macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

SPEEDIに期待された機能、それをどうやって実現するか

【[おことわり] わたしは気象学の専門家ではあるが、とくに原子力防災を専門とするわけではないし、その関連の政策に対してとくに発言力があるわけでもない。ここに書くのは、個人としての意見を表明し、できれば政策決定にかかわる人にも読んでいただきたいと思うからだ。】
【[おことわり] いつものことだが、わたしはブログ記事を書いたあと修正することがあり、その際に、いつどこを修正したかの表示は省略することがある。】

- - -

原子力規制委員会が、今後の原子力施設事故の際の住民の避難計画に、SPEEDIを使わないことにしようとしているという報道があった。これは決定ではなく検討中の案であるとわたしは理解している。それに対して、「SPEEDIを使わないのは安全軽視だ、けしからん」という声と、「SPEEDIはどうせ役にたたないのであり、捨てるのが正しいのだ」という声が聞かれた。どちらの意見も、原子力発電所の再稼動への賛否のいずれの立場の人のうちにもあるようだ。わたしは、どちらの意見も、SPEEDIというものを、「機能が箱づめされて固定され、そのまま何年も使わずに保存することができ、いざというとき取り出せばすぐ使える装置」のようにとらえたために、極端になってしまったのだと思う。SPEEDIに期待されるのはどんな機能であり、それをこれからはどのように実現していったらよいか、という考えかたをするべきだと思う。

- - -

SPEEDIとはどんなものかについては、中島ほか(2014)の本のなかに解説がある。

- - -

わたしの理解では、SPEEDIは次のような働きをする部分からなっている。

  • (0) 放射性汚染物質発生源となりうる施設の周辺での放射線量を計測する。
  • (1) 汚染物質発生量を推定する。
  • (2) 気象状態(風向風速の分布など)を予測する。
  • (3) 風による汚染物質の輸送を計算する。
  • (4) 汚染物質の地表への沈着を計算する。
  • (5) 空気および地表から人体におよぶ実効線量を計算する。

このうち(0)のための観測網(中島ほかの本では「モニタリング設備」という表現になっている)の少なくとも一部分は、国の予算の枠組み上、SPEEDIに含まれていた。(SPEEDIに膨大な費用がかかったという批判があるが、それには、この観測機器とその観測値をリアルタイムで集めるための通信機器が含まれていたのだ。) これはSPEEDIの立場から見れば(1)のために必要なのだが、(1)からさきのSPEEDIがなくても原子力防災のために有用なものだ。おそらく、この観測網は、規制委員会の議論で「SPEEDIを使わない」とした案でも、動作する限りは使うことを想定していると思う。

東日本大震災では、この(0)の観測網が使えなかった。(地震のせいで、停電で機器が止まったり、観測機器は動いていても通信ができなくなったりした。原子力事故で人が立ち入れなくなって機器の確認ができなくなったところもある。) したがって(1)の発生量の推定がすぐにできず、当時の計画に含まれていたような形では、SPEEDIを避難に役だてることができなかったのだった。

しかし、原子力事故はいつも東日本大震災のように起こるとは限らない。おそらく、地震津波に伴ったものでない事故ならば、観測網は使える可能性が高いだろう。

また、(0)の観測値が得られなくても、発生量として、単位量(たとえば1ベクレル毎秒)を与えて、そこからさきの計算をすることはできる。これでは人体への危険性を定量的に見積もることはできないが、汚染物質が集中的に発生した場所・時刻がわかっていれば、それがどの方向に多く動いていくかが推定できるので、避難の助けになったはずだ、と言う人がいる。わたしもそれはもっともだと思う。ただしその場合、SPEEDIの全機能ではなくて一部分の機能があればよいことになる。

(2)は、気象庁の数値予報が、かつてSPEEDIが設計されたころよりも細かくなっているので、その結果を受け取って使えばよいだろう。(もちろん、気象庁の計算機システムあるいはそこから(3)の計算をするところへの通信がこわれる可能性も、まったくなくはないが。)

(4)のところが、気象学の知識から見て、たとえ計算はできても有用でないかもしれないのだ。風によって運ばれた放射性物質の地上への沈着は、雨や雪に伴うものが多い。雨や雪の数値予報は、空間規模100km程度の地域のどこかに降るだろうという意味では、かなり確かになってきた。しかし、その地域の中を空間規模1kmごとに分けて見たときにどこにどれだけ降るかは、おそらく将来とも、精度よく予測はできない。数値予報で得られた空間分解能1kmの雨や雪の分布は、雨や雪がどの程度不均一に降るかの例にはなるが、それをもとに細かい場所ごとの汚染物質の沈着を予想して警戒しても意味はない。空間分解能の細かい情報がほしければ、実際に降った雨や雪の分布、あるいは実際に計測した線量を知る必要がある。

雨や雪が降らず、沈着が空気が直接地面に接することによるものだけである場合に限れば、上記の(1)から(5)を通した計算が有用なのかもしれない。しかし、多くの場合に有用なのは、雨や雪のことは考慮せずに(3)を計算したうえで、雨や雪についてさまざまな仮定をおいて(4)(5)を概算することだと思う。

- - -

なお、緊急時の避難の支援という目的を離れれば、あらかじめ避難計画をたてる際の基礎情報として、単位量発生源による計算を多数の日時について計算しておくことは有用である。

また、もし事故がおきてしまって発生源の観測ができなかった場合には、東日本大震災の後にされたように、単位量発生源による計算と遠方の観測を組みあわせて発生源を推定する、という使いかたもされるだろう。

- - -

さて、もしSPEEDIを緊急時の避難の支援に使いたいのであれば、常にそれを動かせる態勢を整えておかなければならない。それには、機械の問題と、人の問題がある。

計算機ソフトウェアは、それが設計された当時に存在した計算機で動くように作られる。そのままでは新しい計算機では動かないかもしれない。それだからといって、古い計算機を維持するのはだんだんむずかしくなる。いつかは更新が必要だ。その際に、古いソフトウェアを部分改訂して移植するのか、新たに設計しなおすのか、という問題がある。SPEEDIは設計しなおしたほうがよいと思う。(WSPEEDIをもとに改造で行く可能性はあるかもしれない。)

次に述べる人の問題をあわせて考えてみると、使う計算機は、古い設計のものでも、今の最先端のものでもなく、今の理工系の高等教育の場に普及しているものに近いものがよいと思う。ただし、防災に使われるものなので、個人用・学習用とは違って、故障しにくいといった意味で信頼性が高いものを選ぶ必要がある。

このシステムが役にたつためには、各地域ごとに、必要に応じていつでも計算ソフトウェアを起動できるように人を配置しておく必要がある。ふだんは、単位量発生源での計算を定期的にするのがよいと思うが、比較的ひまであり、緊急事態にだけ忙しくなるので、この人は別の業務を兼ねる形で雇われることになるだろう。どういう組織で雇うのがよいかという制度設計もあわせて考える必要がある。

- - -

なお、有志の個人や大学の研究室などが、このような計算をすることがあってもよいと思う。((3)だけになることが多いと思うが。) ただし、必要が生じたときに有志が必ず作業できるとは限らないので、これは公的な防災業務を担当する機関の仕事の代わりになるのではなく、それと並列に追加されるものになるだろう。情報発信の際には、その内容が何であり、それはどんな根拠に基づいて得られたものかを、まぎれなく示す必要がある。平常時に、発信の内容と説明がうまくできているかを認証する態勢もあったほうがよいかもしれない。

文献