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「温暖化懐疑派」「温暖化論者」などの表現をめぐって

[この文章は急いで書いたのでよく練られていない。ことわりなしに修正するかもしれない。]

[注意: ここでいう「懐疑論」はすべていわゆる地球温暖化懐疑論をさし、一般的な意味での懐疑主義を意味しない。また、わたしは温暖化懐疑論と温暖化否定論を区別することもあるが、ここではその議論には立ち入らずに、便宜上「懐疑論」にまとめておく。]

(Wikipediaの、地球温暖化問題に関係のある、あるページに、「懐疑派」ということばが使われていた。その文章に加筆しようとした人が「温暖化派」ということばを使い、他の編集者が「そんなものはない」と言って、書きかえてはもどすという編集合戦になりかけてしまい、「ノート」ページで議論が続いていた。そこで議論を整理しようとしてわたしもいくらか発言したのだが、自分の個人的見解を述べないわけにいかない。Wikipediaは記事本文だけでなくノートページも個人の見解を述べる場所でないとされているので、そこでできる議論には限界がある。わたしの見解はブログで述べることにしたい。)

地球温暖化の見通しに関して懐疑的な意見はさまざまなものがある。その分類は増田ほか(2006)の評論で試みた。そこでは明示的に論じなかったものの、相互に矛盾する主張さえ含まれている。ひとつの名前でくくる意義があるとすれば、結果として温暖化に関する対策の政策をさまたげる(遅らせる)効果があるという共通性だと思う。英語では最近「delayers」という表現も見る。しかしこれに対応する日本語がすぐに出てこない。何かラベルが必要ならば、すでに使われている「温暖化懐疑論者」(英語ならば(anthropogenic) global warming skeptics)を使っても、まずまずよいのではないかと思う。

ただし、ここで「派」という表現を使うと、一枚岩の団結があるような気がする。それは少なくとも日本で見る現実には対応していないと思う。アメリカ合衆国・カナダでは化石燃料産業が多くの温暖化懐疑論者のスポンサーになっており、議論は支離滅裂であるにもかかわらず、勢力としてはまとまりがあるので[Hoggan (2009)の本の読書ノート参照。わたしがこの本の主張のすべてに賛成するとは限らない。]、それをさすならば「派」という表現もおかしくないかもしれない。(ただし、温暖化懐疑論者がみんな化石燃料産業と親しいとは限らないことにも注意。)

(わたしが「懐疑派バスターズ」のメンバーであると報道されたことがある。そういう名前のメーリングリストがあってわたしがその一員であることは事実だ。しかし、このメーリングリストはメンバーがお互いに情報を交換するものであり、リストの名前はうちわの符丁にすぎない。対外的にこの名前を名のるのは避けたいと思っている。そう呼ばれそうになったが相談する機会があった場合は表現を変えてもらった。たとえば「温暖化懐疑論を整理する有志のグループ」としてもらったことがある。)

「懐疑派」と対立する人々をさして「温暖化派」という表現を使おうとした人は、温暖化に関する論争を政治的意見の対立ととらえて、二大勢力の対立という構造をもっているにちがいないと考えたようだ。

「温暖化派などというものはない」と言った人は、温暖化懐疑論者の主張の中核は、IPCC報告書に代表される温暖化に関する科学的認識を疑うことであると考え、懐疑論者に対立するものはIPCCに知見が結集されている多くの科学者(気候変化専門家)だと考えたようだ。確かに、懐疑論者と専門科学者とを対比するのが適した文脈もある。

しかし、温暖化が起きる可能性が高いと思い、温暖化は人間社会が取り組むべき重要な課題だと認識する人たち(そのすべてではない)が、科学者とかジャーナリストとかいう職種を越えて、団結というほどではないとしても協調した行動をとることもときにはある。とくに懐疑論者と呼ばれる人たちが協調行動をとっているときには、それに対抗する協調行動が見られることがある。この状況を説明するのに、自発的に協調している人の集団に名前が必要だとすれば、たとえば「温暖化論者」でもよいかもしれない。ただし、継続して使う術語ではなく臨時に定義して使うラベルとしてに限っての判断だ。「懐疑派」について述べたのと同じ理由で、「派」という表現は不適切だと思う。また「温暖化論者」などの表現はすなおに考えれば温暖化を望ましいと思っている人をさすように思われるという欠点もある。

温暖化懐疑論者と目される人から見ると、前から温暖化論者は団結して政治的に動いていたように見えるようだ。わたしから見ると、わりあい最近まで、温暖化論者という表現をしたくなるような協調行動があるようには感じられなかった。ただし、わたしも参加した「地球温暖化懐疑論批判」の冊子づくり[読書ノート参照]などは、温暖化懐疑論者への対抗活動なので「温暖化論者の活動」というラベルを貼られるならばそれももっともだと思う。最近(2009年末以来)、いわゆるClimategate事件およびIPCCのまちがいの指摘があり、温暖化懐疑論者が勢いづいているので、及ばずながらそれに対抗する(いわば)「温暖化論者の活動」もいくらか活発になっているようだ。IPCCという組織を代表する人の動きも、社会現象の記述としてそれに含められるかもしれない。しかし、IPCCに参加した多くの科学者は、IPCCに知識を提供することに関して協調行動をとったのであって、懐疑論者に対抗する協調行動をとっている人はその小部分だ。大部分の専門科学者を「温暖化論者」に含めるのはふさわしくないとわたしは思う。

(別の文脈では、「温暖化派」は、環境問題の中で何が大事かという意見の対立を示し、それに対抗するものはたとえば「生物多様性派」かもしれない。しかし今そういう議論に直面しているわけではないので深入りしないでおく。)

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