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太陽光発電の性能と副作用について、一気象学者が知っていること

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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わたしは太陽光を利用することがこれからの人間社会にとって重要だと思っている。ただし、現代の日本などの工業国の電力需要の構造を変えないまま太陽光でまかなえるというような楽観論には賛成しない。太陽光の特性を知り、それに合った利用のしかたを考えていく必要があるのだ。世の中には、太陽光発電の性能についても、副作用についても、過大評価もあれば、過小評価もあると思う。それを訂正していく必要を感じる。ただし、わたしは電力技術について専門知識をもっているわけではない。しかし、太陽光発電の性能にも副作用にも、気象にかかわる要因があり、その部分については、わたしのほうが太陽光発電専門家よりも知識があるかもしれない。そういう立場から、最近ネットや本で見かけた話題をきっかけに考えたことを述べてみる。

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自分で確認していないのだが、ある雑誌か雑誌のようなウェブ媒体の報道記事で、ある太陽光発電所の電力生産量を、kW単位で示されるその発電能力に、日照時間をかけて概算したものがあったらしい。それに対して、そこでいう発電能力はピーク性能であり、日照がある時間のうちでもピーク性能が出せる日照条件の時間はごくわずかなので、その概算は明らかに過大評価だ、という批判があった。

では、太陽光発電所の電力生産量を概算するにはどうしたらよいだろうか。(このあとに続く「(*)」印をつけた気象学用語の説明は[2015-07-05の記事]を見ていただきたい。)

光を電力に変える装置は「太陽電池」と呼ばれる。太陽電池の種類によってそれぞれ、電力に変えることのできる(「有効な」と言うことにする)光の波長範囲が限定されている。正確ではないがおおざっぱに言えば、太陽電池が出す電力は、有効な波長範囲の光として供給されるエネルギーの流れに比例する(つまり、エネルギー変換効率が一定)と見てよいようだ。ただし、この比例関係には限界があって、光があまり少なければ発電しないし、あまり多ければ頭打ちになるかこわれてしまうだろう。しかし、太陽光発電で普通に使われる条件では、頭打ちは考えなくてよいらしい。

そして、有効な波長範囲の光のエネルギーの流れの、太陽放射の全波長のエネルギーの流れに対する割合も、おおざっぱに一定とみなすことができる。そして、直達日射(*)と散乱日射(*)とに対する太陽電池の感度はあまり違わないようだ。そこで、ひとまず、太陽電池の面が水平に置かれる場合を考えれば、太陽電池が各瞬間に出す電力はその瞬間の全天日射量(*)にほぼ比例すると見てよさそうだ。

ただし、気象学でいう全天日射量は、水平面から上の半空間に光をさえぎるものがない条件を想定しているが、現実の太陽光発電所では山や建築物などにさえぎられることもあり、その部分は割り引いておかなければならない。

なお、太陽電池の面の向きを、太陽と自分を結ぶ線に垂直に近づけたほうが、太陽電池の面積あたりで受ける直達日射のエネルギーをふやすことができる。しかし、散乱日射はあまり変わらない。太陽電池の面を傾けることの効果は、日射が全部直達日射だと仮定して幾何学的に計算したものと、水平面と変わらないとしたものとの、中間のどこかになる。

太陽光発電が順調に働いていれば、発電される電力の時系列(たとえば東京電力http://www.tepco.co.jp/csr/renewable/megasolar/index-j.html の「データで見るメガソーラー」のリンク先にある発電所ごとのグラフ)は、ほぼ日射量の時系列を示し、比例定数さえわかれば換算できそうだ。

設置前に電力を見積もるには、その地点付近での全天日射量の情報があれば、それを使うのがよい。ただし、日射量は、日周期変化や季節変化のほかに、毎日の天気による変化もあるし、年々変動もある。長期にわたって観測が続いている地点の情報を参考にするべきだろう。見積もりたい地点と観測が続いている地点との日射の特徴がどれだけ似ているかを考えるには、気候学の知識が参考になるだろう。ひとまず、日本のうちでの場所による日射の違いをもたらす気候要因を説明ぬきで列挙しておく。

  • 梅雨前線。
  • 冬の季節風。風上の日本海東シナ海側に雲が多く、風下の太平洋・オホーツク海側に少ない。
  • 夏の北海道の南東の下層雲・霧、東北の東海岸の北東風(やませ)に伴う下層雲・霧
  • 陸風、山谷風、盆地の冷気湖など、日変化する局地循環に伴う雲・霧

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日照時間(*)は「日照がある時間」ということができるが、ここでいう「日照がある」とは、直達日射が、あるしきい値(WMOの定義によるならば120 W/m2)をこえることだ。日照がある時間のうちでも日射量は大きく変化する。また、この意味での日照がなくても、散乱日射があれば、全天日射量は正の値をとる。だから、全天日射量(さらには太陽光発電の電力)は、近似的にも、日照時間に比例するわけではない。

しかし、1日ごとあるいはそれより長い期間でまとめると、日照時間の多い日は全天日射量も多い、という傾向はある。両方の観測値がある地点について、日照時間から全天日射量を求める経験式を作れば、気候学的にその地点と似た日射の特徴をもち、日照時間の観測がある地点の全天日射量を推定することができる。

「大気上端に入射する日射量」(*)は、太陽が出す放射のエネルギーの流れを一定とすれば、地球の自転・公転に関する幾何学的計算で求めることができる。また、それぞれの1日のうちで「大気上端に入射する日射量」が0でない(正の)値をとる時間を「可照時間」と呼ぶことがある。経験式を作る際には、日照時間は可照時間に対する割合、全天日射量は「大気上端に入射する日射量」に対する割合として、規格化してやったほうがよい。

実際に日照時間から日射量を推定した研究例もあるが、ここでは基本的考えかたを述べるところまでにしておく。

火山噴煙、黄砂、スモッグなどの濃いエーロゾルがあるときを別にすれば、太陽光をさえぎるものはおもに雲だ。太陽の方向に、ある程度以上に厚い雲があれば、直達日射は届かず、「日照なし」の状態になる。散乱日射はあるが、合計の全天日射は減ることになる。ただし、全天日射がどれだけ減るかは雲の厚さや種類にもよる。そこで、日照時間から日射量を決定論的に決めることはできないが、相関はあるので統計的に推定する式をつくることはできるのだ。

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太陽光発電がもたらす環境問題がいくつか考えられる。

わたしがいちばん心配するのは、太陽光パネルを配置する土地の整地・土木工事だ。これは太陽光発電特有でなく土地開発に共通の問題だが、工場などを建設する場合に比べて安上がりにすませているために、大雨の際の土砂流出などのおそれが大きい場合がある。

使用後の太陽光パネルの廃物問題もある。これはきちんと回収し、資源リサイクルまたは隔離する必要があるだろう。

気象学者としては、とくに、地表面エネルギー収支([2012-07-05の記事]参照)を変化させることによる環境への影響を考えてみたい。

太陽光発電で得られた電力は結局は廃熱になるだろうし、発電過程の不可逆性による廃熱もある。それだけのエネルギーは、「人工廃熱」と分類されるものにつけくわわると考えるべきだろう。

それに加えて、太陽光発電の効率はおおざっぱに言って1割程度だから、パネルが受けた太陽放射の9割はすぐ廃熱になってしまうと考えられる。これは温暖化をもたらすのではないか、という議論を見かけた ([桜井邦朋(2015)の本の読書メモ])。この「温暖化」は、温度上昇という意味であって、温室効果の強化という意味ではないが。

ここでは、太陽光パネルが置かれたところにはもともと地面(あるいは植生)があった、ということを思い起こす必要がある。自然の地面も、太陽光パネルも、それぞれ太陽放射のうちある割合を反射し、残りを吸収する(電力に変わる部分も吸収に含めておく)。【太陽熱利用の場合ならば、利用できるエネルギーを多くしようとして、反射率が小さいもの(黒いもの)を置くことになりそうだ。その場合は、地表面にとってのエネルギー収入が明確にふえ、廃熱対策が必要になるかもしれない。】太陽光発電の場合は、太陽電池はたいてい温度が上がりすぎると効率が悪くなるので、反射率をあまり小さくはしない。おおざっぱに言って、反射率は自然の地面とあまり変わらないだろう。

【ただし、人工のパネルは自然の地面や植生よりも平面に近い形をしているので、直達日射が方向性をもったまま反射する部分が多くなる。近隣に住む人に、反射光がまぶしい、あるいは、反射光があたるところが暑くなる、という迷惑がかかっていることがあるそうだ。これは、太陽光発電所がもたらす公害問題であり、立地の際の環境アセスメントとして(その法的義務がなかったとしても不法行為をもたらさないために)評価しておくべき問題だと思う。】

さて、陸の地表面のエネルギー収支は、太陽放射のほかに、地球放射(熱赤外線)と、顕熱・潜熱の乱流輸送、地中熱伝導からなる。地表面温度は、これらの項がほぼつりあうという条件で決まる。太陽光パネルが置かれることによって、各項がどう変わるかはいちがいに言えないが、ふつう、パネルは水をためないので、自然の地面や植生の場合に比べて、地表面からの水の蒸発(そしてそれによる上向き潜熱輸送)が少なくなるだろう。すると、太陽放射吸収が同じならば、地表面温度が高め、上向きの顕熱輸送と上向きの地球放射が大きめになるだろう。これが大気にどういう影響を与えるか、そして下向きの地球放射がどう変わるかは、さらに、いちがいに言えないが、そのような間接的な変化は直接的変化に比べれば小さいだろうと仮定してみる。すると、太陽光パネルが置かれることは、他の多くの人工的土地利用改変と同様に、自然植生や農地と比べれば、ローカルな気温が少し上がり、湿度が少し下がる効果をもたらしそうだ。