天皇という職をつとめている個人の発言が必要なこともあり、今回のメッセージの「個人として」というのはまさにそれなのだと思う。

職務の範囲はちがうけれども、どのような職についている人にも、職務上の発言と、個人の発言がありうるだろう。大学の学長をしている教授の場合ならば、学長としての発言、ひとりの教授としての発言、個人としての発言を区別する必要があるだろう。

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人の組織は、制度があまりうまくできていなくても、現場の労働者の努力で、なんとかまわっていることがある。日本ではとくにそういうことが起きやすい、と言われることがある(ただし外国と比べてそうなのか確認していない)。いわゆる「ブラック企業」(この用語は不適切だという考えもあるがひとまず「いわゆる」つきで使っておく)や「やりがい搾取」の問題も、そのたぐいと考えることができる。

そういう制度の不備について、その職についている労働者の経験をふまえた意見は貴重だと思う。ただしそれは、必ずしも労働者の意見どおりに制度を変更するべきだということではない。制度を変える権限のある人が、制度の欠点を検出する手がかりとして労働者の経験を尊重したうえで、制度本来の趣旨にそって改善策を考えるのだ。

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今回の天皇のメッセージには、天皇が退位できるようにしたほうがよい、という意見が含まれている、と見てよいだろう。

その理由のひとつは、現職の天皇が亡くなることの国民生活への影響が大きくなることへの心配だ。昭和天皇が危篤になってから、マスメディアの放送内容や文化・スポーツ行事などに対して、非常事態として「自粛」が当然とされることが何十日も続いた。これは、二つのちがった体制を生きた昭和天皇に関する特殊事情もあると思う。しかし、現在の憲法になってからほかの例がないので、公的なことについては先例を踏襲したがる日本のいろいろなレベルの組織が、天皇の危篤のときはこうするものだと決めてしまい、大部分の国民は自分の意志と関係なく非常事態に何十日も(いつまで続くか予想できないまま)まきこまれるおそれがある。自分の制御できないところでそのようなことの原因者になりうる当事者が、それを予防したいと思うのはもっともだ。

第二は、公務を、能力のおとろえた高齢者がいつまでも続けるよりも、能力が充分ある次の世代の人に引き継いだほうがよい、ということだ。これは、天皇の件に限らず、いろいろな職種について生じる問題だろう。事業の目的を達するための経営の観点と、労働者の観点を含めて、制度設計を考えるべき問題だろう。

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天皇のメッセージから示唆される対策は、制度を大きく変えるのではなく、皇室典範という法律の改正か特別立法によって、退位とそれに伴う皇位継承について決めることになるのだろう。ただし、退位後の、もと天皇だった人の地位について、いろいろな立場から検討して、制度を設計することが必要だろう。

(わたしが案を述べるとすれば、オランダにならって、退位後は「親王」にもどる、というのがよいと思う。そうすれば法律上は新たな地位名を規定する必要はない。ただし、葬儀については、天皇経験者と他の親王とを区別する必要がありそうだ。)

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たとえ「個人として」とことわっても、日本国憲法のもとで天皇である人としては、天皇に関する現在の制度を大きく変えることは示唆できないだろう。

一方で、天皇制の廃止を示唆することがなかったのは、この事情からは当然だ。

他方で、明治憲法にもどる方向の、天皇に政治的権限をもたせるようなことを示唆することがなかったのも当然だろう。

今度のメッセージは国事行為ではないが、「内閣の助言と承認」に準ずる政権の意志がはいってはいると思う。ただし、安倍政権の意志決定にかかわる人々の考えも一枚岩ではなく、明治憲法にもどる方向の憲法改正をめざす人もいるが、日本国憲法の体制でやっていくべきだと考える人もいるのだろう。今回のメッセージが出たことは、憲法改正一般に対する効果はよくわからないが、天皇に関する復古的改定を少し遠のけたように思う。

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皇室典範に規定された葬儀や即位の儀式を別として、「皇室のしきたり」による行事は、国の機関としての天皇の公務ではない私的なことだ。そのような分離によって、皇室が神道の宗教行事をすることと、国の政教分離とを両立させているのだ。だから、天皇に関する国の制度を考えるうえで、「皇室のしきたり」は直接には考慮するべきではない。しかし、現行の国の制度に(わたしから見れば残念なことに)天皇世襲制が含まれてしまっているので、労働者として天皇に働いてもらうために天皇の家庭の事情に配慮する、という意味で、間接的に考慮に入れる必要がある。