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だれのために二酸化炭素は排出されるか

科学・技術や環境の話題では、個別の新しい研究論文をあわてて紹介するべきでなく、年単位での進展を見るべきであることは、わたしは強く主張したいことで、「日々主義から年々主義へ」として書いたこともある。それに反するのだが、前からあるべきだと思っていた研究の例であり、しかしわたしの仕事上の専門ではなく詳しく検討する時間がとれるかどうかわからないので、とり急ぎ紹介する。

二酸化炭素排出量は、ふつう、排出という事実が起きた国ごとに集計される。しかし、たとえば中国で排出されるものの一部は、日本の需要に応じて工業製品を生産したことに伴うものだ。その製品を日本が輸入するということは、いわば、日本の排出を中国に肩代わりしてもらっていることになる。あるいは、輸出入される製品には、それを作るのにどれだけの二酸化炭素排出をしたかという事実が伴っていると考えるべきではないか。

そういう考えで世界の貿易に伴う二酸化炭素排出量の再配分を集計した研究成果を、アメリカのカーネギー研究所(Carnegie Institution)のDavisとCaldeiraが、ふつうPNASと略されるアメリカ科学アカデミーの雑誌の論文として出した。
研究所のプレスリリースはhttp://www.ciw.edu/news/carbon_emissions_outsourced_developing_countries にある。
雑誌論文の要旨へのリンクは http://www.pnas.org/content/early/2010/02/23/0906974107.abstract (本文を読むには購読が必要)。
わたしがこれを知ったのは雑誌「Nature」関連のblog「Climate Feedback」の記事「Extent of 'carbon outsourcing' revealed」http://blogs.nature.com/climatefeedback/2010/03/extent_of_carbon_outsourcing_r_1.html からだった。

同様なことは、水資源についてはすでに行なわれていて、日本では沖大幹さんとそのグループ(東京大学, http://hydro.iis.u-tokyo.ac.jp )の仕事がよく知られている。食料や工業製品の輸入を、それが生産されるのに必要だった水の輸入と考える。ただし、その定量的集計には複数の考えかたがある。沖さんたちは、たとえば日本が輸入する食料を考える場合に、それを仮に日本で生産したらどれだけの水を必要とするかに基づいて換算した結果を「仮想水」(virtual water)、実際の生産国で必要な水の量に基づいて換算した結果を「water footprint」と呼んでいる。

DavisとCaldeiraの用語ではないのだが、彼らの仕事はいわばcarbon footprintの勘定だ。貿易はお互いさまではあるが、世界の人間社会の持続性のためには、日本は、国内の二酸化炭素排出を減らすだけでなく、そのcarbon footprintを小さくすることにつとめる必要があるだろう。

実はわたしは、二酸化炭素排出よりも、更新可能でないエネルギー資源の消費のほうが本筋の問題だと思っており、むしろenergy resource footprintに注目すべきだと思うのだが、二酸化炭素隔離貯留と原子力の利用拡大があまり大がかりにはできないと仮定すると、それはcarbon footprintで近似できる。