macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

北極海の海氷の減少傾向には風が働いている。ただし、温暖化が働いていないとは言っていない。

北極海の海氷の広がりは、人工衛星による観測が継続されている最近30年間ほどを通してみると減少傾向がある。これは地球温暖化の一つの現われであり温暖化を強める要因でもあると考えられることが多い。とくに2007年9月に観測史上最小になったことは大きく話題になった。

(ここでの「海氷の広がり」(英語sea ice extent)という用語は、「海氷面積」(sea ice area)と近い概念だが、区別しておきたい。海を30キロメートル四方くらいの升目に区切って考える。ひとつの升目を、たとえば飛行機で上から見たとすると(雲にさえぎられないとすると)、升目の内に海氷に覆われた部分と水面の部分がある。この海氷に覆われた部分の面積だけを広域に集計したのが「海氷面積」だ。他方、升目のうち海氷に覆われている割合があらかじめ決められた数値(たとえば15%)以上の升目の面積全体を集計したのが「海氷の広がり」あるいは(ここでは使わないが)「海氷域面積」だ。) [2010-04-16追記: 実際には人工衛星でマイクロ波を観測するので、升目の内側の詳しい氷の分布はわからないのだが、複数の波長のシグナルを組み合わせることによって氷と水面との面積比は知ることができる。]

今月(2010年3月)になって「海氷の減少の原因は風であって温暖化ではない」という説が、英語圏の多数のウェブサイトで見られる。そのうちには、海洋研究開発機構のわたしと同じ研究チームで仕事をしている小木雅世さんが第1著者となっている論文

  • M. Ogi, K. Yamazaki, and J. M. Wallace, 2010: Influence of winter and summer surface wind anomalies on summer Arctic sea ice extent. Geophysical Research Letters, doi:10.1029/2009GL042356, 37, L07701, doi:10.1029/2009GL042356. (小木さんのホームページにある著作リストの13番)

を参考文献としてあげているものがある。

この論文は、確かに海氷の広がりと風との関係を述べているが、海氷の広がりと温暖化(全球平均気温の上昇という意味でも、人間活動起源の温室効果の強化という意味でも)の関係に関しては何も言っていない。この論文にふれた話に海氷の減少と地球温暖化との関係を否定する主張が含まれているならば、それはこの論文の主張ではなく伝えた人が追加したものなので、ご注意いただきたい。

小木さんは、1979年から2009年までの31年間の9月の北極海の海氷の広がりの年々変動(経年変化傾向を含む)の原因をさぐろうと、海氷と気象のデータを組み合わせたデータ解析をして、海氷の広がりの減少に伴いやすい風のパタンを抽出した。その結果は、風が海洋表層の流れを作りそれによって海氷が北極海の出口(フラム海峡)に向けて流されるという因果連鎖とつじつまがあっている。31年間を通した経年変化傾向を直線的減少とみなすと、経験的にそのうち約3分の1が風で説明できることが示された。

この論文は、科学雑誌Natureの3月18日号のResearch Highlightsという欄に紹介された。

そして3月22日に次のように報道された。まず、イギリスの新聞Guardianには、David Adam記者の署名入り記事が出た。

ここまでは論文の結果をすなおに伝えたものだと言えると思う。

イギリスの新聞Telegraphのニュースブログには、環境問題解説者Geoffrey Lean氏による記事が出た。

これ以前にLean氏自身を含む多くの人が、海氷の減少を単純に温暖化に結びつけて「温暖化が加速している」という報道をしたらしい。新しい論文の結果を見て、海氷の減少をすべて温暖化と考える必要はない、したがって、温暖化は前に思ったほど加速しているわけではなさそうだ、と、考えなおしているようだ。

ところが、イギリスの新聞Daily Mail (大衆紙)は次のような見出しをつけてしまった。

本文を読むと、風以外の要因として大気と海洋の温度上昇(グローバルではなく北極海域のことだが)をあげている。著者たちは地球温暖化も氷をとかすことに寄与していることを疑っていないとも伝えている。これらは同じ日だが早い時刻に出たGuardianの記事にもあり、それを引き継いだものかもしれない。しかし見出しは、経年変化傾向ではなく2007年の極小値を話題にして、その原因が地球温暖化ではないと言っているようだ。もっとも "much of" があるので全面否定ではないようだ。言いたいことはLean氏と同じなのかもしれないが、わかりにくい。

そして、アメリカのテレビ局Fox Newsのウェブサイトの記事は、本文ではやはり大気と海洋の温度上昇にふれてはいるのだが、見出しは温暖化との関係を否定するものになってしまった。原論文にもリンクしているのだが、Daily Mailを参照しており、その論調を引き継いでしまったようだ。

ここまで例をあげた限りでは、はっきりまちがっているのはFox Newsの見出しだけだ。ところが、Googleなどでキーワード検索すると、海氷の減少と温暖化との関係を否定するようなメッセージをのせたサイトがたくさんひっかかる。アメリカなど英語圏の多数の個人が、自分のブログ記事や他人のブログへのコメントで広めているのだ。温暖化に懐疑的な論調でも、海氷の減少は温暖化とは関係ないと決めつける飛躍した議論もあり、全部温暖化のせいにするべきでないというもっともな議論もある。検索結果の表示を見て、飛躍した議論が多いという印象を受けた。しかし中身に立ち入って読んだ例はわずかなので、この印象は確実ではない。

この件はともかく、地球温暖化に関連する科学研究についての英語圏の報道にはこのところまちがい(もしかすると意図的曲解)が珍しくない。議論の根拠として使う際には、ネット情報をうのみにせず、原論文の要旨を確認してくださるようお願いしたい。

さて、小木さんの論文から、海氷減少のどれだけが地球温暖化によるかを論じることができるだろうか。

わたしは、要旨だけを見たとき、風による3分の1が自然変動で、残り3分の2が地球温暖化に対応するような気がした。しかし、もう少し考えてみると、そういう対応づけは必ずしも成り立たない。

風によるもの以外がみな温度の上昇に伴うものとは限らない。しかも、北極域の約百年の温度の変化は、人為起源の温室効果強化と数十年規模の自然変動とが同じ桁の変動幅で重なったものと思われる。最近約30年間の変化傾向への両者の寄与を分けることは困難だ。

また、風も気候システム内部の要素であり、温暖化に伴って変化するだろう。小木さんの結果の図を見ると、海氷を減らすように働く冬の風のパタンが1990年代後半以降に出やすくなっており、温暖化に伴ったものとは限らないが、その可能性はありそうだ。

こう考えてみると、この論文から、自然変動と人為起源温暖化との両方がきいていることが示唆されると定性的には言えるものの、定量的重みの推測には至らないと思う。

しかし、この研究によって、海氷の広がりを変化させるしくみに関する理解が進んだことは確かであり、それは海氷の減少に対する人為起源温暖化の寄与を調べる人にとっても役立つと思う。