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LLNL (LRL) の 気候モデル -- 軍事研究との距離は?

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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科学』に書いた「気候システム研究の誕生 -- 真鍋淑郎の業績をふりかえる」 ([それを紹介するブログ記事 2022-04-29 ]) の最後の部分でつぎのような推測をのべた。1960-70年代のアメリカ合衆国で、気候モデルの開発やそれを利用した研究は、政策的に推進されていたにちがいないのだが、軍事にも民生にも明確な応用は意識されておらず、潜在的に応用をもたらしうる基礎研究として推進されていたのだろう、という推測だ。気候モデル研究の源流である1945-55年ごろの数値天気予報研究には軍の意向がつよく関与していたのだが、気候モデル研究はそうでなかったように思われたのだ。

しかし、たまたま関連の文献をあたったら、アメリカ合衆国の気候モデル研究全体が軍事研究からきりはなされていたとはいいがたい。『科学』の文章の校正のとき、わたしの推測は、真鍋さんがつとめていた GFDL の状況にかぎったものだということにして、ひとまずおさめた。

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1960年代に気候モデルが開発されていたところは、いずれもアメリカ合衆国だが、GFDL, UCLA, NCAR のほかに、もうひとつあった。いまの名まえでいえば Lawrence Livermore National Laboratory (LLNL) だ。当時は、いまの Lawrence Berkeley National Laboratory とあわせて、Lawrence Radiation Laboratory (LRL) とよばれていた。いまでは Department of Energy、かつては Atomic Energy Commission の傘下にあった。その研究所での気候モデルの開発は、Cecil E. Leith [リース] という (Chuck Leith として知られる) 人が、ほぼ独力でやっていた。【[2022-08-11] わたしはこの人の名まえを「Lieth」とおぼえていてそう書いてしまったのだが、いま気づいて訂正している。】

この Leith のモデルについての科学史的論文をたまたまみつけた。著者の Kevin Hamilton は気象学者だ。

  • Kevin Hamilton, 2020: At the dawn of global climate modeling: the strange case of the Leith atmosphere model. History of Geo- and Space Sciences, 11: 93–103. https://doi.org/10.5194/hgss-11-93-2020

Leith のモデルは、湿潤大気のモデルとして、GFDL の Smagorinsky と 真鍋のモデルよりもはやくできあがっていたらしい。ただし、研究成果の論文をほとんどのこしていないので、気候シミュレーションといえるほどの時間積分ができていたかはよくわからない。他方、GFDLモデルがながらく太陽放射の日変化をいれなかったのとはちがって、Leithは当初から日変化をいれており、太陽放射吸収によって励起された大気潮汐があらわれていた。(大気潮汐を専門にふくむ Hamilton が注目する点である。この件については、学術雑誌論文ではないが、1968年にでた LRL の報告書がある。) また、気候シミュレーション結果の気象要素の空間分布図を動画にしたのは、Leith がいちばんはやかった。

LRL の Livermore 支所は核兵器に関する研究をするところであり、Leith が気候モデル開発をはじめたときの所長は、物理学者だが核軍拡論者としても知られる Teller だった。したがって Leith の気候モデル研究が軍事研究とは無縁とはいいがたい。ただし、Hamilton の記述によれば、Teller は、すでに地球温暖化の可能性を考えていたうえに、核軍縮の機運のなかで核兵器研究が縮小されそうなので拡大できそうな課題として気候モデルも推進しようとしていたようであり、気候モデルの軍事的意義を主張したようすはない。

Leith が気候モデルについてほとんど学術論文を書かなかった事情について、Hamilton は、LRL の研究者集団の規範が、成果を論文として発表することが奨励されるものでなかった、としている。軍事機密に関連したしごとで論文発表ができない研究者がおおかったこともそうなった理由らしい。【わたしは、もし発表が奨励されたとしても、モデル開発も実行もやりながら論文をかく時間がとれたかは疑問だと思う。UCLA モデルも学術論文になった成果はすくない (重要な資料が UCLAの technical report や Rand Corporation の technical report だ)。GFDL は、研究者のほかにプログラミングを担当する人 (その多くは気象の修士だったそうだが) をおおぜいつけたので、論文をかく時間がとれたのだと思う。】

Leith は 1968年に NCAR にうつり、それとともに LRL での気候モデル開発はほぼとまった。Leith は NCAR では 乱流、とくに2次元乱流の理論の研究で業績をあげたし、気候研究部長をつとめたこともあったが、NCAR の気候モデル開発には直接かかわらなかった。NCARでは 笠原・Washington のモデルがすでにうごいていたので、そのチームにくわわる必要も、もうひとつモデルをもつ必要もないと判断したのだろう。

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いま、LLNL は、世界の気候モデル研究の中心地のひとつになっている。世界の多数の研究機関で、統一した条件のもとでシミュレーションをおこない、結果をあつめていっしょに解析する、CMIP (Coupled Model Intercomparison Project) というプロジェクトのもとじめをしている PCMDI (Program for Climate Model Diagnosis and Intercomparison) というチームが LLNL にあるのだ。 PCMDI は 1989年にできた。CMIP がはじまるまえには、AMIP (Atmospheric Model Intercomparison Project) をやっていた。

しかし、PCMDI は気候モデル開発のセンターではない。PCMDI の研究者が (CMIPとは別に) 自分でシミュレーションをするときは、おもに NCAR で開発されたモデルをつかっているようだ。NCAR はもともと共同利用機関であるうえに、1980年ごろから Community Climate Model として気候モデルの共同利用を推進してきた。それにくわえて、(NCAR の基本的な運営経費は National Science Foundation からでているのだが) NCAR での地球温暖化関係の研究費のおおくが DoE からきている (このことをわたしは Washington の自伝 [読書メモ] で読んだ)。DoE 傘下の LLNL の研究者にとって NCAR CCM が「うちのモデル」になっているのだろう。

DoE は核兵器に関するしごともしているところだから、DoE の気候モデル研究推進に軍事的動機があるうたがいはぬぐえない。しかし、わたしの知るかぎり、具体的な軍事的動機は見あたらない。まさにエネルギーに関する政策官庁として、化石燃料の利用が気候にどのような影響をおよぼすか、さらにそれがエネルギー政策によってどのように変わりうるかを知りたい、ということがおもな動機だと思われる。ただし、LLNL をふくむ DoE 傘下の研究所での気候研究につかわれる計算機は、どちらかといえば軍事研究の動機で設置されたものらしい。

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Leith が去ったあと、PCMDI ができるまで、LLNL は気候モデル研究の中心地のひとつだったとはいいがたいと思う。しかし、そこでいくらかの気候モデル研究がおこなわれてはいた。

Hamilton の論文には、その査読者であった Michael MacCracken から得た情報がふくまれている。MacCracken は、UC Davis の博士論文の指導を LRL にいた Leith からうけた。MacCracken は Leith のモデルを 南北・鉛直 2次元にして、氷期に関する実験をした。MacCracken によれば、そのころ Teller は、核爆発によって北極海の海氷をとかす構想 (Teller自身は賛成しなかった) の関連で氷と大気の相互作用に関心をもっていたのだという。【これが Hamilton の論文で見つけた唯一の軍事とのかかわりである。】 この2次元モデルは、その後、熱帯森林破壊や砂漠化の問題、また、火星の気候の研究につかわれたそうだ。【しかし、南北・鉛直2次元モデルは、温帯の大気大循環の主役である温帯低気圧を直接表現できず、なんらかの統計的表現をするしかないから、それでものがいえることはかぎられると思う。】

MacCracken は、1993年から2002年まで、Washington DC にある U. S. Global Change Research Program の office (日本に対応するものはないが、むりやり訳せば国の地球環境変化研究推進本部というところか) につとめた。

そのあいだも、LLNL では G. L. Potter たちが気候モデルによる研究をした。そこでは OSU-LLNL GCM というモデルがつかわれていた。これは、UCLA の Mintz・荒川のモデル開発から分岐したもので、UCLA の 2層モデルを Rand Corporation にいた W. L. Gates がひきつぎ、さらに、Oregon State University、 LLNL とひきつがれてきたものだった。(このあたりの事情をわたしはおいかけきれていない。まとまらないが、ひとまず ここまで。)