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IPCCの報告書の質を改善するための方策、とくに査読手続きに関するくふう

IPCCの報告書にしっかりした裏づけのない記述があったことの再発防止策として、科学者たちが議論していることを断片的に聞いた。断片的情報なのでわたしが誤解しているおそれがあるが、基本的に、IPCC報告書自体の査読も、また材料として査読済み文献を使うという原則も、もっときびしくしようと考えているように思われた。議論しているのはIPCC第1部会にかかわってきた科学者たちなので、自分たちはしっかりやったと思っており、第2・第3部会も自分たちと同じようにやるべきだと言っているのではないかと、わたしには思われた。

わたしの意見は少し違う。第2・第3部会の内容は既存の学問分科におさまらないものが多いので、査読済み文献にこだわらないほうがよい場合もあると思う。また、第4次での失敗は、少なくともヒマラヤの氷河の件に関する限り、査読の不足よりもむしろ、査読者コメントにしっかり対応しなかったことだった。(最終段階の査読で不備を指摘されても、もはや対応する時間が残っていなかった、ということかもしれない)。

そこで必要なのは、編集作業にたずさわるスタッフの増強だと思う。編著者が査読者コメントに対応することを助けたり催促したりする人、また、文献参照が正しくなされているか、文献自体がアクセス可能なところにあるかなどを確認する人が必要だ。これまでの報告書でも、編者として、各作業部会の共同議長のほかにそれぞれの技術支援ユニット(Technical Support Unit)のなん人かの名前がはいっている。実際に働いた人はこれだけではないと思うが、今後はもっと人数が必要ではないだろうか。また、各章の編著者(とくにCoordinating Lead AuthorやReview Editor)にも負担がかかるので、そこにも人をつけるべきだろうと思う。ただし、現在のIPCCを支えるお金のつけかたの体制が変わらないとすれば、IPCC自体が人を雇うことはほとんどできないから、各国に編著者本人だけでなく補佐の人の労働の提供も要請するという形になるのかもしれない。編著者に期待される特性は、内容を深く理解するとともに評価できることだが、編集スタッフに期待される属性は、文献参照の抜けやまちがいなどの形式的な問題点を見落とさない注意力、それを権威ある編著者にも遠慮しないで指摘するコミュニケーション能力、編著者と自分たちの仕事量を見積もって日程を組む能力などだろう。内容に関する判断は自分でするのではなく専門家に求めるのだが、それができる程度の背景知識はほしい。報告書が出たあとはなくなってしまう予定の業務に、能力のある人が来てくれるかどうかが問題だが....

査読とそれを受けた改訂のくりかえし回数はなるべくふやしたい。しかし、報告書の原稿全体をいっせいに査読してもらう形では、査読の回数をふやすのは困難だろう。 報告書の編成を変える場合は別だが、各部分内の修正については、常時少しずつ修正し、修正前後の状態が確認できる形で公開されているのが望ましいのではないだろうか。世界にはまだインターネットアクセス困難な国・地域もあるのでそういうところから査読に参加する人には特別な配慮が必要だが、それ以外の査読者に対しては、常にインターネット上で参照可能にしておけばあまり手間はかからないだろう。すでに、Wikipediaにならった方法をとったらどうかという人はあちこちにいる。ただし、3月7日の記事で書いたように、Wikipediaやblogは速い応答に偏りすぎる。もう少しじっくり取り組む人に適した道具だてにするべきだ。European Geoscience Unionの学術雑誌(たとえばHydrology and Earth System Science (HESS))などで採用されている公開査読(public peer review)のほうが近いのではないかと思う。HESSに投稿した論文は、まずHESSD (DはDiscussions)というサイトで、未査読だが公開された情報となる。そこに、編集委員から依頼された査読者のほかに、一般の読者がコメントを書きこむことができる。ただし、他の多くの学術雑誌の査読が匿名であるのと違って、ここでは名前を明示して発言することになる。

第4次報告書のときは、査読者を公募したのだが、そのことがあまり広く知られていなかったと思う。著者は政府などから指名された人に限られていたので、査読者もそうだろうと思って準備しなかった人が多かったと思う。次の回は、査読者公募の情報はまたたく間に広がるはずだ。そうすると、前回よりも桁違いに多い数のコメントが届いてしまう可能性がある。上に述べた、編集スタッフの人を増員することと、オンラインで査読を受けつけてそれが公開されるしかけを用意しておくことの両方が、ますます必要なのではないだろうか。

なお、査読の質を上げず手間だけふえるのでやってほしくないことだが、特定の意見を持った人がおおぜいを動員して同じことを言わせることが、きっと起こるにちがいない。査読コメント受けつけのオンラインシステムには、すでに受け取ったものと同文のコメントは拒否するしかけを組みこめると思うが、実質的に同じだが表現は違うものはどうするか。受けつけられた査読コメントのデータベースの管理者の判断で同類と思われるものを束にしておく機能もほしくなる。

[ここから2010-04-01加筆]
ここまでは、現在のIPCCの、約5年間かけて報告書をまとめ政府代表の承認を得るというしくみが変わらないことを前提として考えた。政府代表の承認を得る手続きはあまり頻繁にできないと思うが、それが不要ならば、改訂はもう少し頻繁にできたほうがよい。ただしあまり忙しいのも困る。明らかなまちがいがわかった場合は緊急訂正する、各項目を少なくとも1年に1回見なおして必要があれば改訂する、報告書全体の構成は5年から7年に1回見なおして必要があれば変更する、というのがよいのではないだろうか。