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UTCPシンポジウム「脱原発シナリオをアセスメントする」

10月2日、UTCPシンポジウム「脱原発シナリオをアセスメントする」http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2011/10/symposium_on_nuclear_power_pla/ に出席した。UTCPとは東京大学「共生のための国際哲学教育研究センター」だ。

次の講演と総合討論があった。

  • 井野 博満:材料劣化・設計不備・立地不適などの技術的観点からみた危ない原発
  • 室田 武: 温暖化をめぐるワインバーグの亡霊
  • 大林 ミカ: 持続可能なエネルギー社会の実現
  • 吉岡 斉: 脱原発にロードマップは必要なのか、必要でないのか

井野氏(金属材料物性が専門)は、原子力発電所は原理的にすべてあぶないが、そのうちでも非常にあぶないものとして、老朽化したもの、設計ミスが疑われるもの、地震津波の危険の大きいところにあるもの、地震にみまわれて損傷したものがあると述べた。設計ミスが疑われるという話に出てきたのは福島第1発電所1号炉と同型のMark 1型格納容器である。

話題の主要部は金属材料の劣化についてだった。「科学」7月号の井野氏の論説とも話題が重なっていた。材料の劣化は腐食(酸化反応)、疲労(力がくりかえし作用することによる劣化)もあるが、原発特有なのは中性子照射による脆化だ。ある遷移温度があって、それより上では延性破壊(塑性でのびたあと切れる)、下では脆性破壊(のびずに切れる)となるが、鋼が中性子あびると遷移温度が高くなっていく。玄海1号炉について、住民運動によってようやく明るみに出た試験片の結果を見ると、2009年には予想よりも早く脆性化が進行している。

もともと原発は寿命30-40年で設計されている。日本は事業者が技術評価書を出し保安院の下の委員会で検討することによって運転延長できるという行政的しくみを作ったが、やはり設計寿命を越えた延長には無理がある。

原発とエネルギー問題については、次の問題の切り分けが必要だとした。

  • 原発の是非。原発は危険なのでエネルギー需要にかかわらず捨てるべき。
  • 化石燃料消費。温暖化はともかく大気汚染を減らすため減らすべき。
  • 地球温暖化説の当否
  • 自然エネルギー導入は化石燃料消費を減らせるか。
    • 代替するぶんは減らせるだろう。
    • 経済成長を求めて導入すれば産業連関により化石燃料消費がふえる可能性がある。
  • エネルギー消費・原料資源消費を減らす必要がある。人間労働から動力への移行の逆転。

室田氏の講演は「生活経済政策」に出された論説にそって行なわれた。「原発廃炉に向けて」の本に出されたものとも話題が重なっていた。

「福島の現状を見たら人間の常識として原発はすぐ全廃すべきだと思うのが当然だと思うが」日本の脱原発をはばんでいる要因があるとして、次のものをあげた。(4番めは討論中で。)

  1. 電力の地域独占:社会経済的要因
  2. 二酸化炭素脅威説:思想的、政治的要因
  3. 核兵器保有への誘惑:軍事的・政治的要因
  4. お金(電源開発交付金など)

3の核兵器との関連については山本氏の本などを参照として深入りしなかった。

1の電力事業の体制について。日本の今の体制は供給独占と需要独占(自治体などが発電しても地域の電力会社に売るしかない)とが重なっている。これは第2次大戦中の日本発送電と地域別9配電会社という体制が、戦後の1951年に発電・送電も配電に合わせて地域分割されたものだ。独占の弊害を避けるため政府が料金を規制している。適正料金を決める方式は総括原価方式、そのうちでも1960年代以後はレートベース方式というものだ。適正原価を、資産などを合計したレートベースに、利子率を参照した比率(1960年代には8%、今は3%台)をかけて求める。ところがこのレートベースに核燃料がはいっており、使用後の再処理中とされているぶんもはいっている。このため電力会社にとって原子力をやったほうが有利になっている。

電力会社の有価証券報告書から電源種類別の原価がわかる。室田氏は1970年代の状況を解析し「原子力の経済学」にまとめた。最近の時期について大島堅一氏が同様な解析をしているが結果の基本は同じ。水力、火力、原子力に分けると、水力がいちばん安い。揚水発電所は原子力に伴って必要なので原子力に合わせて計算すると、ほとんどの場合に原子力のほうが火力よりも高い。原子力の原価には廃炉ひきあて金ははいっているものの、方針が定まっていない高レベル廃棄物の長期保管の費用がはいっていないので、正当に評価すれば差はもっと開くはずだ。

室田氏は、九電力体制を解体し、自由競争にするべきだという。わたしも独占市場はよくないと思うが、電力供給には、商品としての面のほかに、社会インフラストラクチャーの面がある。市場競争にまかせると、投機的資金に左右されたり、基本的設備の保守がおろそかにならないかという疑問もある。自由化するべき部分と、むしろ公共部門直営(または目標設定を公共部門が握った公設民営)化するべき部分があるのではないだろうか。

2の「二酸化炭素脅威説」(室田氏の表現)については、「個人としては、太陽物理学の人が心配する地球寒冷化が近づいているという考えに近い」と言っていたが、それに自信をもつわけではなく、文字通り懐疑的であるようだった。「なぜ二酸化炭素原発が結びついたのか、ここ1年、興味をもっていろいろ調べている」そうだ。

その結果、Weinbergという人が世界で初めて、二酸化炭素問題を原発推進に使おうとしたと見ているそうだ。わたしはこのシンポジウムの予告の室田氏の講演題目を見てWeinberg (1992)の本を見なおしたところ、第5部の序論に、1975年にKeelingの二酸化炭素濃度のグラフを使って政府官僚に原子力の必要性を訴えたという回顧談がある。室田氏は1977年だと言っていたがほぼ同じ動きをとらえているようだ。たぶんWeinbergはアメリカ合衆国エネルギー省(DoE)の政策には影響を及ぼしたのだろう。DoEが、イギリスのEast Anglia大学CRUの気温データ整理を含む、いろいろな地球温暖化研究の費用を出したことも確かだ。しかし、1983年から温暖化研究者の付近にいたわたしはWeinbergの名前を知らなかった。2000年を過ぎて科学技術社会論の文献を読むようになってから「trans-science」の提唱者として知ったのだ。Weartのウェブ版The Discovery of Global WarmingにはGovernment: The View from Washington, DCのページにWeinberg (とくに1974年にScienceに出た論説、しくみを特定せずエネルギー消費の気候への影響の研究が必要だと述べた)が出てはくるが、温暖化の議論にとってはおおぜいの論客のひとりにすぎない。温暖化論を原子力推進の理由に使った人としては重要なのだろうが。

なお室田氏が「ワインバーグの亡霊」でさすのはもうひとつ、トリウム熔融塩炉の話題がある。それをあげるならばわたしはむしろ、現実の原子力開発がWeinbergの提唱する路線で進まなかった、つまりWeinbergはそれほど大きな影響力をもたなかったと言えるのではないかと思った。

大林氏は、この8月からの所属は自然エネルギー財団http://jref.or.jp/ だが、いくつかのNPOや国際機関で働いてきた人で、原子力に対してはもともと批判的だ。

まずIPCC第4次報告書に従って温暖化の見通しの話があった。そして、自分たちいくつかのNGOの立場として、温暖化を産業革命前を基準として+2℃以内に食い止めるべきだ(そうしないと影響が加速度的にふえることが懸念される)という考えが示された。また、石油をはじめとする化石燃料のピークの見通しは定量的にはさまざまだが、遅かれ早かれ不足する時代がくると言える。原子力は、廃物・廃炉の処分費用も大きいが(世界の実績では廃炉までの平均年数は22年だそうだ)、とくに事故の場合の費用がはかりしれない。したがって、進められる政策は省エネルギー自然エネルギーへの切りかえにしぼられる。

自然エネルギー利用促進に向けて次の政策を進めるべきだ。

脱原発地球温暖化防止は矛盾しない。両方に熱心な国も多い。IPCCやUNFCCCの場に原発推進論をとなえる人はいるが、それが場を支配しているわけではない。日本を含む国々が原発をCDMとして認めろと主張したが、交渉の場では非常識と受け止められている。

自然エネルギーの潜在資源量や将来見通しについては、グリーンピースの「[R]evolution」http://www.greenpeace.org/international/en/campaigns/climate-change/energyrevolution/ をはじめ複数の見積もりが紹介されていた。要約で述べられないのはしかたがないのだが、わたしから見ると、需要と供給の時間的不一致の問題をどう評価しているのかが気になった。

吉岡氏の題目は、ロードマップは必要ないと言いたいのだった。原子力推進の国策をやめ、補助・優遇策を廃止することが前提だが、あとは市場原理にまかせれば原子力は負ける。計画経済型にするべきではなく、方程式を示して解は社会に出してもらえばよいという思想だ。また、日本の一次エネルギーで見れば原子力がしめるのは10%程度であり、効率向上努力に加えて石油価格上昇や人口減などの長期傾向も考えると、この程度の需要減はむずかしくないだろうという判断がある。

政府の事故調査委員会は、秘密主義の傾向があるが、検察出身者の多い事務局を中心に、何百人もの人からの聞き取りを進めており、年末に中間報告、来年8月に最終報告を出す予定だそうだ。

マスメディアの相手を長時間させられて疲れているそうだ。その中でも「原子力の社会史」の増補や、「新・通史」の発行に向けての編集を進められているのはすごいが、それでますます疲れているようで、講演がときどき雑談調になって話題がわかりにくくなったのはそのせいかもしれない。

事故はこの程度ですんだが、もっと大規模な惨事になっていたおそれがなんとおりもあった。軽水炉でこの規模の事故が起きたことは世界的にも驚きで、安全基準の抜本的みなおしが必要になった。しかし日本にはひどい状況が重なっていた。地震津波、老朽化、過酷事故に対する準備不足(安全神話)、推進組織と同居する規制組織の機能まひ、危機管理体制の構築能力の欠如。

質問への答えの中で、放射線の健康影響については今回の事故調査委員会で扱いきれないので、将来検討すべき事項として明示することを考えているそうだ。5月までの避難指示や防護策がだれによってどのように決められたか、充分だったかの検討は今回の調査委員会の重要課題だそうだ。

総合討論もメモをとったのだがうまく要約できない。黒田光太郎氏から、これから原発をなくすとしても、廃炉の管理や健康影響をはじめとする原子力関連の専門家は必要だが、どうやって育てていくかが問題だという提起があった。吉岡氏も、きょうははしょったが、別の機会に人材育成を論じたいと言っていた。関連するかもしれないわたしの考えは[7月23日の記事]

わたしは、(Weinbergの件をちょっとコメントしたあと) 温暖化問題と原発の危険性の両方を考えると、経済成長をあきらめるべきだと思う。しかし、経済成長をあきらめるという考えで社会的合意を得ることはまだまだむずかしい。経済成長をあきらめられない人にはその立場で将来構想を考えてもらったうえで、妥協点をさぐるべきではないかと思う、と述べた。(吉岡氏の表題に合わせて言えば、ロードマップは社会全体で共有するのではなく、複数の集団がそれぞれ持つ形になると思う。)

文献

  • 井野 博満, 2011: 老朽化する原発 -- 特に圧力容器の照射脆化について。科学, 81(7), 658-667.
  • 黒田 光太郎, 2011: 工学教育から原子力教育をなくしてはならない。金属, 81(10), 826-830. [会場で配布]
  • 室田 武, 1981, 新版 1986: 原子力の経済学日本評論社。[わたしは読んでいないか、読んだことを忘れた。]
  • 室田 武, 2011a: 電力の地域独占を廃して脱原発を -- ワインバーグの温暖化脅威説を超えて。生活経済政策 175号(2011年8月), 6-10. [シンポジウム資料として配布]
  • 室田 武, 2011b: 原発廃炉の経済学 -- 危険な低炭素言説の歴史的起源からの考察。原発廃炉に向けて (エントロピー学会編, 日本評論社), 157-171.
  • 室田 武, 2011c: デカン高原のある農村から考えたバイオ燃料ブーム。経済学論叢(同志社大学), 63(2), 259-273. [会場で配布]
  • 大島 堅一, 2010: 再生可能エネルギーの政治経済学東洋経済新報社。[わたしは読んでいない。]
  • Alvin M. WEINBERG, 1992: Nuclear Reactions: Science and Trans-Science. New York: American Institute of Physics, 334 pp. ISBN 0-88318-861-9. [読書メモ]
  • 山本 義隆, 2011: 福島の原発事故をめぐって -- いくつか学び考えたことみすず書房, 101 pp. ISBN 978-4-622-07644-5.
  • 吉岡 斉 (1999) 2011: 新版 原子力の社会史 -- その日本的展開朝日新聞社。(新版は2011年10月発行予定) [旧版の読書メモ] [新版の読書メモ]
  • 吉岡 斉 ほか編, 2011: 新通史 日本の科学技術 世紀転換期の社会史 1995年-2011年 (全4巻+別巻1)。第1巻は2011年9月発行。[わたしは読んでいない。]