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「レジ袋をごみ袋として使ってはいけない」という規制に賛成はしないが....

1月25日に書いたヒマラヤの氷河に関するIPCC第4次報告書のまちがいの話に関連して、ある別のかたのブログにコメントを書いたら、さらに別のかたからコメントがつき、それにはわたしに対する質問が含まれていた。

それは地球温暖化対策に関するわたしの考えを問うものだった。わたしは、温暖化対策に関する専門研究者ではない。わたしの意見はこの問題に関する専門家の見解ではなく一個人の意見である。

具体的話題は、浜松市が、「レジ袋をごみ袋として使ってはいけないことにする」と決めたということだ。
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/life/gomi/plasticbag/index.htm

(浜松はわたしが少年時代に住んでいたところなので、もちろん関心はある。ただし、今は親戚もいないので、最近の動きは追いかけていない。今のところわたしの考えはほぼ上記のウェブページだけを材料としたものだ。さらに情報がはいれば考えが変わるかもしれない。)

世の中の多くの人が、この規制はばかげていると感じているようだ。わたしも一面ではそう感じる。わたしは横浜市でレジ袋をごみ袋に使っている。これができなくなると不便だと感じる。理屈としても、ごみを袋の形でまとめる必要があって、レジ袋があるならば、その組み合わせができず、別のごみ袋を買わなければならないのは、もったいないと思う。

しかし、問題は単純でない。まず、資源節約一般に通じる点から考えてみよう。20世紀には人々が大量の物を動かしたが、それは化石燃料に支えられていた。この生産・生活様式は、今後百年以上続けられるものではないのだ。ここに温暖化をなるべく小さくくいとめるべきだという要因が加わって、化石燃料消費を早く減らすべきだということになる。基本は資源の使いすぎをあらためる必要があるということであり、温暖化対策の必要性はそれを強める副次的要因だと思う。

資源節約をしようとすると、ミクロのもったいなさとマクロのもったいなさが矛盾することがある。大量消費を想定した大量生産が行なわれていると、じゅうぶん利用されずにいる生産物がたくさんある。それを利用すれば、新品を使わないですみ、お金の節約になるだけでなく、その部分だけを見れば物の節約にもなる。しかし、そうやって余り物を活用することは、余り物ができてしまうしくみを変えるのにはじゃまになるかもしれない。

スーパーマーケットなどの店がレジ袋を無料で出すと、人が買い物に行くたびごとに新しいレジ袋が消費される。その一部はごみ袋としてもう一度利用されるが、残りはごみの中身になるだろう。使い捨ての入れものが歓迎されるのは、からの入れものがかさばるからであることが多い。しかし、買い物袋の場合は、折りたためばかさばらないものもある。もちろんその製造には使い捨てのレジ袋の何十倍かの資源を使うことになるが、それを上回る何十回か使えば確実に資源節約になる。店と消費者両方に、レジ袋を使おうという意欲がなるべく少なくなったほうがよい。「レジ袋はごみ袋にも使える」という期待はそいだほうがよいのかもしれない。

ただし、たまたま直前の記事で「奨励することと義務づけることとは違う」と言ったのと同様に、奨励しないことと禁止することとは違う。もしここまでに言った条件だけを考えて個人的意見を述べるならば,わたしは、レジ袋をごみ袋に使うことを禁止するのではなく、ほかの方法でレジ袋を利用したいという気持ちを抑制するべきだと思う。たとえばレジ袋の有料化、これも市の条例で私企業に義務づけるのは反発を招くと思うので,有料化しないと損をするように、税制などで誘導することはできないだろうか。

浜松市によれば、レジ袋を捨てる際には一般ごみではなく容器包装プラスチックとして出してほしいとのことだ。わたしはプラスチックとしてのリサイクルよりも燃料としての利用のほうが(マクロな石油大量消費が大きく変わらない中でのミクロな資源節約としては)現実的なこともあると思うが、燃料としての価値は分別したほうが高くなると思うので、一般ごみに混ぜないことを奨励すること自体はもっともだと思う。

また、ごみの減量という問題がある。ごみ処理サービスもレジ袋サービスと同様で、いくらでも使えるとなると量がふえてしまう。それを防ぐ方法のひとつが有料化だ。有料化の趣旨はごみ処理経費の受益者負担のこともあるが、むしろ、ごみをいくら出してもよいという気分にいくらかのブレーキをかけることのほうが大きいだろう。不法投棄がふえることや、プライバシー侵害も避けなければならないので、自治体ごとにいろいろなくふうをする。ごみ袋の種類を指定し、その代金にごみ処理料金を上乗せするのもひとつの方法だ。この場合、指定した袋には料金証紙に相当する印をつける必要があるだろう。

浜松市は合併してから日が浅く、指定ごみ袋があるが地区間で不統一だ。一部の地区では市・地区の名前入りの袋に限っているが、他の地区では半透明の袋というだけの指定のように見える。

市の名前入りの袋の部分は上記の意味で納得できる。種類だけの指定の意義はよくわからない。半透明であることは危険物や資源回収に出すべきものを出させない意義があるが、それならば半透明のレジ袋でもいいではないかとは言えそうだ。回収作業者の手間を省くため大きい袋にまとめてほしいとしても、ちょうどレジ袋いっぱいのごみがあったとき大きい袋を使わせる理由にはならない。回収中に破れるのを避けたいが減量もしたい、という動機から、材質・厚さ・強さなどを確認ずみの製品を指定したいのかもしれない。それが適切か詳しすぎる指定かは、事情を詳しく知らないと判断できない。

今回の新方針には地区間の不公平を減らしたいという意図もあったようだが、わたしの今の認識が正しいとすれば、制限がふえる地区の人にとっては納得しにくいものだ。指定袋による有料化に向かうことを明示して、これはそれに向けた準備だというのならば、わかる。