【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】
【この記事は、個人的事実と感想を述べたもので、社会に対する主張を述べたものではありません。】
ネット上で「ソレソシレ」という文字列を見かけた。「悪口を言う」と似た意味の「そしる」という動詞は知っているが、それを命令形で使うのはおだやかでない。発言の文脈を見ると、そういうことではなさそうだ。
「ソレソシレ」は、携帯電話で地震災害速報を受け取るサービス(わたしは利用していないので、この記述は正確でないかもしれない)で使われている音なのだそうだ。メロディーの断片のような、5つの音の列なのだ。それは、モーツァルトの小夜曲[注]の冒頭に出てくる音の列と同じだそうだ。「小夜曲からとった」と表現する人もいたと思うが、もっと古くからあった基本的な分散和音だと思う。
- [注] この曲の名まえをわたしはドイツ語のeine kleine Nachtmusikで覚えており、「しょうやきょく」などとは言わないのだが、ここでは文字数節約のためにこの表現を使うことにする。
しかし、小夜曲の冒頭ならば、わたしにとっては、「ド ソド ソドソドミソ」でしかありえない。
しばらく考えて、この曲はト長調だったらしいことに気づく。わたしの知っているふしで、ト長調ならば、「固定ド」で音の名まえを読めば、「ソ レソ レソレソシレ」になるだろう、ということはわかる。ただし、わたしがそれにたどりつくには、音階を上がり下がりしながら音の数をかぞえる作業が必要だ。
わたしの音階の認識は、「移動ド」なのだ。終止音をドとすると決まっているわけでもなく、全音・半音の配列で判断しているようだ。わたしは、長調のメロディーと聞こえればその主音がド、短調のメロディーと聞こえればその主音がラと認識する。「君が代」の初めと終わりの音はレと認識している。いわゆる「みやこぶし」はミファラシレミと認識する。「中国地方の子守歌」 (山田耕筰 編作)の場合だと、メロディーの中心になっている音(「主音」といえばこちらだろう)はミ、終止音はシだ。ピアノの黒鍵だけひくと「ドレミソラ」と認識する。これは嬰ハ長調を移動ドでとらえていることになるのだろう。
わたしは音楽を聞くときには常に移動ドで意識してきた。「絶対音感」が身につかず、相対音程だけで認識している。わたしにとってはそれが自然なのだ。
子どものころ、オルガン(リードオルガン)やピアノをならったことがあり、学校の合奏では率先してアコーディオンをひいた。鍵盤楽器の演奏のときは、固定ドの音名も使ったはずだが、身についていない。思いかえしてみると、わたしが鍵盤楽器で確実にひけるのは、ハ長調・イ短調、あるいは黒鍵で5音音階の嬰ハ長調・嬰イ短調の曲だけなのだ。それ以外の調は苦手だ。メロディーを移動ドで、鍵を固定ドでとらえているので、瞬間的に読みかえができない。鍵の位置を音名でなく指の動きで覚えないとひけないのだ。
移動ドに慣れたひとつのきっかけは、小学校の合唱部だったと思う。たとえば、「ドミソミド」を半音ずつ上げてくりかえしていくような練習があった。もし実際に「ドミソミド」と声を出していたならばまさに移動ドの練習なのだが、そうではなく無意味な音列だったかもしれない。それにしても、転調してメロディーの主音が変わったらすぐ新しい調に慣れる習慣ができた原因ではあると思う。
もうひとつの要因は、楽譜の読み方・書き方の教科書のような本(普通科高校の音楽の教科書よりは詳しい、たとえば音楽選科の教科書くらいのもの)を、わりあい熱心に読んだことだ。そこには、ハニホヘトイロやCDEFGABは「音名」で高さが固定されるが、ドレミファソラシは「階名」で固定されないと書いてあった。つまり「移動ド」の立場が書いてあったのだ。ただし、イタリアやフランスにはドレミを「音名」として使う人もいるとも書いてあった。(なお、その本で「移動ド」「固定ド」という表現をしていたかどうかは確かでない。わたしは別の本で知ったのかもしれない。)
音名をハニホヘトで言うならば、小夜曲の冒頭は、「ト ニト ニトニトロニ」となる。わたしはそれに慣れていないが、慣れることができそうに感じる。(固定ドの「ソレソシレ」のほうは、どうにもなじめない。)
子どものときにもどって鍵盤楽器を学びなおすならば、鍵の位置はハニホヘトかCDEFGで覚えるべきだった。そうすれば移動ドのドレミと混同することなく操作することができたかもしれない。