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マイクロソフトオフィス脱却はうれしいのだが、完全には脱却できそうもない

5月14日の記事で書いたように、わたしの今の職場のパソコンのOSは(わたしが苦手な) MS Windowsばかりだ。そしてその上で職員間で共有される文書の形式は、Microsoft OfficeのWord, Excel, Powerpointのファイルが大部分をしめている。【ただし旧形式(doc, xls, ppt)と新形式(docx, xlsx, pptx)がほぼ半々にまじっている。新形式の読み書きができるバージョンのMS OfficeをWindows XP時代のマシンにインストールしてあるので、動作が重くて、パソコンを起動してから最初の文字を入力できるまでに(OSとオフィスソフトウェアの両方の内部動作で)なん分もかかったりする。】

まだ確定していないので詳しくは述べられないが、次の機器更新の際のシステムデザインは、なるべく特定企業に依存しないものにすることが考えられている。パソコンのOS上でMicrosoft Officeが動くことは仕様に含めないことになるようだ。機器更新後の文書をどんなソフトウェアで作るかはともかく、業務を続けるために、これまでMicrosoft Officeの上で作った文書を読み、その内容を再利用する必要があるのだが、それにはOpenOfficeなどのオープンソースソフトウェアを使えばよいという判断らしい。(以下OpenOfficeで代表させて述べるがOpenOffice.orgという組織の生産物にこだわるわけではない。)

わたしは、特定のソフトウェア製品に依存しない方向に変えるという基本方針には大賛成だ。

しかし、職場の仕事内容を見ていると、Microsoft Officeを完全になくすのはたぶん不可能だ。大部分をなくすことはできるが、業務を止めないためには1年以上かけて準備する必要があると思う。

わたしは、3月までの職場では、自分用のパソコンのOSをLinuxにしていた。仕事が実質的に個人研究型だった間は、文書はエディタで作成してLaTeXで整形したことが多かった。しかし、プロジェクト研究の事務書類やMS Officeユーザーの研究者と共同で作る書類がふえてきたので、OpenOfficeを使うことが多くなった。

その経験の中で、Microsoft OfficeとOpenOfficeとの間にはこまごました互換性の問題があることがわかった。それは英語の文書の場合よりも日本語の文書の場合にずっと多いようだ。ひとつには、Officeソフトウェアの作成過程のせいかもしれない。Microsoft社でもOpenOffice.orgでも、ソフトウェアがまず欧文用に作られ、そのあと漢字対応に拡張されるので、欧文用の段階では互換性のある設計に見えても、漢字対応も互換性があるように拡張するのはむずかしいつくりになってしまうのかもしれない。しかしむしろ、利用者側の習慣の違いによるところが大きいと思う。日本語圏では、罫線を駆使してページをくぎった書式ファイルが渡されてそれぞれの欄を埋めさせられることが多いのだ。それに対して英語圏では、書式見本だけのことが多く、書式ファイルがあるとしてもつくりが大まかなことが多い。【ただし、わたしは英語圏の事務書類を提出したことがほとんどないので、あまり自信をもって言えない。】

【また、最近は、英語圏でも日本語圏でも、ウェブ上のフォームの欄を埋めさせられることがふえてきた。これだと、互換性を気にする対象はブラウザだけになる。ただし、レイアウトがすんだ文書が返ってくるのならばよいが、そうでないと入力した側に証拠が残らないことは困る。】

自分単独で文書を作って、プリントしたものを見せる限りでは、自分がOpenOfficeで相手がMS Officeでも何も困らなかった。レイアウトまでする必要がなく、テキスト内容を文書ファイルで渡したり数値の表を表計算ワークシートファイルで渡したいときも、相手側のソフトウェアで読めるファイルフォーマットであることさえ注意すれば(多くの場合、1世代前のフォーマットにすれば)、何も困らなかった。しかし、OpenOfficeで文書ファイルを作って相手がMS Office (とくにWord)で読む場合、割りつけ、とくに箇条書きが崩れることが多かった。箇条書きについては、ユーザーが箇条書き機能を使っても使わなくても見かけ上似た文書ができるが、他のソフトウェアに移すとその違いがもろに出てしまい、箇条書きの番号が文書作成者にとって意外なものにつけ変わる、という問題がある。また、MS Wordで罫線を使ってページをいっぱいに使うように作られた書式は、OpenOfficeに持っていくとたいてい違った寸法になるので、ページにおさまらないことが非常に多い。せっかくOpenOfficeでレイアウトしても、提出先がMS Officeを期待しているのであれば、Windows上のMS Officeに持っていってレイアウトしなおす必要があり、ときにはOpenOffice上の作業結果を捨ててWindowsマシンのMS Officeで作業しなおしたほうが早いこともあった。

職場の機器更新後も、これまでMS Officeで作った文書ファイルを、編集するにせよ、そのまま印刷するにせよ、再利用する必要は生じる。そのたびに、レイアウトをチェックして、必要ならば修正する必要が生じるだろう。Microsoft依存からは脱却するべきなのだから、同僚の間でノウハウを共有しながら、修正の手間をかけるべきなのだろうと思う。しかしたまには、OpenOfficeで化けてしまった形からMS Office上で作成した人の意図を自信をもって推測できないこともあるだろう。その確認用に、十人にひとつくらいはMS Officeが動くマシンが必要になるだろうと思う。

さらに、書類ファイルのやりとりはひとつの経営体(仮に「社」と呼ぶ)で閉じるものではない。自社の人が書式を作って他社の人に埋めてもらう仕事も、他社の人が作った書式の中身を自社の人が埋めなければならない仕事もある。オープンソースソフトウェアの普及につとめてもよいと思うが、勝てない相手も多いだろう。こちらが書式を作る場合、相手がMS Officeユーザーであっても困らないようにくふうする必要がある。他社のMS Officeユーザーが書式を指定してきた場合は、MS Officeできちんと読めることを確認して送る必要があり、ときには残念ながらMS Officeで作成するしかないこともあると思う。

職場の中に「MSオフィス」という場所を作って、必要が生じたときは自分の席を離れてそこに行って作業する、という形になるのだろうか?