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高潮と津波、そして気象津波なるもの

フィリピンで強い台風による大きな被害が出てしまった。おもに高潮によるようだ。被災地の映像を見て「津波のようだ」というのはよいのだが「津波だ」といわれると訂正しておく必要を感じる。「津波」と「高潮」は原因で区別していて、地震によって起こるのが「津波」で、台風や低気圧によって起こるのは「高潮」なのだ、と。

しかし、近ごろ一部の専門家の間で「気象津波」(英語ではmeteotsunami)ということばが使われていて、今回の台風でもそれが起きていたのではないかと推測している人がいると伝え聞いた。これは、海上の大気の気圧の変化(あるいは風)が原因となって津波と似た形の海水の波が発生し伝わることを意味するにちがいない。これが「津波」なのかという問いは「津波」という用語の意味の広がりが人によって統一されていないことを突くものになる。海水の運動の力学を考えることに徹すれば、これは「高潮」というよりはむしろ「波」であり、地震による津波と同類としたほうがよいのだろう。しかし、現実に起きている災害の話では、(まだ)「高潮」による海面上昇と「波」による海面上昇を区別して認識することがむずかしいので、高潮と同時に起こる「気象津波」による被害は「高潮」による被害と一括しておいたほうがよいように思う。将来、外洋の波の観測と予測技術が発達して警報を出せるようになった場合には、区別したほうがよいということになるだろう。

この機会に、高潮と津波に関する用語や概念の整理をしておきたくなった。

【おことわり。わたしは大学で地球物理学のコースを出ているものの、大学院にはいってからはそのうち気象学を勉強してきた。海洋学を系統的に勉強したのは学部4年までだ。もちろん海洋学は気象学の隣接分野なのでその後に学んだこともあるのだが、知識のしいれかたや整理のしかたが偏っているし、もしかするとまちがって覚えていることがあるかもしれない。信頼できそうな情報源を参照して書く部分もあるが、「自分はこう理解している」ということにすぎない部分もある。】

「高潮」は台風や低気圧によって海面が高くなることを言うが、これには、直接「波」とは関係のない二つの要因がある。(気象庁ウェブサイトの「台風について」http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/index.html、とくにそのうち「高潮と潮汐」http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/4-1.html を参照。)

第1に、海面上で気圧(大気の圧力)が低いことによって、(上からおさえつける力が少なくなるわけだから)海面がもりあがることだ。上記の気象庁ウェブサイトでは「吸い上げ効果」と表現されている。これは海岸と関係なく、台風や低気圧のあるところで起こる。

第2に、海岸の近くの海上で、海岸に向かって風が吹くと、海水が海岸に吹き寄せされて、海面が高まる。上記の気象庁ウェブサイトでは「吹き寄せ効果」と表現されている。

これに「波」と関係のある要因が加わるのだが、その説明にはいろいろな道具だてが必要だ。

「振動」とは、物体がある中央の状態をはさんで両側の状態を行き来することをいう。典型的なのは、物体に、原点からの距離(変位)に比例し、原点に向かう力(復元力)が働く場合に起こる、力学的単振動だ。

「波」とは、振動が空間を伝わっていくような現象だ。振動の変位が極大となるタイミングが空間とともに順次ずれていき、ひとまわりしてもとと同じタイミングになるまでの距離が1波長となる。

われわれが観察する海の波はこの意味の「波」であり、そのほとんどは重力を復元力とするメカニズムによる波だ。(このほか、空間規模のずっと大きいものには、地球の自転を復元力とする波があり、空間規模のずっと小さいものには、表面張力を復元力とする波がある。) (重力を復元力とする波を「重力波」(英語gravity wave)ということがあるが、別の学問分野では重力そのものが波として伝わることを「重力波」(英語gravitational wave)というので注意が必要だ。)

重力を復元力とするメカニズムをもつ波を、さらに原因によって分けて考えることができる。日常に海岸付近に押し寄せるのが見られる波は、海面の海水が風によって押し引きされることによって駆動されている。このような波を「風波」あるいは「風浪」ということがある。風波よりも波長が長い「うねり」と呼ばれるものが見られることもあるが、これも風によって駆動されたものと考えられている。(気象庁ウェブサイト「波浪の知識」 http://www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/db/wave/comment/elmknwl.html 、とくに「風浪とうねり」http://www.data.kishou.go.jp/kaiyou/db/wave/comment/term/furoune.html 参照。[リンク先変更 2015-01-11])

他方、「津波」は、海底の地殻変動によって、海水が下から押し上げられ、あるいは逆に引き下げられることによって駆動される。また、海面よりも高いところにあった岩石や氷などが海面に落下することによって駆動される津波もある。原因(地震の場合は震源)から離れたところに伝わる津波は、うねりよりも波長が長い。

風、あるいは海面の気圧の変動による駆動で、津波と同様な波長の波ができたとすると、これには従来適切な名まえがなく、「気象津波」と呼ぶのがよいかもしれない。(わたしのここでの判断は「かもしれない」であり、自分の用語体系にない他人の用語を借りたという趣旨でカギカッコつきで使うことにする。)

もうひとつ重要な駆動力は潮汐力だ。これは月と太陽のそれぞれの重力からくる。地球上で月に近い側の海水にかかる月の重力は、海水の質量あたりにして、地球平均よりも大きい。月から遠い側では地球平均よりも小さい。この違いが海水を動かすことができるが、これも重力を復元力とする波として伝わり、「潮汐波」と呼ばれる。月・地球・太陽の位置は天体力学によって精密に予測できるので、潮汐波もよく予測できる。

重力を復元力とする波のうちでも、潮汐波や津波のような波長の長い波の速さは、水深の平方根に比例する。水深の深いところから浅いところに伝わってきた波は遅くなり、進行方向の短い距離のあいだに波のエネルギーがたまるので、振幅が大きくなる。

さて、「高潮」と呼ばれる現象は、基本的には「波」と関係のない「吸い上げ効果」と「吹き寄せ効果」による海水面の上昇である。

ただし、これに、常にある(高潮とは別の現象として認識されている)潮汐が複合する。潮汐の満潮のときに高潮が重なると合計の海水面上昇が大きいので被害が大きくなりやすい。

そして、台風が来るときには風が強いので、風波も大きい。これも、短時間の変動を含めた意味での水位の極大を大きくする。

ここにさらに「気象津波」(と呼ばれうる現象)、あるいは(とてもまれな偶然だと思うが)地震による津波が複合する可能性があるわけだ。

【英語でも「津波」はtsunamiなのだが、この用語が定着するまでは潮汐波と区別なくtidal waveと呼ばれていた。今でも専門外の人が書いた文章ではtidal waveを津波と解釈する必要があることがあるかもしれない。「高潮」はstorm surgeという。】
【[2014-09-16補足] 2013年台風30号のときは、フィリピン気象庁はstorm surgeに関する警報を出したのだが、現地の人々にそのことばがよく理解されなかったそうだ。「tsunamiと言ってくれればよかった」という話もあるという。ただしこの件は、現地の言語で高潮やそのたぐいの現象がどう表現されているかをよく知らないと、どうすればよかったかを論じるのはむずかしい。】

海岸での海水面の変動については、もうひとつ、波と海岸の形との関係にからむ問題がある。

水平2次元で考えたとき、水面の境界が閉じている湖や、部分的に閉じている湾では、波の波長や節(ふし)の位置が固定し、節でないところでは水位が上下変動をくりかえすような、固有振動の振幅が大きくなることがある。この現象はフランス語でseicheと呼ばれ、日本語でもその音訳で「セイシュ」あるいは「静振」と呼ばれることもあるが、近ごろでは「副振動」と呼ばれることが多い。「副」とは潮汐による振動を主と見てそれに対する副だそうだ。

津波や「気象津波」あるいは高潮の水位変化によって、湾の副振動が励起されると、ローカルに水位が非常に高くなることがたびたびくりかえす可能性がある。

さて、「気象津波」についての報道記事に、広島工業大学の田中健路(けんじ)さんの名まえが出ていた。田中さんのウェブページ「気象要因によって発生する潮位副振動(気象津波)に関する研究」http://tanaka.ges.it-hiroshima.ac.jp/Research/Meteotsunami/top.html によれば、「潮位副振動の中でも、海上での突発的な気圧の変動や風の変化によって発生し、地震による津波と同様のメカニズムで沿岸に到達」するものを「気象津波」と呼ぶのだそうだ。その例として西九州の「あびき」が出ている。なおWikipedia英語版には meteotsunami という項目があるが、その中にも、日本語では abiki として知られているという記述がある(2013-11-11現在)。ただしこのWikipedia記事は伝播する「気象津波」と固定した副振動との関係づけがあいまいであるように思われる。

「あびき」については、たまたま、[2012-10-14の記事]で話題にしていた。ただし、1950年代の長崎海洋気象台の人たち(石黒鎮雄さんを含む)が対象としていた問題は、長崎湾の副振動だった。1982年の日比谷紀之さん・梶浦欣二郎さんの論文の対象もそれなのだが、その原因をさかのぼって、東シナ海西部(中国側)の大陸棚上の気圧変動によって起こされた波が伝わってきたとして説明できるというものだった。他方、田中健路さんのウェブページで紹介されている研究は、「2009年2月24日〜26日にかけて鹿児島県甑島をはじめとする九州西部の沿岸域で」発生した「あびき」について、その原因となった東シナ海上の気圧変動がどのように生じたかを見ている。

「あびき」の原因となる気圧変動が生じる気象条件は、おだやかとは言いがたいが、台風のように激しい嵐ではない。「あびき」のような「気象津波」は台風による高潮とは無関係に生じるので、「高潮」とは別の現象として扱うべきなのだろう。ただし同時に生じる可能性もないわけではなく、その場合はよほど詳しい観測がないと分離して論じるのはむずかしいと思う。

【「概念整理」としてはあまりうまく書けなかった。今後改訂するかもしれない。ただし、たくさんの概念を列挙することは必要であり、説明の単純化には限界があると思う。】

【[2022-01-16 補足] 日本気象学会の雑誌『天気』に「気象津波」についての解説が出ている。