macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

議員の育児休業の話をきっかけに考えたこと

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

- 0 -

2015年12月、国会議員が育児休業したいと言ったことがニュースとなり、それをきっかけにいろいろな人がいろいろなことを言った。そこには次元の違う話がまざっていたと思う。そのうちで、わたしがもっともだと思った考えについて、わたし自身のことばで書き出してみる。残念ながら、参考にした発言を記録していないので、どの部分がどなたの考えを借りたものかをご紹介できない。話題が発散して、結論がない記事になってしまったことも、あらかじめおことわりしておく。

問題は、次のように分けられると思う。

  1. 人をケアする仕事(育児を含む)と職業労働との両立という課題
  2. 育児休業という制度の偏り
  3. 議員となった人の家族ケアと職業との両立
  4. ケア負担をもつ人に議員になってもらうことと国民の意見を代表させることとの両立

- 1. 人をケアする仕事(育児を含む)と職業労働との両立という課題 -

幼児が典型例だが、高齢や病気によって身体能力や判断力がおとろえた人も含めて、だれかがせわをしないと安全に生きていけない人々がいる。社会として、この人々に生きる権利を保証するべきだとすれば、せわをすることは社会全体の責任となる。家族がいる場合、家族がせわをすることが当然と考えられるかもしれない。ただし、家族にどこまで責任があると考えるか、また、家族自身がせわにあたる必要があるのか、費用を負担することを求められるのか、などは、その社会の集団的価値判断によるのだと思う。

ここで、育児、介護などの仕事を仮に「せわ」と表現したが、この単語は日常語すぎて埋もれやすいので、ここからは英語のcareに由来する外来語「ケア」を使うことにする。

近代社会では、生活するには家計が現金収入を得る必要があり、そのために家族のおとなが職業労働をすることが求められる。(労働が困難であったり失業している場合に限って公的福祉制度が適用される)。家族をケアすることは職業労働として認知されていない。しかし、家族のケアを主にになう人も、収入を得るために職業労働をする必要があることが多い。また本人が必要としなくても、社会がそのような人を労働力として期待することがある。ケア労働と職業労働の両立は、各人にとってむずかしい問題であり、そのむずかしさを減らすことが、政治の課題と言えるだろう。

とくに20世紀後半の日本社会は、フルタイム労働とパートタイム労働を明確に区別しようとした。フルタイム労働の規範は家族をケアすることと両立しがたいものだった。そこで、父親はフルタイムで働き、育児はパートタイマーまたは専業主婦の母親がになう、という形が多くなった。しかし、これでは、職場の男女差別が固定し、女性労働者が能力を発揮しにくいという弊害がある。妊娠・出産に関すること以外は男女平等にしようという方向に、法制度の改革は少しずつ進んできた。しかし実態は変わりにくい。

政策を決める国民の代表として、家族のケアという課題を切実に感じている人に出てもらうのは望ましいことだろう。議員の家族のケアと職業労働を両立させる方策を考えることも、そういう文脈で意義を考えるべきだと思う。

- 2. 育児休業という制度の偏り -

育児休業」と「育児休暇」という二つの用語はよく混同される。むしろ、原理的には境目がないので混同するのが当然なのだと思う。しかし、現行制度の名まえとしては区別しておいたほうがよさそうだ。

どのくらい一般的か知らないのだが、わたしの勤務先の場合を参考にやや一般化したわたしの認識は次のようなものだ。(「育児」を「介護」に変えても同様。)

  • 育児休業」は、数十日間連続して休むことである。
  • 「育児部分休業」は、毎日の勤務時間を短縮することである。(保育所の送り迎えなどを想定したものだと思う。)
  • 「育児休暇」は、(有給か無給かは別として)通常の有給休暇と同様に、1日単位で休むことである。

労働者が家族のケアの必要が生じた場合にしたいことが、このいずれかであればよいが、むしろ、「週あたりの出勤日数を減らしたい」のようなことが多いと思う。しかし、制度がこれだけであり、しかも「休暇」のほうの日数に年に数日という限度があると、それができない。週あたりの勤務日数を変えたければ雇用契約をしなおす必要があるようだ。労働者と雇い主との間で雇用を続けたいという意志が一致していればそれが可能だろうが、そうでないと、職業を続けることがむずかしくなる。

この問題は、今の日本社会の制度が、フルタイム労働とパートタイム労働の区別を明確にしようとすることからきている面があると思う。雇用契約を基本的に継続しながら勤務日数を変更できるように(それとともに職務内容や賃金の調整も必要になるが)労働法制を変えていくべきだろうと思う。

- 3. 議員となった人の家族ケアと勤務との両立 -

議員報酬の制度についてわたしはよく知らないのだが、基本的には、議員報酬は選挙によって選ばれた議員という身分に基づいてしはらわれているのであって、職場に出勤した時間に応じてはらわれているのではないはずだ。そこで、勤務時間と賃金が連動する労働者を想定してつくられた「休業」「休暇」の制度は、議員には必ずしもあてはまらない。議員がいつ勤務するかは、基本的には議員自身の判断で決められることだ。

しかし、たとえ家族のケアの必要が理由だとしても、もし議員が議員としての仕事をしなかったら、議員を選出した国民としてはあてがはずれるので、次の選挙で立候補しても投票しなくなる、あるいは、それを待たずに、辞職をせまる、ということがあるかもしれない。政党政治のもとでは、国民の判断は議員個人よりも政党に向かうから、むしろ、議員の所属政党が、次に候補者にしない、あるいは、辞職をせまる、ということが制裁になりそうだ。そこで、議員が所属政党に向けて家族のケアを理由とする「休業」あるいは「休暇」の正当性を認めさせようとする行動に出るのはもっともだと思う。

しかし、(次の4節で述べる代理などの制度がつくられない限りは) 連続した「休業」は望ましくないだろう。個別の「休暇」や時間短縮の「部分休業」、あるいは出勤日数を減らすことが適切だと思う。

議員の家族ケアと勤務との両立のために必要な策は、育児休業よりもむしろ、託児所ではないか、あるいは、在宅勤務ではないか、という意見も見かけた。

議員が議会に出勤する日のうちで、ぜひ議場にいなければならない時間はそれほど長くなく、待機している時間が長いことが多い。そこで、仕事に拘束される時間だけ子どものケアをしてくれる人がいれば、そして適当な控え室があれば、子どもを控え室につれてきて、待機している間は自分でケアすることができるかもしれない。問題は、このような需要をもつ議員が常にいるとは限らないのだが、それでも議会としてケアのための人や場所を確保する(しくみをつくっておく)必要性を認めるかどうかだ。議会職員の雇用条件は議員とは違うものの勤務時間が不規則になりがちなことは共通だろうから、議会職員にも需要があるならばそれを合わせて体制を整備することはありうるかもしれない。需要をもつ議員(たち)自身が費用を負担することにし、それを政治資金でまかなうことを認める、というのもひとつの道かもしれない。

在宅勤務は数年前までは現実的でなかったのだが、今からならば、インターネット技術の政治への利用として、積極的に考えてよいと、わたしは思う。ただし、不正が起こらないような、また秘密が必要なときそれが保たれるような、情報セキュリティがきびしく求められるので、それを確認しながらゆっくり設備の整備を進めることになるだろう。まず議決の投票に遠隔で参加できるようにすることが目標となるだろう。討議に参加しないで投票だけすることは望ましくないが、討議が公開でネット中継される場合にはそれを視聴することを前提にできるだろうし、適切な認証つきの接続をすれば発言する機会を与えることもできるだろう。非公開の議事や議場外での交渉に参加できないという問題は残る。したがって、今後も、議会の議事をまわすのは議場に出勤する人であり、在宅勤務は例外的、という形が続くだろう。先に国際会議で遠隔出席があたりまえになるだろうから、それを参考にしながら議会も変わっていくだろう。

- 4. ケア負担をもつ人に議員になってもらうことと国民の意見を代表させることとの両立 -

自分たちの代表として議員を送りこんだ国民としては、議員が家族のケアなどに時間をとられているあいだ自分たちを代表してくれないのは困ったことだ。しかし、代わりの人を送りこむためには議員に辞職してもらわなければいけないとすると、家族のケアを切実な課題とする人が議員として働く機会が減ってしまう。議員の仕事を別の人に代行してもらう必要がありそうだが、そのためには、それを可能にする法制度をつくる必要があるだろう。

ひとつの案は、「議員が、ある期間、完全に休業し(勤務せず)、その期間中は、別の人が、議員の職務を代行する」という制度をつくることだ。議員がもつべき権利と義務を代行者がもつことになる。候補者名簿をもつ比例代表制の場合、代行者は同じ名簿にのった人から選ぶことにすれば、選挙の趣旨からはずれないだろう。(ただし、選挙以後の政治課題の変化によって、同じ名簿にのった人どうしでも、政治課題に対する賛否が大きく違うことがあるかもしれない。そうすると代行者の決めかたについて争いが生じる可能性があり、その解決方法まで含めた制度設計が必要だろう。) 候補者個人を選ぶ選挙の場合、思いきって制度を変えるとすれば「選挙の段階で候補者にあらかじめ、代行の必要が生じたら代行者になる人を指名してもらい、有権者はその情報を含めて投票を決める」という形がありうると思う。そこまでやらないとすれば議員がそのつど代行者を指名することになると思うが、なんらかの資格審査が必要だろう。

もうひとつの案は、3節で述べた「在宅勤務」を補完するもので、「議場外にいる議員の指示に従って、議場内で議員の働きを部分的に代行する」人を雇えるような制度をつくることだ。この人は議員の権限をもつわけではないが、議場に出入りするので、なんらかの資格審査が必要だろう。この人の雇い主を議員個人とするか、政党・政治団体とするか、議会とするか、も、よく考えて制度設計する必要がある。

どちらの案も、今の法律を前提とすれば非常識にひびくと思うが、法律をつくる議会自体が本気になれば実現可能な範囲のことだと思う。