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「ケッペンの気候区分」を引退させてそれに代わるものを考えよう (気象学会予稿)

[2015-01-17の記事「『気候区分』をたなあげにして、気候を連続量の集まりでとらえよう」]と基本的に同じ趣旨なのだが、日本気象学会の2016年秋の大会のセッション「気候形成の統合的理解 --気候科学における基礎研究の推進と地学・地理教育との連携--」での発表を申しこんだので(そこで実際に発表することになるかは学会の決定待ちだが)、その予稿の内容をここにも置く。ただしHTMLリンクは予稿にはなくここだけのものである。結論はひとつにしぼられず、4, 5, 6節に分散している。

【[2016-10-21補足] 10月27日(木)午前のC会場のセッションで発表することになった。ただし、気象学会ウェブサイト http://www.metsoc.jp に出ている「プログラム訂正のご案内」によれば、このセッションの講演の順序は『天気』9月号に出たものから変わっている。わたしの発表は講演番号C212となった。】

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- 1. 確かにある需要 -
地球上の地域によって、気候が、そのおもな要素をあげれば、寒暖、乾湿、それらの季節的配分が違う。それを、数量で表示するだけでなく、たとえば「熱帯・温帯・寒帯」「乾燥地帯」などの類型としてつかみ、伝える必要がある。

- 2. ケッペンの気候区分 -
日本では、中学や高校の地理で「ケッペンの気候区分」が教えられており、気候の類型としてこれが持ち出されることが多い。Wladimir Köppen (1894-1940)によるものだが、分布図作成はRudolf Geiger (1894-1981)もかかわった。またGlenn Trewartha (1896-1984)による修正を受けたバージョンもある1954年までの気候区分図はKöppenのものの修正と言える(1968年以後のものは大分類の変更がある)。日本語による紹介としては矢沢(1989)のものがよいだろう。[この段落2016-11-01修正]

各地点について、月平均気温と月降水量の平年値という24個の数値を与えれば、一定のアルゴリズムによって気候型が定まるので、地理に関する情報処理の例題ともなるが、気候の理解につながっているかは疑問に思う。

- 3. 「ケッペンの気候区分は気候区分ではない」-
1970年代ごろ以後、気候学の専門家はケッペンの気候区分を重視しないことが多い。その極端な例は鈴木(1975)である。ケッペンの気候型の境界は、植生の型(その主要構成種の生活形)の分布の境界を気候変数で近似したものだ。鈴木は気候と植生との(また人間社会現象との)関係を論じかったのだが、それには、気候に内在する(植生と独立な)特徴による気候区分を求めることが必要だと考えたのだ。 鈴木が有効な気候区分として考えたのは、世界の規模ではAllisow Alisov (Alissow)による前線帯(気団の境界)の位置とその季節的移動に基づくもの、日本の規模では鈴木自身による冬の季節風時の降水の有無に基づくものだった。

- 4. 地域区分は必要ではない -
しかし、気候に内在する特徴は、必ずしも地域区分に使えるような不連続性をもっていない。そして、気候と植生や人間社会現象との関係を考えるには、気候を、区分でなく、気温や降水量などの連続量のまま扱うことも可能だ。

- 5. 気候に内在する要因による区分の候補 -

  • (a) 大気大循環の観点からは、地球を、ハドレー循環に支配される領域と温帯低気圧(傾圧不安定波)に支配される領域に大別できる。中村ほか(1986)は、その境界が季節とともに移動するという観点による地域区分を示している。
  • (b) 無降水の状況がどのくらい長く続くかによる地域区分が可能かもしれない。ただしどのような期間で無降水を認定すべきかの問題が残る。 Eguchiほか(1986)は世界のある1年間の旬単位の無降水域の分布を記載した。
  • (c) 陸面の雪氷の有無とその季節変化による地域区分が可能かもしれない。

- 6. 植生分布を制約する気候条件 -
植生分布を制約する気候条件については、ケッペン以後多くの研究がある。Masuda (2000)はその時点で知られているものの整理を試みた。研究者によって指標とする変数が違うが、「利用可能なエネルギー(正味放射または生育期の積算温度)」「利用可能な水分」「冬の温度」とまとめられるだろう。光も重要なはずだが野外ではエネルギー要因と区別困難である。「冬の温度」は生物体内の水の凍結と低温による反応速度低下とを区別すべきかもしれない。

ケッペンについては、科学史的な観点で、この問題に挑んだ先駆者としてとりあげるのが適切だと思う。

文献