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科学者は政策決定にどうかかわるか (その2)

(3月21日の記事で書ききれなかったことの一部。本業での実践にあまりつながっていないので気がひけるのだが、読書で得た知識を提供することも社会への貢献かもしれないと思う。それにしても生煮えなので、今後も改訂するつもりである。)

科学者の行動規範は、科学者集団の自律、つまり同業の科学者による価値判断を基本としている。中山(1980)のいう「アカデミズム科学」、Gibbonsほか(1994)のいう「モード1」の科学だ。それは19世紀から20世紀への変わりめごろにいちおう確立したのだと思う。

科学に基づく技術が社会に大きい影響を与えると、科学は違う性格をもつ。中山のいう「産業化科学」および「サービス科学」、Gibbonsたちのいう「モード2」だ(わたしが前に書いたものも参照)。また、政策決定に寄与する科学は、「規制科学」(regulatory science)として設計するべきだという考えもある(中島, 2002の論考参照)。しかし、科学者の行動規範はいまだにアカデミズム科学のものが基本であり、それを否定すると科学はその強みを失ってしまうかもしれない(Ziman, 2000参照)。政策に役立つ科学のための行動規範は、まだよく発達していないのだ。

政策決定にかかわる人からの科学に関する問いのうち、価値判断を含むものをひとまず別にして、事実認識に関する問いに限っても、それは、科学者にとって、すぐに答えられるものでも、指定された期限までに研究を進めて答えられるようにすると約束できるものでもないことが多い。科学的問いではあるが科学によって答えられないこと、Weinberg (1972)のいう「トランスサイエンス」なのだ。そういう問いになんとか答えようとする、科学者とそれ以外の人々をまきこんだ活動が、FuntowiczとRavetz (1993)のいう「post-normal science」なのだろう。

気候変化については、専門科学者が自信をもって答えられることがいくつかある。「21世紀の気候変化は地球温暖化が主になるだろう」と表現してもよいかもしれない。しかし「主」以外の変化がないとは言っていないし、それについては「主」よりも不確かな知識しかない。また「地球温暖化」の「地球」と表現したところはglobalであって、ローカルな気候変化については不確かさは大きい。とは言っても、まったくの無知とは違う。

Schneider (2009)の言うことを参考にしたわたしの考えを述べる。政策にかかわる分野の科学者の発言は次の3つに分けられる。

  1. 客観的知識の提供。ここで仮に「客観的」と表現したが、厳密な意味で客観的であるとは限らず、科学者間で実際に見解が一致しているとも限らない。もちろん真である保証はない。重要なのは、科学者間で相互了解可能な方法(論理、統計的推論など)で裏づけられていることである。
  2. 主観を含む知識の提供。社会から科学への価値判断を含まない問いに対して客観的知識によって答えられない場合、科学者が個人としてもつ直観や経験をも動員して答える。
  3. 政策目標に関する価値判断と科学的知識とを前提とした、政策に関する発言。

実際の科学者がこのような区別を意識しているとは限らないが、なるべく区別して述べたほうがよいとわたしは思う。たとえばHansen (2009)のような、この区別を明示していない科学者の一般向け著作を読むときは、読む側で区別を判断しないといけない。

3は、科学者の役割の外だと考える人が多いだろう。しかし、科学者がここに踏みこまずに政策決定は政治家あるいは一般市民にまかせるべきであるとすると、せっかく科学に公共資金を投じても、政策に科学的知見が生かされないのではないか。一部の科学者が科学的知識を持った市民として積極的に発言していくべきなのではないだろうか。同時に、職業科学者と別に、科学を政策に反映させる人も必要であり、それを職種として確立していくべきなのかもしれないが。また、前提となる価値判断が(すべてとは言えないまでも)多くの人が支持するものであり、発言が特定の政策を推進するところまでしぼらずに政策の制約条件を述べるものである場合(PielkeのいうHonest Brokerはこれにあたるだろう)は、科学者の職務内で発言することも許されることはあるのではないだろうか。

文献

  • S. Funtowicz and J.R. Ravetz, 1993; Science for the post-normal age. Futures, 25, 739 - 755. [わたしはまだ読んでいない。]
  • M. Gibbons [ギボンズ], C. Limoges, H. Nowotny, S. Schwartzman, P. Scott and M. Trow, 1994: The New Production of Knowledge: The Dynamics of Science and Research in Contemporary Societies. London: Sage. 日本語版: 小林 信一 監訳, 1997: 現代社会と知の創造: モード論とはなにか丸善
  • James Hansen, 2009: Storms of My Grandchildren -- The truth about the coming climate catastrophe and our last chance to save humanity. London: Bloomsbury, 304 pp. ISBN 978-1-4088-0745-3 (pbk.)[読書ノート]
  • 中島 貴子, 2002: 論争する科学 -- レギュラトリーサイエンス論争を中心に。科学論の現在 (金森 修, 中島 秀人 編, 勁草書房) 所収。
  • Roger Pielke Jr., 2007: The Honest Broker. Cambridge University Press. [読書ノート]
  • Stephen H. Schneider, 2009: Science as a Contact Sport: Inside the Battle to Save Earth's Climate. Washington DC: National Geographic, 295 pp. ISBN 978-1-4262-0540-8. [読書ノート]
  • Alvin M. Weinberg, 1972: Science and trans-science. Minerva, 10, 209 - 222. 次の評論集に再録。Alvin M. Winberg, 1992: Nuclear Reactions: Science and Trans-Science, New York: American Institute of Physics, 3 - 20.