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えんえんと、永遠と

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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「永遠と」という表現はまちがいだ、ただしくは「えんえんと」だ、という主張を読んだ。(「えんえんと」を漢字でどう書くべきかという問題もあるのだが、それはあとの5節でのべる。)

わたしは、これは、まちがいというよりも むしろ、日本語のうつりかわりのなかで、あたらしい表現ができてきた例というべきだと思う。長い時間きれめなくつながっていることを「永遠と」と表現すれば、意味はつたわるだろう。

ただし、学生の原稿をチェックするたちばになれば、わたしは「永遠と」をそのままみとめず、書きかえさせるだろう。もし説明する時間がとれれば、「自分はそれでもよいと思うが、世の中にはそれがまちがいだという人が多いから、がまんして世の中に適応したほうがよい」というかもしれない。

もし日本語を書くのに漢字がつかわれなくなっていたら、「えーえんと」はもう公認されているだろうと思う。しかし現実の日本語圏はそうなっていない。

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現代日本語の発音の規範では、「えんえんと」と「えーえんと」とは区別される。(「えー」と「えい」の問題はあとの4節であつかう。)

しかし、実際の発音では、両者が区別されないことがよくある。

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ここには、発音のうち、鼻母音という種類の音のあつかいがからんでいる。

日本語の「ん」は、発音の要素としてとらえると、ややこしいものだ。「ん」は1拍の長さの鼻音であることはたしかだ。しかし、具体的な発音は、前後の音によってちがってくる。

  • t, d のまえでは n
  • p, b のまえでは m
  • k, g のまえでは ŋ
  • 母音のまえでは、そのまえの母音が鼻音化された鼻母音。

鼻母音を、母音字のうえに波形 (tilde) をのせたかたちでかくと、「e」 につづく「ん」は 「ẽ」となる。「えんえんと」は、「e ẽ e n to」となる。他方、「えーえんと」は「e e e n to」だ。だが、途中の母音が鼻音化しているかしていないかだけの区別はききとりにくい (話すがわでも、確実に区別できるように発音するのはむずかしい)。区別がききとれなければ、事実上の同音語ということになる。

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「えい」と「えー」は、現代日本語の発音の規範で、区別がない。(区別する人もいて、そのうちには むかしの発音をのこしているばあいもあるもしれないが、文字表記に発音をあわせている人も多いと思う。)

現代日本語の文字表記でどう書かれているかは、その語の由来によってちがう。漢字音のばあいは「えい」と書かれる。やまとことばのばあいは、この音列の出現頻度がすくないが、 (「おねえさん」など)「ええ」もある。近代の外来語は「エー」が多い。1960-70年代に読み書きを身につけたわたしは、ほとんどが「エー」だと認識した。そのうち英語由来のものは、英語の発音に忠実ならば「エイ」のほうがよいはずで、英語の発音をつたえるという特殊な文脈ではたしかに「エイ」と書かれていたのだが、日本語にとりこまれた外来語としてはほとんどが「エー」だったのだ。(「エイ」と書かれる慣例ができた語は、すくないが、ある。たとえば、「8」にあたる「eight」は「エイト」であって、「エート」となることはまずない。) しかし、ちかごろ(2000年ごろからか?)の日本語圏では、これまで「エー」とかかれてきた語が「エイ」とされることもふえて不統一になった、という印象をもっている。

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「えんえんと」が正しいとして、それを漢字で書くならば「延々と」が正しいとされることがある。しかし、それとはちがう漢字づかいを見たおぼえがある。

わたしは、ほんものの辞書をひくのをさぼっているが、いくつかネット上の辞書由来らしい情報を見た。すると、「蜿蜒と」ということばがある (「蜿々と」 「蜒々と」という形もある)。その意味は、およそ「蛇のようにうねりながら長くのびていること」らしい。「蜿」、「蜒」それぞれの漢字の意味は、わたしはまだ確認できていない。蛇のようなものか? ミミズのようなものか? ヤスデのようなものか? あるいは動物の種類ではなくてもともと状態をあらわすことばなのか?

一例として「コトバンク」の「蜿蜒」の「デジタル大辞泉の解説」を引用しておく。

蜿蜒・蜿蜿ヱンヱン・蜒蜒エンエン
[ト・タル][文][形動タリ]蛇がうねりながら行くさま。また、うねうねとどこまでも続くさま。「蜿蜒長蛇の列をなす」
「二条の鉄路の―たるが」〈堺利彦・望郷台〉
https://kotobank.jp/word/%E8%9C%BF%E8%9C%92-447318

「蜿蜒と」とは別に「延々と」ということばがあったのだろうか、あるいは、「当用漢字」の時代に、「蜿蜒と」の書きかえとして 「延々と」という表現ができたのだろうか? 書きかえだとして、「延」の字は単に (現代日本語のなかでの) 発音をたもつあて字としてえらばれたのだろうか、(古典漢語も考慮して)「蜒」の単語家族の字がえらばれたのだろうか?

近ごろつかわれている「えんえんと」ということばは、うねっているという意味はふくまないようなので、「蜿蜒と」の書きかえでなく、別の「延々と」ということばとみなすべきだと、わたしは思う。

【泣き声の「えんえんと」は別の語だろう (アクセントで区別されることが多い)。】

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「永遠」が連用修飾語 (動詞などにかかることば) としてつかわれることは、むかしからあった。ただし、「永遠に」という形だった。

(この「永遠に」は、「永遠な」という形にはならないので、学校文法でいう形容動詞ではない。連体修飾語 (名詞にかかることば) になるときは「永遠の」という形だ。品詞としては、「永遠」という名詞に「に」という助詞がついたものとみるべきなのだろう。)

「永遠と」は、「永遠に」と、意味のかさなりはあるが同じではない。「永遠であるかのように」に近いかもしれない。