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海洋鉄散布が実行されてしまった

大気中の二酸化炭素などの増加による温暖化は意図しない気候改変だが、これを打ち消すために意図的な気候改変をするべきだという提案がある。英語では geoengineering と言われることが多いが climate engineeringとも言われる。日本語では「気候工学」で知られるようになってきた。これには、地球のエネルギー収支に介入するものと炭素循環に介入するものがある。炭素循環への介入のうちに、海洋のプランクトンにとって栄養となるものをまくことによってプランクトンによる二酸化炭素吸収を活発化させようというものがある。栄養としてまずあげられたのは鉄だ。

2年前までの気候工学の状況は杉山ほか(2011)の解説があり、海洋鉄散布の部分は、その実験(ただし基礎科学的なものであり直接に気候改変を意図したものではない)に参加したことがある西岡純さん(北大低温研)が執筆している。

その解説にも書かれているが、海洋汚染に関するロンドン条約の2008年の締約国会議で、科学実験以外の海洋施肥は禁止された(ただし拘束力のない決定である)。さらに、2010年の会議で、科学実験に関しても環境アセスメントなどの手続きが必要だとした。一方で、気候工学の基礎としての海洋施肥の効果を評価しようとすれば、プランクトンの状態に目に見える変化を起こす規模の実験をする必要があるが、他方で、環境アセスメントで実験が生態系に無害であることを示さなければならない。これは事実上とてもきびしい条件で、それ以後、(沿岸でない外洋での)海洋施肥の実験は行なわれていないはずだ。

【なお、気候工学を意図した海洋施肥に関する最近の総説としては、武田重信さん(長崎大学)が共著者に加わっているWilliamsonほか(2012)のものがあるそうだ(わたしはまだ読んでいない)。】

ところが最近、海洋への鉄散布が実行されてしまった。次のような報道がある。

カナダの西、Haida Gwaii諸島周辺に、鉄を含む粉のようなものが100トンまかれた。(Guardianは硫酸鉄としているが、CBCによると違うそうだ。) 植物性プランクトンの増加が、衛星画像で、1万平方キロメートルの面積に見られるという(偶然の可能性もある)。

今回の鉄散布をやったのは Haida Salmon Restoration Corporation (http://www.hsrc1.com )という法人で、事業の説明は「The Haida Salmon Restoration Project: The Story So Far」(2012年9月)という文書[PDF (東京大学にあるコピー)]に書かれている。減ってしまった魚とくにサケの漁獲をふやすために、プランクトンにとっての栄養とくに鉄を補う必要があるという主張になっている。

ところがこの法人のchief scientistをなのっているRuss Georgeという人は、もとPlanktosという会社をやっていた。Kintisch (2010)の本に詳しく書かれているが、Planktosは海洋施肥による二酸化炭素吸収ができると主張し、地球温暖化対策として炭素市場ができる際に吸収量クレジットを売ると宣伝していた。そして、海洋で実験を始めようとした。これに不安をもつ地元の反対があって、ロンドン条約締約国会議できびしい規制ができるのに至ったのだった。Planktosの乱暴なやりかたのせいで、注意深い海洋施肥の実験もやりにくくなってしまった。

Planktosのウェブサイトはwww.planktos.comだったらしく、もうひとつwww.planktos-science.comというものも見つかるが、どちらも、海洋施肥を説明したページもいくつかあるものの、関係ないページがつけ加えられ、荒れ果てた感じになっている。検索してみるとSteve Kerryさんの個人ブログ「Iron Fertilization News」(これも最近あまり更新されていないが)にPlanktos Announces Resignation and Release of CEO and Employeesという記事(2008年4月3日)があった。それによれば、Planktosは2008年3月で活動を止め、事実上だれもいなくなったらしい。【[2012-10-27補足] そののちあらためて始めたのがPlanktos Scienceだそうだ。KerryさんのブログのBreaking News: Planktos Restartsという記事(2008年7月6日)がある。Planktos Scienceは、炭素吸収creditではなく海洋生態系の健全さをとりもどすことを目的とし、その手段として鉄分をまくのだと言っている。しかし、ウェブサイトには、このメッセージを出したあとは資料も議論も追加されず、無関係と思われるリンクだけが追加されている。それでわたしは上に述べたように「荒れ果てた」と形容したのだ。】

今回の鉄散布は二酸化炭素吸収ではなく水産資源が目的とされているが、海洋生態学のきちんとした検討をしたうえでの計画とは思えない。地球環境保全にとってこのような個別事業体のぬけがけは規制する必要があると思うが、強制力のある規制手段がないのが困ったことだ。(今回の場合はカナダの国内法で規制されることはあるかもしれない。注意して見ておきたい。)

文献

  • Eli Kintisch, 2010: Hack the Planet. Wiley. ISBN 978-0-470-57426-8.
  • 杉山昌広, 西岡純, 藤原正智, 2011: 気候工学(ジオエンジニアリング)。天気 (日本気象学会), 58, 577-598. [pdf]
  • Phillip Williamson, Douglas W.R. Wallace, Cliff S. Law, Philip W. Boyd, Yves Collos, Peter Croot, Ken Denman, Ulf Riebesell, Shigenobu Takeda, Chris Vivian, 2012: Ocean fertilization for geoengineering: a review of effectiveness, environmental impacts and emerging governance. Process Safety and Environmental Protection, in press. http://dx.doi.org/10.1016/j.psep.2012.10.007 [要旨は無料、本文は有料。わたしはまだ読んでいない。]

[2012-11-10追記]
2012年10月27日、北緯52.742°、西経132.131°でマグニチュード7.7の地震があった。アメリカ地質調査所発表 http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/recenteqsww/Quakes/usb000df7n.php
この場所は地震のニュースではQueen Charlotte諸島付近とされているが、この諸島はHaida Gwaii諸島と同じところだ。イギリスの植民者がつけた名まえから先住民が使っていた名まえにもどす動きがあるが、両方が使われているということなのだろう。
海洋鉄散布が原因となって地震が起こるという因果関係は科学的にありえないが、心情的には「海の怒り」のようなことを感じる人がいるかもしれないと思う。