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論文の内容に含まれる不正の対策と、査読という制度と

学術研究の不正のうちで、論文などの形で研究成果を発表する際に起こるもので、一般社会の法律その他の規範に反するかどうかはともかく、学術共同体の規範に反するものとして、捏造[ねつぞう]や改竄[かいざん]、 盗作authorshipの誤用(著作に責任をもてない人を著者に含めること)があげられる(山崎, 2007; [読書ノート]参照)。[2014-04-17の記事]ではこのうち「盗作」(もう少し広く「出典を示さない複製」)をとりあげ、捏造や改ざんを伴わない場合を想定して論じた。

捏造と改ざんは一連の問題ととらえることができると思う。また、ほんものの画像や数値データなどを使っているがそれが何であるかの記述が実際と違っている場合も、もし意図的であれば捏造や改ざんと同様な不正だ(意図しない場合も論文の価値を失わせるまちがいだ)。学術文献の中に、偽であることがら、あるいは結果として真であることがらであってもその根拠づけが正当でない記述が、それと知られずに混ざると、その文献だけでなく、それを含めて構成されている学術的知識の価値をそこなうことになる。

(ただし、画像を見やすく加工したり、数値データから異常値を取り除いたりすることは、ある研究対象群をある方法で扱う人たちにとっては改ざんにあたる悪いことと考えられているが、別の研究対象・方法を扱う人たちにとってはむしろやるべきこととされている、ということもありうる。時代とともに変わることもあるかもしれない。著者はその研究対象・方法を扱う専門家集団の現在の規範に合わせる必要がある。ただし、規範が明文化されていないことが多く、複数分野にまたがって仕事をしている著者が自分は正当と思った加工を不正として非難されることも起こりうる。そういうことは起こりうることとして、学術雑誌の質をたもちながら著者にもうらみが残らないような対応を考えるべきだろう。)

学術論文の査読は、一種の品質管理の役割をしている。しかし、それは不正を検出して排除することを主目的としたしくみではない。また、論文で記述された研究の過程を追試するものでもない。ふつう査読は無報酬であり、論文1件の査読にかけられる時間は約1労働日(8時間)相当かそれ以下のことが多いと思う。査読者がたぶん必ずすることは、論文が前提から結論が導かれるという意味で筋がとおっているかをチェックすることだろう。その過程で、著者による事実の記述については、ときには疑いながら読むこともあるだろうが、著者を信頼して読み進むしかないことが多いと思う。

査読とは別に、学術雑誌の編集過程に、文章や画像がすでに公開されたものと類似していること(あるいは、一致すべき場合に異なっていること)を機械によって検出することを組みこめるかもしれない。ただし、類似性が検出されても不正であるかは人による判断が必要だ。ソフトウェアや計算機資源にしても、人の労働時間にしても、費用がかさむならば、著者が払う論文投稿料か読者が払う代金を上げなければならなくなるだろう。安い費用でできる機能ならば組みこむのはよいが、詳しい調査は疑惑が生じたときだけ事後的にするのが適切と考えられるだろう。

Natureなどの有名な雑誌にのった論文にあとで不正が指摘された件について、それを見のがしたのは査読という制度にひずみが生じているのではないかという指摘を見かけた。わたしは、これまで述べたように査読と不正対策とは直接つながらないと思うし、査読という制度が悪いのではないと思うが、現状にひずみがあると感じることはある。論文の掲載予定数に比べて投稿数が多いという意味で競争率の高い雑誌では、品質チェックを通った論文のうちから掲載するものを選別する必要がある。そこで各雑誌の経営方針が働くだろう。とくにNatureは出版社が出していて科学ニュースの雑誌でもあるので、学術論文の選択についてもニュース価値の判断が働くだろう。そこまでは、投稿者も読者もそういう雑誌と承知していればよいことだ。ただ、ニュース価値があると思われた論文について、編集者が早く出版したいと考え、査読に短い時間しか与えない、ということが、必ずしもNatureに限らず、起こっているのではないかと思う。もしそうならば、あらためる必要がある。ひとつの方向は、従来の学術論文の原則どおり、時間がかかってもていねいに査読してから公開することだ。もうひとつの方向は、European Geosciences Union (egu.eu) の新しい雑誌群でやっているような公開査読方式にして、査読前の原稿を査読済みの論文と明確に区別した形で公開することだ。

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