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安保法制について考えたこと

2015年9月19日未明、いわゆる安保法制が、国会で成立した。【内閣官房のウェブサイトに「平和安全法制等の整備について」 http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/housei_seibi.html という表題のページがあって、中身を見ると、成立した法律は「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」と「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」だそうだが、成立までの過程で「安保[関連]法案」と呼ばれることが多かったので、この表現にしておく。】

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【わたしが国会の状況を追いかけたのは9月17日(木)からで、しかも、ネット中継も、(NHKが中継した時間帯の)テレビ中継も見ていない。情報源は、Twitter上でたまたま「フォロー」した数十人の人たちの発言(「リツイート」を含む)と、そこから気まぐれにいもづる式に探索したネット上の報道記事・評論記事である。知識の欠落やまちがいがあるかもしれない。】

9月17日夜遅くの参議院の特別委員会は、議員たちの身体がぶつかるような荒れた状況が起きた。与党によれば、動議と付帯決議を含めて5つの採決がされ、可決されたという。しかし、議事録(案)によれば、速記が止められており、委員長が席にもどってから起きたことについては「聴取不能」とあるだけで、何が採決されたかも、何人が賛成したかも記録されていない。また、中継の動画でも(わたしは直接見ていないが)委員長の発言はよく聞き取れないそうだ。これでは、委員会で採決が行なわれたとは言えないと思う。

しかし、委員会は本会議に進むための予備的手続きにすぎない。9月18日夜から19日未明の参議院本会議では、討論が打ち切られたとはいえ、手続き上は正しく採決が行なわれた。この採決自体は強行採決とは言えないが、委員会での可決がいわば捏造されて本会議の議事に進んだという流れをとらえれば、本会議での採決が強行されたと言える。しかし、それだから本会議での採決が無効だという理屈が有効だという主張に勝つのはむずかしいだろうと思う。

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この法律に反対する議論は、大きく分けて、内容に対する反対と、憲法違反であるから反対というものがあった。この両面で反対する人もいたが、内容には賛成だがまず憲法を改正してからでないといけないという主張をする人もいた。提案者である与党が国会のどちらの院でも過半数をしめる状況で、反対運動が力をもつためには、このような意見の違いを越えて協調する必要があった。そこで反対運動としての理屈がどっちつかずになった面もあり、また鋭い主張をもった人はいっしょに運動できなかったこともあると思う。

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今回の法制が憲法9条に違反すると考える人は多い(そのうちには、憲法9条を廃止あるいは改定してからこの法案を出すべきだと考える人を含む)。しかし、そのうちには、みんなではないが、自衛隊の存在も憲法に違反すると考える人も多い。そこで、「憲法違反を根拠として今回の法制に反対するならば自衛隊の廃止まで主張しなければ首尾一貫しない」という意見も聞いた。

自衛隊憲法違反なので廃止するべきだと本気で考えている人もいるだろう。【自衛隊が災害救援で役立っていることを認めるとしても、それを主目的とし「戦力」ではない組織に改変するべきだ、という理屈は成り立つ。】そういう人は今回の法案にも反対しただろう。そういう人が、今回争点になっていない自衛隊の存在について、とりあえずふれずにいたとしても (現実問題として自衛隊廃止は今回の法案の否決よりもずっとむずかしいという認識のもとでは)「首尾一貫しない」ととがめるのは酷だろう。

問題は、現にある自衛隊を、憲法違反あるいはその疑いが濃いと思いながらも、現実的な政策としては認めているが、今回の法制には反対する人が、憲法違反を反対理由にすることができるかだ。「できる」とするのは首尾一貫していない気がするが、「できない」とする理屈を認めると今回の法制に限らず果てしない軍拡に対して憲法はもはや歯止めにならないことになり、それも変だとわたしは思う。

憲法の理念からの離れかたには、程度の違いがあって、ある程度まで離れることが現実的判断で許されてしまっていても、さらに離れることを警戒するべきなのだ、と思う。たとえて言えば、かばんの容量よりも少しよけいに物をつめこんだときは皮がのびておさまるが、もっとつめこもうとするとこわれてしまう、ということがあるのだ。

また、現にある自衛隊を認めるならば、現に自衛隊が果たしている役割に悪影響があるような政策を避けるべきだ。あと(5, 6節)で論じるように、今回の法制にはその心配がある。

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今回の法制の内容の主要な部分は「集団的自衛権」と呼ばれている(ただし、今回成立した法律の文中にこの語は見あたらない)。しかし、賛成する側からはその必要性の主張、内容面から反対する側からはその危険性の主張ばかりが聞こえ、その内容に関する議論は深まらなかったと思う。

わたしは大まかに、これは、同盟国への攻撃を自国への攻撃とみなし、同盟国を防衛するために武力を使うことを可能にすることだと理解している。ここで、同盟関係にある国々が集団をつくるわけだが、その集団の構成は日本の法制によって固定されるものではなく、原理的にはそのときどきの状況に応じて多国間の交渉で決まっていくもののはずだ。

国連平和維持活動(PKO)の場合については、それを構成するメンバー (軍であってもなくても)を防衛するために日本の自衛隊が武力を使うことがありうる、ということなのだろう。これはPKOからメンバー国への期待に日本がこたえることとしてはもっともだ。ただしあとで述べるように日本の制度的欠陥の問題がある。これも「集団的自衛権」に含まれるのかもしれないが、その典型ではないだろう。

集団的自衛権」の本筋は、日本が戦闘の当事者となる事態だろう。今回の法制では、その場合の「集団」には、アメリカ合衆国(以下「アメリカ」と書く)も含まれることは当然とみなされているようだ(わたしはそれも変わりうるとすべきだと思うが)。しかし必ずしも2国で閉じるものではないだろう。それではどの国を「集団」に含めるかをどう決めるのだろうか。よくわからない。(成立した法の文章をまだよく読んでいないので、もし明示されているのに読みおとしていたら申しわけないが。)

法律の規定自体よりも運用によるところが大きいと思うが、与党が日米安保体制強化に動いている状況をあわせて考えると、日米安保体制のもとで、これまでは一方的にアメリカ軍が日本を防衛する関係だったが、これからは日本の自衛隊アメリカを防衛しなければならない立場になる、と考えられる。さらに、アメリカは世界の多くのところで戦争にかかわっており、先制攻撃もするので、アメリカが起こした(日本にとっては迷惑な)戦争で、日本人も戦わなければならなくなるのではないか、という心配は、もっともだと思う。この法案を「戦争法案」と呼ぶことは、法案自体に対する呼びかたとしては不当と感じられるのだが、ありうる運用についての警戒を含めた評価としては、もっともだと感じられる。

(PKOなどは別として、ここで「本筋」とみなしたような)「集団的自衛権」の発動の前提条件として「存立危機事態」というものが考えられている。しかしそれが具体的にどんなものかはまだよくわからない。国会や内閣などの公的機関がそれを具体的に述べることのむずかしさは想像できる。仮想敵国としてどの国を想定したかが推測できるようなものを述べれば、ただでさえ利害が対立しやすい国からの信頼をそこね、対立を強めてしまうおそれがある。しかし、あいまいにしておくと、そのときどきの内閣しだいで恣意的に認定がされるおそれがある。残念ながら、仮想敵国ばかりでなく、自国の政権に対しても、事前警戒的にかまえる必要があるのだ。「存立危機事態」とは何か、非公開の場で具体例をあげながら考えたうえで、公式の場では抽象的に表現して合意を得る必要があると思う。この合意を得ないうちに今回の安保法制を執行するのは危険だと思う。

「存立危機事態」を次のように限定することが考えられると思う。すでに個別的自衛権が発動されている、つまり自衛隊が武力を使って戦っている事態で、安保条約に基づいてアメリカ軍にも日本を防衛するために戦ってもらう際に、日本の側もアメリカ軍を防衛するためにも戦う、という場面だ。もし、この状況に限られるならば、自衛隊と安保条約の現状を(悪だとしても必要悪として)認める人のうちで、かなり多くの部分の人が認めるのではないだろうか。

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自衛隊が、PKOや、停戦後の社会基盤整備(土木工事や行政体制づくりなど)の支援に出ていくことについても、当初は反対が強かった(わたしも反対の意見をもった)が、今では日本の世界に対する分担としてむしろやるべきだという人がふえた。

しかし、停戦後ではあっても武装勢力が残っているような状況で、戦闘にまきこまれることもあり、加害者になることもありうる。そこで、自衛隊が軍でないとされているために、軍事法廷(旧日本軍の用語で言えば「軍法会議」)がないことが、制度の欠陥として指摘されている。軍人が現地人に害を加えた場合、(PKOが必要となるような状況では現地国の裁判にまかせることは現実的でなく)、軍の命令に従った行動の結果ならば軍として責任を負い、軍の規律違反ならば軍内で処罰しなければならない。日本の自衛隊には軍事法廷に対応する制度がないので、刑法に国外犯の規定がある容疑ならば個人として日本で裁判を受け、規定のない容疑ならば処罰されないことになる。前者ならば被告だけでなく証人などにとっての負担が重くなり、後者ならば現地の信頼が得られない。これはすでにある問題だ。しかし、今回のような法改定をするならば、問題が起きる可能性がふえるので、対策を急がなければならない。憲法を改正しなくても、ひとまず自衛隊を合法と認めることを前提とするならば、制度の整備はできるのではないか? 憲法第76条の「特別裁判所を設置することができない」という規定との兼ね合いが問題だが、軍事法廷相当のものは行政機関であるとし、上級審は裁判所にゆだねるとすればよいのではないか? (ここにも憲法の理念から離れる程度がどこまで許されるかという問題が出てくるのだが。)

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文民(非軍人)として、停戦後の武装解除や社会基盤整備に働いてきた人が、これまで、日本人がわりあい信頼されやすかった理由として、日本が武力攻撃してくることがないことをあげている。たとえアメリカの同盟国であることが明らかでも、直接戦闘にかかわらないことによる違いがあるようだ。今回の立法で「ふつうの国」になると、この強みを失う。

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安保法制の立法と並行して、武器輸出三原則の緩和と、防衛装備庁の設置が進んでいる。これは、法的には、集団的自衛権の件とはまったく別のことだ。政治的には一連のこと(いわば、アメリカとの軍事的一体化の進行)ととらえられる面もある。しかし違った面もある。

現代世界で、核兵器などの特殊な武器は国が深く関与するが、そのほかの大部分の武器の製造・供給は、民間企業の仕事になっている。冷戦時代は、そういう武器も、敵にわたることを警戒するために、企業の活動を政府がきびしく規制した。今では、製造技術はともかく、製品については仮想敵国にわたることへの警戒は少なくなり、むしろ、企業が栄え、政府が武器を安く調達できることを期待する。(紛争当事国へ武器を供給することにより紛争を激化させることへの批判も、核兵器などの「大量破壊兵器」を別とした「通常兵器」については、政策にあまり反映されていないようだ。)

日本は武器輸出規制がきびしい。その結果、日本の武器産業は、買い手が日本の防衛省だけなので製造数が少なく割高になる。国のほうは外国企業から買うこともできる。市場価格で競争すれば外国企業が有利になりやすい。(日米安保体制のもとでは、アメリカとの規格統一をせまられるという要因もあり、アメリカ企業が有利になりやすい。) 防衛では同盟関係にあっても、産業政策では日本とアメリカの国としての利害は対立している。また、国の防衛政策の観点からも、武器を外国の技術にばかり頼るのは望ましくないだろう。しかし、武器輸出を禁止したのでは、国内の武器産業が成り立ちにくい。

実際には、今は、企業の多国籍化や、製品の共同生産が多くなっている。課題は、「日本製の武器を日本が使えるか、さらに外国にも輸出できるか」というよりも、「国際共同生産の中で日本企業が重要な位置をしめうるか」という形のものになっている。

これに関するわたしの意見。仮に経済成長が望ましいとしても、世界の武器産業資本が無際限に成長することは望ましくない。まず日本が、武器産業資本を育成しないという政策の例を示すべきではないか。軍事・民生共用(dual use)の産業はかまわないとする。軍用品のうち国家存立のために国内生産でなければならないと判断した少数の品目だけ、値段が高くても注文生産で作らせる。この部分は資本主義・市場経済の枠外で国家統制生産である。

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今回の法案に反対する人々のうちに、日本は「70年間の平和」を保ってきたことを誇ったり、「戦争法案」はそれをおびやかすからいけないのだと主張したりする人々がいた。そのような考えをきびしく批判する人々もいた。

批判する論点のひとつは、第2次大戦後、アメリカは(宣戦布告のないものも含めれば)ほぼ常に戦争をしており、日本はアメリカの「核の傘」の中にいることによって直接戦闘にかかわらずにすんだのだし、ベトナム戦争に行くアメリカ軍に基地を提供したことをはじめとするいろいろな形で、アメリカの戦争を支えていた、ということだ。

もうひとつは、日本は経済で成功してカネで安寧を買った面もある。その成功は、あからさまな植民地ではなくても、相対的に貧しい諸国があったから可能だったのだが、その諸国の人々の安寧のためには働いてこなかったのではないか、というようなことだ(うまく表現できていないが)。

批判はもっともなのだが、批判者の言説が、「70年の平和は欺瞞・虚妄だ」というものになると、行きすぎではないかとも、わたしは感じる。

たとえ世界にひずみをもたらしたとしても、身勝手であったとしても、ローカルに戦闘のない状態を維持したことは世界にとってもひとつの成果であり、参考例になるのではないか。それが6節で述べた武装解除や復興支援に行く日本人への信頼にもつながっているのだと思う。ただしこれを日本人から言ったのではまずい。他者から、おせじでなく公平に考えた判断としてそう示された場合に意味をもつのだと思う。

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安保法制に対するわたしの意見を簡単にまとめておく。
今回成立した法律は、いったん廃止して、もとにもどすか、根本から立案しなおすべきだと思う。ただし、それには国会議員を選びなおすことが必要だ。
それを待たずに、今の政権のもとでも、ひとまず執行停止を求めたい。
そして、まず、PKOを想定して、軍事法廷に相当する制度の整備を求めたい。
次に、「存立危機事態」の要件の明確化を求めたい。個別的自衛権が発動されていて、それだけでは不充分と判断された場合に限られるはずだ。