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気候工学(意図的気候改変)を正当にこわがる(?)

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地球温暖化の対策としての意図的気候改変(いわゆる「気候工学」あるいは「ジオエンジニアリング」、以下便宜上「気候工学」という表現を使う)については、このブログでたびたび話題にしてきた。今度は個別の論文をとりあげて紹介・論評しようと思ったのだが、その前に、序論的なことを述べたくなった。

寺田寅彦のことばに、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、 正当にこわがることはなかなかむつかしい。」というものがある ([別ページ]参照)。これは、リスク、つまり不確かな危険があることがらについて、共通に言えることなのかもしれない。

気候工学に対する人々の感覚も、「こわがりすぎる」ものから「こわがらなすぎる」ものまで、いろいろな位置の人がいるように思う。

それは、地球温暖化(人間活動起源の二酸化炭素などが原因となる意図しない気候改変)をどれだけこわがるかと関係がある。しかし単純な相関関係ではない。原因はともあれ気候が変化することをこわがる感覚からは、地球温暖化をこわがることと気候工学をこわがることとには正の相関が生じそうだ。他方、気候工学の必要性を感じることも、地球温暖化をこわがることと正の相関がありそうだ。必要性を感じることはこわさを抑制するとは限らないが、もし抑制するならば、地球温暖化をこわがることと気候工学をこわがることとには負の相関が生じそうだ。

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気候工学に対する人々の態度を、わがりすぎ(K)からこわがらさすぎ(N)まで、4つに大別することを試みてみる。(ここでは「研究」に関する態度の違いに注目した。いわゆる「ガバナンス」に関する違いもあるが、ひとまず省略している。)

  • K: 気候工学の実施だけでなく、それを研究することにも反対する。
  • L: 気候工学の実施には反対するが、その効果や環境影響を研究することには賛成する。
  • M: 気候工学を将来実施できるように技術開発をすべきだとする。ただしその効果や環境影響について慎重な研究が必要だとする。
  • N: 気候工学の実施に向けてまっしぐらに技術開発をすべきだとする。

このKをこわがりすぎ、Nをこわがらなさすぎと決めつけてはまずいと思う。彼らが正当である可能性もあるのだ。しかし、現に人々の意見がK, L, M, Nにわたって分布しているときに、国として、また国際社会としての政策を決めなければならないとすると、強硬なKやNの人にも主体的に参加してもらった議論の場をつくるのはむずかしい。最終的な意志決定ではKとNの人にも(妥協になるだろうが)了解してもらわなければならないが、その前の立案は、LとMの人々が共同で、具体的な技術評価や環境評価もおこないながら、合意できる範囲をさぐっていく必要があるのではないかと思う。

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自然科学者のうちで、2節で「L」とした態度の代表的な人として、Alan Robock 氏 (アメリカのRutgers大学教授、大学内の個人ウェブサイト http://www.envsci.rutgers.edu/~robock/ )がいる。[2015-11-11の記事]で紹介したように、火山噴火が気候におよぼす影響を研究している人でもある。

気候工学のうちの太陽放射改変、とくに成層圏にエーロゾルを入れて太陽光の反射をふやす技術について、実施には反対すると述べている(Robock, 2012)。また、野外実験にも消極的である。

しかし、シミュレーションによる研究には積極的だ。世界の多数の気候モデル研究者が条件をそろえて数値実験をおこなう共同研究プロジェクト GeoMIP (geoengineering model intercomparison project)の主要メンバーのひとりであり、プロジェクトのウェブサイト http://climate.envsci.rutgers.edu/GeoMIP/ を提供している。

太陽放射改変については、地域ごとの気候に望ましくない変化が生じることを心配する。とくに「アジアモンスーンの雨が減り、かんばつのおそれがある」という議論をよくする。しかし、アジアモンスーン研究者でもあるわたしから見ると、実際にはアジアのうちでも地域によって乾湿の変化はさまざまだろうと思う。「ところによっては雨が減るだろう」ということならばもっともだ。

しかし悲観的なことばかり言っているわけではない。GeoMIPの条件で農業生産の変化をシミュレートした研究では、地域ごと、作物ごとに見ると、収量が減るところもあるがふえるところもあることを示している。(ただし、数値モデルや数値実験の設定に依存した結果なので、現実にその地域その作物について安心していいわけではないという注意もする。)

文献

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自然科学者のうちで、2節で「M」とした態度の代表的な人として、David Keith氏 (アメリカのHarvard大学教授、研究室ウェブサイト http://www.keith.seas.harvard.edu/ ) がいる。その主張を一般の人向けに書いた Keith (2013)の本がある。気候工学とされる技術のうち、大気からの二酸化炭素回収隔離については、ベンチャー企業の発起人としてかかわっている。他方、太陽放射改変については、学者としてかかわっている。

本の題名にも現われているように、気候工学の内容に立ち入った研究者のうちでは、「推進派」ということができるだろう。成層圏エーロゾル注入の基礎的野外実験については実際に推進しようとしている。ただし、気候工学がリスクをともなう技術であることも認識しており、手ばなしの推進派(わたしの分類の「N」の人)が政策決定を主導するようになったらこわいと考えている。

2010年から毎年、ジオエンジニアリングあるいは気候工学に関して、多くの国から若手研究者などを集めた「夏の学校」が開かれてきた。Keith氏はその発起人のひとりであり、2013年にはその本拠地であるHarvard大学で開催している。このような活動は、わたしの分類でいう Lの人とMの人の共通認識ができることを目指したものと言うことができると思う。

文献

  • David Keith, 2013: A Case for Climate Engineering (A Boston Review Book). Cambridge MA USA: The MIT Press, 194 pp. ISBN 978-0-262-01982-8. [読書メモ]