【この 記事 は まだ かき かえる こと が あります。 どこ を いつ かき かえた か、かならずしも しめしません。】
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わたし は 日本語 の 文字づかい に ついて、漢字 を やめて かな だけ に して も よい と おもって いる。この かんがえ は、梅棹 忠夫 [うめさお ただお] さん の 『知的 生産 の 技術』 そのほか の 著書 の 影響 を うけた もの だ。その こと は、[2017-07-08 の 記事] に かいた。
しかし、漢字 かな まじり の 文章 と ならべられる と、かな だけ の 文章 は 印象 が ちがい すぎる。そこ で、梅棹 さん も やって いる よう に、漢字 を 音よみ で は つかって よい が、訓よみ で は 原則 と して つかわない、と いう こと に する。(例外 と して は つかう こと が ある。)
すで に 漢字 まじり で かかれた 文章 に ついて、単純 に 漢字 を かな に かえる と、意味 が わからなく なる こと が ある。ことば を えらび なおす 必要 が ある。かな で かいて わかる こと は、ほぼ、おと と して きいて わかる こと と おなじ だ。あたらしく かく ばあい に かぎれば、この よう に ことば が かわって いく の は よい こと だ と おもう。
しかし、漢字 を へらして かな に かえる と (文字 表記 だけ かえる と して も、ことば を おき かえる と して も)、文字数 が ふえる。
しかも、かな が つづく と、意味 の きれめ を とらえ にくい。ローマ字 (ラテン アルファベット) を つかう ばあい と 同様 に 単語 の あいだ を あける 「わかちがき」 を する べき だ [注]。ただし、わかちがき の ため の あき を 文字数 に かぞえる と、ますます 文字数 が おおく なって しまう。 (この ブログ 記事 で は、あき は アルファベット の 空白 を つかった ので、おおく の ブラウザ で、漢字 や かな の 半分 の はば に みえる だろう。それでも み-なれた もの より は まのび して みえる と おもう。)
- [注] 英語 で a word は、ふつう、空白 を あけないで つづけて かかれて いる 文字列 を さし、文法 を ほとんど 意識 しないで つかわれて いる と おもう。日本語 で も、もし これから わかちがき が あたりまえ に なって、みんな だいたい おなじ きりかた を する よう に なれば (こまかい ちがい は あって よい)、同様 に なる と おもう。しかし、いま は わかちがき を する ひと の あいだ でも 流儀 の ちがい が ある。カナモジカイ の やりかた は、だいたい 学校 文法 で いう 「文節」 で くぎって いる。ただし 複合語 は 学校 文法 で いう 単語 よりも こまかく 構成 要素 ごと に わける。わたし は、『知的 生産 の 技術』に ならって、かながき で も ローマ字 の ばあい と おなじ よう に こまかく わける こと に した。学校 文法 の「単語」と は いくらか ちがう が、「単語 わかちがき」と いえる と おもう。
- [注の補足 (2017-12-04)] この わかちがき の 単位 が 学校 文法 で いう 単語 と いちばん ちがう の は、学校 文法 で いう 「助動詞」 の あつかい だ。学校 文法 の 用語 を つかって 近似的 に 説明 する と、「助動詞」 の うち、「動詞」 の 「終止形」 または 「連体形」 に つく もの は わける が、「連用形」 や 「未然形」 に つく もの は つなげる、と いえば だいたい よさそう だ。
いま の 日本語 の 印刷 文書 で は、漢字 も かな も ひと文字 あたり の 面積 が おなじ な の が ふつう だ。そこ で 漢字 を へらす と、おなじ 情報量 を つたえる の に 場所 を よけい に とる。また、掲載料 を だして もらう ばあい や、原稿料 を もらう ばあい は、「みずまし」に なる こと は 気 が ひける。それ で、わたし は、おおやけ に なる 文章 で あまり 漢字 を へらせなかった。
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ひらがな、かたかな の ほとんど の 印刷用 や コンピュータ用 の フォント は、字 が おさまる わく を、漢字 と おなじ おおきさ の 正方形 に して いる。しかし、かな は 平均 すれば 漢字 よりも 画数 が すくない から、漢字 よりも ちいさく して も よめる はず だ。
これまで の ほとんど の フォント は、たてがき を 前提 に 設計 されている。よこがき を 前提 と すれば、かな の 字体 は たてなが に する の が よい と おもう の だ が、そう いう フォント は なかなか みつからない。
カナタイプ (かたかな の タイプライター) や、それ を 参考 に した ひらがな タイプライター で は、欧文 (ローマ字) の タイプライター と おなじ 機械 の しくみ を つかった ので、活字 に あたる タイプフェース は たてなが に なって いる。タイプライター は かな だけ で 文章 を かく こと を 想定 した もの だ が、漢字 に まぜる ばあい に も このような フォント が つかえる と おもう。まぜた ばあい、かな の よこはば は 漢字 の 6わり くらい に なる だろう。
そのような フォント が ある か と いう 疑問 を かいたら、Shiki Okasaka さん が、「ツルコズ」と いう フォント が ある こと を おしえて くださった。祖父江 慎 [そぶえ しん] さん が デザインしたもので、https://www.typebank.co.jp/kanabank/s-sobue/ の ページ で 紹介 されて いる。その フォント は モリサワ から 商品 と して でて いた こと も ある そうだ が、いま は でて いない。
この うち かたかな は、カナモジカイ の マツサカ タダノリ [松坂 忠則] さん が 1930年 に 発表した「ツル 5号」と いう 書体 だ そう だ。字 の うえ の ほう の よこ線 を そろえる と いう 特徴 が ある。また、「イ」 など の 字 の うえ の 部分 が その よこ線 から おおきく うえ に でる。わたし に は、この おおきく うえ に でる ところ が、どうも なじめない。しかし、1970年代 に カナモジカイ の 出版物 『カナノ ヒカリ』 など で つかわれて いた 字体 は、だいたい 同様 な の だ が、うえ に でる ところ は みじかく なって いた。それ ならば、わたし は なじめる。
ひらがな は 祖父江 さん が あたらしく デザイン した もの で、マツサカ さん の かたかな に ならった もの だ と いう の だ が、よこ線 が そろって いない。ひらがな は もともと まっすぐ な よこ線 を もって いない ので、そろえよう と いう 発想 が おこらなかった の も 無理 は ない。しかし、わたし は、近似的 に そろえた ほう が よい と おもう。
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マツサカ さん の カナタイプ用 の 書体 の 設計 は、おおまか に ローマ字 の 小文字 の かたち に ならった もの だ と おもう。
ローマ字 の 大文字 は、一定 の たけ を もち、ほとんど の ばあい に それ が しめ うる わく の うえ の はし [上端] から した の はし [下端] まで とどいて いる。かり に、いえ [家] に たとえて、うえ の はし を「やね[屋根]」、した の はし を「土台」と よんで おく。
小文字 を かたちづくる 線 の 大部分 は 大文字 の たけ より は だいぶ せまい おび の うちがわ に ある。この おび の 両はし を、かり に「天井[てんじょう]」、「ゆか[床]」と よぶ こと に する。ローマ字 の ばあい は、この うち ゆか の ほう が だいじ で あり、英語 で base line と いえば そちら を さす と おもう。
小文字 の うち に は、天井 よりも うえ や、ゆか よりも した に つきぬける 部分 を もつ もの が ある。その 部分 が やね や 土台 に とどく か どう か は 統一 されて いない と おもう。
カナタイプ用 の 書体 も、同様 に、大部分 が「天井」と「ゆか」の あいだ に おさまる が、ときどき うえ や した に つきぬける よう に つくられて いる。ただし、ローマ字 小文字 の ばあい と ちがって、「天井」の ほう が「ゆか」よりも だいじ な 線 だ。そして、それぞれ の 文字 の うえ の ほう に よこ線 が ふくまれる ばあい に は、その よこ線 を「天井」の たかさ に そろえる よう に デザイン されて いる。この よこ線 の そろえかた は、デーヴァナーガリー 文字 や チベット 文字 など の インド系 の 文字 に みられる もの に にて いる と おもう。(デーヴァナーガリー 文字 の ばあい は、よこ線 を つないで しまう ので、印象 が ちがう が。)
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わたし は、ひらがな の 書体 も、カナタイプ用 の かたかな の 書体 と おなじ 原則 で デザイン した ほう が よい と おもう。
残念 ながら、わたし は デザイン を する 能力 が とぼしい し、計算機上 で 略図 を かく こと さえ にがて に なって しまった。
ひとまず、ひらがな の 書体 が どんな もの で あって ほしい か を ことば で かいて みる。
まず「あいうえお」についてみると、「あ」「う」「え」「お」の それぞれ うえ の ほう に ある よこ線 が 「天井」に のる。「あ」と「お」の たて の 画[かく] と、「う」と「え」の うえ の 点 は、「天井」よりも うえ に つきぬける (「やね」に とどいて も よい)。「お」の 点 は だいたい「天井」に のる。よこ線 の ない「い」は、両方 の 画 の うえ の はし が 「天井」に とどく よう に する。したがわ で は、「う」の はらい は「ゆか」よりも した に つき ぬけ、「土台」に とどく。「あ」「お」の した の はらい も、「ゆか」よりも した に でて も よい (「でなければ ならない」 と は しない)。
「う」の ほか に、「ゆか」よりも した に つきぬける 字 に「す」「ゆ」、つきぬけて も よい と する 字 に「ち」「つ」「の」「み」「め」「ら」「ろ」「わ」が ある。「し」は、「ゆか」よりも した に のびて「土台」に むかう、「ゆか」に そって みぎ に むかう、「ゆか」から みぎうえ に まがる、など の かたち が かんがえられ、フォント デザイン ごと に かわり うる と おもう。「そ」も 同様 だろう。「て」は した に のびる か、まっすぐ みぎ、「も」「れ」は まっすぐ みぎ か、みぎうえ が かんがえられる。「こ、せ、た、と、に、を」の おわり の ところ は「ゆか」を まっすぐ みぎ で よい と おもう。「き」「さ」の おわり の 画 は、ほか の 部分 から はなれた かたち を 採用 して、「ゆか」から みぎした に のびる の が よい と おもう。
文字 の した の ほう に まる があるばあい、まる は 「ゆか」の あたり に くる。デザイン と して まる の 中心 を「ゆか」の 線 に おく の が よい と おもう。これ に あてはまる の は「な、ぬ、ね、は、ほ、よ、る」だ。「み」の まる も ふくめる か どう か は むずかしい。「お」は ふくめず、まる の した の はし を「ゆか」に あわせる の が よい と おもう。
文献
- 梅棹 忠夫 [うめさお ただお] , 1969: 知的生産の技術 (岩波新書 青版 722, F93) 岩波書店。ISBN 978-4-00-415093-0。[読書メモ (2018-06-03追加)]