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時計の身になってみたら時計の針は時計まわりなのか

回転の軸の方向をひとまず固定したとすると、その軸のまわりの回転運動の向きには、ある向きとその逆向きとがある。その向きを、どうやって伝えるか、という問題がある。

「右まわり」「左まわり」という表現がよく使われる。「右まわり」は、前に進むにつれて右にそれていくことを続けた結果としてできる回転運動の向き、ということができる。また、回転軸に垂直の面に向かって見たとき、面内を上側から右側にまわる向き、ということもできる。しかし、だれかが下側から右側にまわる向きを「右まわり」だと思ってそう言ってしまっていたら、聞き手がその違いに気づいて訂正することは、なかなかむずかしいと思う。また、「右」「左」ということばがすぐに空間の感覚とむすびつかない人にとっては、不便な表現だ。(わたしは、人に言われてすぐにはどちらかわからないことがある。字をかくことを右手だけでしているので、それとつなげればわかるのだが、それは他人のことばから自分の感覚へつながったのであって、自分が思ったことを他人に伝えるための用語を選ぶには、また別の連想をたどることになる。)

わたしは「時計まわり」「反時計まわり」という表現をよく使う。しかし、これは、世の中の時計(のうちで針の回転という形で時刻をしめすもの)のほとんどが同じ向きに針を動かしていることを前提としている。反対向きのものが、たとえば1割程度でもまざっている世の中だったら、この用語は成り立たないだろう。そうならなかったのは、この用語にとっての幸運だったのだ。(数学との関係では、極座標の偏角がふえる向きが時計まわりである、という不幸もあるが。)

ここで、ふと、ややこしいことに気づいた。「時計まわり」というのは、(人が)時計の文字盤に向かって見たときに針がまわる向きであって、文字盤の裏側から見たときに針がまわる向きではないのだ。たとえ世の中の時計の針がみんな同じ向きにまわっていても、時計の身になって考えたくなる人にとっては、「時計まわり」は、誤解を招きやすい表現なのだ。

「時計の身になる」はとっぴかもしれないが、気象の話題では前から同様な問題がある。

気象の初歩的知識として「低気圧では、反時計まわり(あるいは「左まわり」)に風がふく」のような表現がよく使われる。これは北半球の場合であって、南半球では逆だ、ということまでは、わりあいよく知られている。

しかし、あるとき、低気圧の構造と地上から見た雲の動きの関係の話をしようとしていて、思いあたった。

「北半球では反時計まわり」というのは、天気図という地図の上で見える渦の回転の向き、つまり上から(あるいは地球の外から)見たときの回転の向きなのだ。地上にいて空を見上げたとき、その回転は、時計まわりに見えるはずなのだ。(わたしは、気象学を教えているというのに、空の観察は苦手で、まだ自分でこれを確かめてはいないのだが。)

それ以来わたしは、「北半球で、低気圧は上から見て反時計まわりの渦となる」のような表現をすることにしている。

【気象衛星が撮影した雲画像で見える台風の渦は時計まわりなのか反時計まわりなのか、という話題にはもうひとつ別の問題がある(ここでは説明不足を承知で要点だけ述べておく)。台風は地表に近い高さでは(水平2次元的に見た意味で)低気圧だが、対流圏のいちばん上あたりでは高気圧なのだ。上から見える雲はおもに対流圏の上のほうのものなので、たぶん、対流圏上部の高気圧から(北半球ならば)上から見て時計まわりに渦巻きながら吹き出している風に伴うものが見えているのだと思う。しかし、対流圏下部の低気圧に上からみて反時計まわりに渦巻きながら吹き込んでいるものと見わけることはむずかしい。】

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[2019-09-25 補足] 天文で、太陽系の惑星(地球をふくむ)の公転の向きを記述するときは、軌道面を北側から (地球の北極のある側から) 見た回転の向きをいう約束になっている。自転の向きについても同様である。