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「気候システム研究の誕生 -- 真鍋淑郎の業績をふりかえる」

科学』 (岩波書店) 2022年5月号の特集に、依頼を受けて執筆しました。

  • 増田 耕一, 2022: 気候システム研究の誕生 -- 真鍋淑郎の業績をふりかえる。『科学』, 92: 428-431.

この特集は「気候シミュレーションの展開」と題されていますが、内容は真鍋 淑郎 さんに関する話題にしぼられ、真鍋さんを知る人 16 人が依頼に応じて執筆したものです。執筆者どうしの内容の調整もなかったので、同じ話題が何度も出てくるものになっていますが、書きぶりに執筆者ごとの個性が出ている面もあると思います。

わたしは科学史を専門とする者ではありませんが、『科学史事典』 の地球温暖化についての項目の執筆を依頼される程度には科学史にかかわっている者として、真鍋さんの業績を位置づけることをこころみました。

最初の原稿では、本文の最初の部分で真鍋さんを「パラダイムをつくった人」と形容しようと思ったのですが、パラダイムという概念のひろがりが多様であり、わたしなりの意味づけを説明すると字数をたくさんつかうので、思いとどまりました。そこで言いたかったことはふたつありました。第1は (用語は人によってちがいますが) 「気候システム研究」とよばれるような学問領域ができるにあたって真鍋さんの寄与が大きかったにちがいないということです。第2は、物理法則にもとづく数値モデルを構築し、それによって数値実験をおこなう、という研究のスタイルができるにあたって、真鍋さんは (それを最初にはじめた人ではないけれども) 手本を見せた人だといえるということです。

つづいて、真鍋さんの主要な業績について、おおきく2つの面にわけてのべました。研究スタイルの上で重要なのは、3次元の大気・海洋結合大循環モデルを構築し動かしたことだと思います。他方、科学への貢献として重要なのは、鉛直1次元モデルで、大気の基本的鉛直温度分布を再現したうえで、それが二酸化炭素濃度にともなってどのように変わるかを定量的にしめしたことだと思います。

つぎに、大気大循環モデルと数値天気予報モデルとの関係についてのべました。また、真鍋さんは、3次元モデルの結果を解釈するときや気候システムについて教えるときには1次元や0次元のモデルをよくつかうこと、そして、3次元モデルは実験装置、次元数のすくないモデルは理論の道具ととらえることができることをのべました。

それから、真鍋さんが、気候システムのなかで水循環を重視してきたこと、地球温暖化の見通しのなかでは大陸の土壌水分や河川流出がへることを心配していることをのべました。それから、1980年代以来、他の人が気候のふるまいを精密に再現しようとしてモデルを複雑化させるのに対して、真鍋さんは3次元モデルのうちでは単純なモデルをつかいつづけてきたことをのべました。

ここまでが真鍋さんの学問の内容に関することで、わたしがかなり自信をもっていえることです。ここからは、科学と社会の関係についてのことで、わたしが2012年ごろからときどきしらべていることではありますが、事実認識に自信がなく、『科学史事典』のような参照されるべき記事としては書けなかったのですが、雑誌の原稿を依頼された機会に、個人的考えとして書かせてもらいました。

真鍋さんのチームは、1960~70年代当時、異常に大量な計算機資源をつかうことができました。アメリカ合衆国政府が重点的に予算をつけていたにちがいないのです。しかし、地球環境問題を意識して予算がつくようになったのは、おそらく真鍋さんの3次元モデルによる二酸化炭素濃度への応答の論文が出た1975年のころよりあとのことです。それよりまえの段階で、気候のシミュレーションに、民生にも軍事にも明確な応用が期待されていたとは考えにくいのです。(シミュレーションを可能にする計算機技術が民生と軍事のdual use であったとはいえますが。) 直接に応用にはむすびつかないが、将来に有用な応用に発展する可能性があるような、基礎研究として推進されていたのだろうと、わたしは推測しています。しかしこの推測はたしかではありません。科学技術史の研究課題になりうると思っています。