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前線

気象用語の「前線」は英語では frontという。軍事用語で敵対する軍がぶつかっているところをさすことからの類推にちがいない。概念的には、線の両側に質の違う空気があるような状況で、その線が前線なのだ。実際には空気は連続体でありその温度や湿度などの物理量は空間に対して連続的に変化するのだが、物理量の水平勾配が大きいところが線状につながっていると「前線」として認識される。量の水平勾配が大きい状態が、固定した位置にせよ、ほぼ形をたもって移動するにせよ、継続して存在する場合は、継続した原因があるはずだ。前線をはさんだ両側に温度勾配があり(あまり急でなくてよい)、両側から前線に向かって空気が集まってくるならば、前線のところで温度勾配が強化される。つまり前線は多くの場合空気の流れの収束があるところにできる。ただし空気の質量保存から考えて、地上に収束があれば、上昇流があって、上空のどこかの高さに発散があるはずだ。雲・降水は上昇流のあるところで起こるから、前線は降水が起きやすい状況ともなっている。

3次元空間で考えると、質の違う空気がぶつかるところは2次元の面であるはずだ。実際にも温度の空間勾配の大きいところが面として認識されることがある。英語でfrontal surfaceで、日本語では「前線面」というのがよいだろう。(「前面」でもよさそうだが「前面・後面」の「前面」の意味にとられると困る。) 前線面が地表面と出会うところが地上の前線だ。

【「前線」にあたる中国語は「鋒」(feng)だが、「風」と同じ音なので独立した形ではあまり使われず、「鋒面」(fengmian)のほうはよく使われると聞いたことがある。】

前線はいろいろな空間スケールで認識される。代表的なものは温帯低気圧の内部構造としての寒冷前線温暖前線だ。どちらも温度の水平勾配の大きいところだが、地上にいて移動する低気圧を迎える立場で、前線の通過に伴って温度が上がるのが温暖前線で下がるのが寒冷前線だ。日本付近の温帯低気圧では、寒冷前線だけが明確に認められることも多い。

地球上を大きくみると、温帯低気圧ができやすい、したがって寒冷前線温暖前線が現われやすいところは帯状に分布していて、そこは比較的温度の南北勾配が大きい。そういうところを今では「傾圧帯」と呼ぶことが多い (「傾圧」とは短く言うと「等圧線と等温線が平行でないこと」だ)が、昔からの「前線帯」という用語も使われる。温帯の主要な前線帯は、学説史的な事情によって、英語ではpolar frontal zone、日本語では「寒帯前線帯」と呼ばれる。

梅雨[Baiu]前線と呼ばれるものも、低気圧ができやすい前線帯、その中の低気圧、その低気圧の内部構造としての前線、という階層的構造を持っている。「梅雨前線」ということばは文脈によって大きな前線帯をさす場合と小さくて明確な前線をさす場合がある。梅雨前線では、温度の水平勾配は必ずしも大きくなく、水蒸気量(比湿)の水平勾配が大きい。

梅雨前線帯と似た亜熱帯前線帯は南太平洋や南大西洋にもあり、それぞれSouth Pacific Convergence Zone、South Atlantic Convergence Zoneと呼ばれている[convergence zoneは次に述べる「収束帯」]が、梅雨前線が停滞するのに対して南太平洋や南大西洋の前線は移動する。

熱帯では、温度の空間勾配は小さく、風の分布が主役なので、前線ということばはあまり使われず、風速ベクトルの収束に注目した「収束線」「収束帯」という概念が使われることが多い。

熱帯を大きく見たときの主要な収束帯として、熱帯収束帯 (英語 Intertropical Convergence Zoneを略してITCZ)がある。このintertropicalは北半球熱帯と南半球熱帯の空気がぶつかるところという意味なのか、あるいは単に熱帯という意味(語源的には両回帰線の間)なのか、両方の解釈を見た記憶がある。

日本ではかつて「前線」よりも「不連続線」ということばのほうがよく使われた。(いつごろ使われたか調べていないが、第2次大戦前だろうと思う。1960年代の入門書には古い用語という扱いで少しふれられていた記憶がある。) これも数量の空間勾配が大きいことを不連続にたとえているにちがいない。どの物理量に主に注目したものかもわたしは調べていないのだが、ヨーロッパの北緯45度以北で発達した前線の概念が温度勾配に注目しているのに対して、湿度や風向の不連続もとりあげようとした表現だろうと思う。