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デマ (3) 偽のメッセージ、「bogus」、「ガセ」、有害性、などを考える

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ネット上で「それはデマだ」という発言がとびかう。(おたがいにあいてのいうことを「デマだ」と言いあっていることもある。)

「デマだ」という表現は、メッセージが偽である[注: 下の -3- 節参照] ことにくわえて、それを発信することが悪いことだという評価をふくんでいるようだ。その悪いと言う評価は、人格否定(あるいは「メディア格(?)」否定)としてひびく。言われたほうも言ったほうを敵視するようになり、話し合いによって共通理解に達する可能性はとぼしくなる。

これではまずいと思って、[(1) 2013-09-13] [(2) 2016-05-17]の記事を書いた。それとかさなる部分もあるが、もう少し論じてみることにする。断片的な覚え書きであり、結論はない。

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本来「デマ」とは、「デマゴーグ」が発信したメッセージをさしていたはずだ。デマゴーグは(その語の定義ではないが)、偽のメッセージを、偽であることを承知で、真であるようにみせかけて発信し、社会になんらかの効果をおよぼそうとしている人だ。そういう人が発信したものならば、デマと言ってよいと思う。

しかし現実には、デマを伝達する人のほとんどは、メッセージ内容が真だと思っているだろう。デマゴーグがいたとしても、隠れているかもしれない。おもてに出た事実からは、デマゴーグがいたかどうかはわからず、メッセージが(ここでいう)デマであるかどうかは、判定不可能かもしれない。

デマゴーグがいるとわかる場合は少ないのだが、それでも、わたしは、「デマ」という表現はそういう場合にかぎって使うほうがよいと思う。そうでない場合は別の表現を使おう。たとえばこのシリーズの「(2)」の記事で述べたように「流言」がよい場合があると思う。

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「メッセージが偽である」の「偽」は、論理学でいう真・偽の偽で、「ぎ」と読むことを想定している。単純に、事実と合っていないことをさす。発信者が意図的に事実とちがうことを述べているかどうかについて判断をくだしてはいない。

(「ほんもの・にせもの」「ほんと・うそ」の「にせ」や「うそ」も、ときには単に事実として真でないことを意味することもあるが、どちらかといえば、発信者が事実を知りながらそれとちがうことを述べていることを意味することが多いだろう。ここでは、そのような用語を持ち出さないでおきたい。)

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実際には、メッセージの内容が偽であるかどうかも判断が困難なことが多い。その件の真実をだれも知らないかもしれないのだ。

考えてみると、まずいのは、偽のメッセージというよりもむしろ、根拠がない(根拠があやふやな、根拠が薄弱な)メッセージが、確かな事実を伝えるメッセージであるかのように伝わることだ。

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この「根拠があやふやな」を意味することばとして、英語の bogus という形容詞に思いあたった。そういう意味に使われているのを見た記憶があるのだ。ただし、このことばの使われかたの全体像を知っているわけではなく、用例の記録ものこしていないので、主張に自信がない。

しかも、気象の分野では、bogus を、ほんものではないのだが、ほんものの代用として有用なものをさして使うことがある。気象データ同化、というよりもその前身である「客観解析」の中で、定量的観測データが不足しているが、定性的観察による情報があるとき、観測データの模造品を創作して使うことがあるのだ。たとえば、台風のまわりで、風向・風速の観測がある場所はかぎられているが、昔ならば船や飛行機にのった人からの通報、いまでは気象衛星による画像で、どこを中心にどのくらいの強さの台風があるか見当がつく場合、台風の周辺で観測されるだろう風向・風速を推定して入れてやる。実際、「JRA25」という「再解析」([2016-05-18の記事]参照)ではそういう「台風ボーガス」が使われた。この場合、bogus はほんものの観測よりは質が低いが、それなりの根拠はあるものなのだ。

また、計算機ソフトウェアのうちオペレーティングシステムLinuxに「BogoMIPS」というものがある。ソフトウェアをインストールする際の動作確認のうちで、計算機の動作速度を見積もっておきたい。ただし精密である必要はない。計算機の動作速度はmillion instructions per second という単位で示される。ここではMIPS単位の動作速度のおおまかな近似値を得る手続きを入れて、BogoMIPS と名づけたのだ。これも、ほんものの計測よりは質が低いが、それなりの根拠はあるものだ。

こういう例を知っていると、「その情報断片は根拠があやふやだから広めるべきでない」と主張したいときにそれを bogus と形容するのは気がひける。

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日本語では「ガセ」という表現に思いあたった。「ガセネタ」という形であらわれ、「ガセ」は、根拠があやふやなこと、あるいは、偽である可能性が高いこと、をさしていると思う。ただし、これは俗語的すぎるという印象がある。

しかし「ネタ」のほうは、少なくとも、すしの素材という意味の「すしネタ」は、書きことばにも出てきている。「ネタ」を「話のたね」「情報素材」という意味で使ってもよいと思う。ただし、ネット上では「冗談(のたね)」に近い意味でも使われているが、論説のような書きことばではそれはまだまずいだろうと思う。

「ガセ」の語源は「人さわがせ」であるらしい。「人さわがせ」が、結果として人がさわぐことであって、人をさわがせようと意図する人の存在を前提としていないのならば、わたしが使いたい意味にあっている。しかし、さわがせようと意図する人の存在を想定しているように聞こえるならば、「ガセ」は(「デマ」と同様に)不適切な表現だ。いまわたしは、積極的に「ガセ」を使おうとは言わないことにする。

こういうわけで、(メッセージ伝達過程に注目した「流言」とはちがって) メッセージ内容が信頼がおけないことに重点をおいた、俗にいう「デマ」の言いかえの表現がほしいのだが、まだ、よい表現に出あっていない。

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偽のメッセージ、または根拠があやふやなメッセージがみんな(俗にいう)「デマ」とみなされるわけではないようだ。

「デマ」といわれるメッセージは、ほかにどんな特性をもっているだろうか?

必ずというわけではないが、「何か(ここでは X とする)が有害だ」という情報を含んでいることが多い。

だから、Xに関連する人から見て、そのメッセージの発信者が敵に見えるのだ。Xが人の属性であれば、「Xは有害だ」は、Xという属性をもつ人びとに対する差別になる。 Xが物の属性である場合も、Xの生産者・販売者・伝達者などに対する差別になるかもしれない。メッセージが、個別の人物が起こした個別の事件の報道だったとしても、伝えかたによっては、それと同じ属性をもつ人びとが有害だというメッセージになってしまうこともある。

逆に、Yが有害である(という認識に根拠がある)状況で「Yは無害だ」と言うことも、同様に「デマ」といわれることがある。受信者がそのメッセージを信頼して Y に近づくことが害をもたらす、という判断によるのかもしれない。

大きくまとめれば、受け手のリスク判断に影響を与えるようなメッセージ、といえるかもしれない。

この節の考察は、俗にいう「デマ」を言いかえる助けにはならないが、どんなメッセージに注意が必要かを考える助けになると思う。