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不確かな科学情報を社会に提供すること - 地震発生見通しの場合 (2)

[8月19日の記事]の続き。イタリアのラクイラ地震に関して、国の専門行政官と科学者専門委員が刑事告発されていた事件の一審の判決が出た。求刑を上まわる実刑判決で、被告は控訴するそうなので、決着がつくまでにはまだかかりそうだ。

日本の新聞などの見出しに「地震予知失敗」と書かれたものが多いが、これは正しくない。地震発生可能性に関する情報の出しかたの失敗だ。(ただし、あとで述べるように、別の人による地震予知情報がからんでいる。) NHKの報道「伊 地震の“安全宣言”で専門家ら有罪」 (10月23日)が参考になる。そのうちから部分的に引用しておく。

検察側は、「地震が予知できなかったことを問題にしているのではない」としたうえで、「委員会は住民に対して慎重に地震の可能性を伝えるべきなのに、科学的な根拠のない表現によって住民に避難の必要はないと感じさせたことが被害の拡大につながった」として、過失があったと主張していました。

Twitter (日本語圏)でいろいろな人が提供した情報は橋本麻里さん(hashimoto_tokyo)によって「ラクイラ地震裁判をめぐって」としてまとめられている。判決についての外国の報道もいくつか紹介されている(わたしはまだ見ていない)。

昨年の起訴の段階での報道を読みかえしてみた。

また、日本地球惑星連合 2011年度大会の「U21 地震・火山噴火の科学的予測と防災情報の現状と課題」のセッション(わたしはこのセッションには出席しておらずあとで予稿を見ただけだが)でもこの事件は話題になっていた。とくに大木聖子さんの発表は当事者への現地でのインタビューに基づくものだそうだ。

【[2012-10-24補足] 大木さんのウェブサイトに「ラクイラ地震 禁錮6年の有罪判決について」という解説が出された。】

責任問題は法律の規定をよく知らないと確かなことが言えないが、わたしは暫定的に次のように思う。この事件の場合、問題は行政機構から発信されたメッセージにあり、それは科学者委員の主張をそのまま伝えたものではないので、科学者委員には責任を問うべきではないと思う。専門行政官についても、個人の刑事責任を問うのではなく、法的責任は行政機構にあるとしたうえで、行政機構内で職員に過失があると判断すれば人事上の行政処分をするべきだと思う。

行政の広報がまずくて民衆のこわがらなさすぎ状態を作ってしまったのだが、その前に生じていたこわがりすぎ状態を解消する必要があるという判断は正当だったと思う。

もっと大きく言うと、パニックを防ぐことを名目とした権力による情報統制が人民にとって有害なことがある。しかしパニックが人民にとって有害なこともある。パニック防止を話題にするだけで反人民的とみなさないで、話題の中身に立ち入って判断してほしい。

こわがりすぎ状態が生じたきっかけは非公式な地震予知情報だった。それを出したのは裁判の当事者ではないラドン研究者だ。これはオカルト的なものではなくまじめな科学だが、第三者から見て不確かさの大きい知見だった。研究者の所属は公共機関だが、防災官庁ではなく、基礎研究機関だ。このような立場の人が、地震発生可能性が高まっていると認識した状況で、発信すること自体は、禁止するべきではないと思う。しかし社会がそれにふりまわされてしまうと困る。防災に責任をもつ官庁がどう発信するかという問題とならんで、このような科学者の自主的発信を社会はどう受け止めるかという課題もある。