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気候変化のしくみに関する科学的知見の構造的確かさと、対策に関する知見の構造的不確かさ

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】

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いわゆる「地球温暖化」 (人間活動起源の気候変化) に関する科学的知識について、「ゆるぎないものになった」「疑う余地がない」という論評がされることがある。他方、まったくあやふやなものだという論評がされることもある。両方の論者が、同じ知見について、ちがった評価をしていることもあるかもしれない。しかしむしろ、気候変化についての科学的知見のうちの ちがった部分に注目しているので、話がいきちがっている可能性が高い。気候変化についての科学的知見は、すくなくともふたつにわけてとらえる必要がある。

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IPCC (気候変動に関する政府間パネル) は、気候変化についての科学的知見をまとめる組織である。その科学的知見は、大きくわけて、気候変化のしくみに関するもの、影響に関するもの、対策に関するものにわけられる。

ここでいう気候変化のしくみは、たとえば、大気中の二酸化炭素濃度が変化したことから、気候要素 (気温とか、氷の量とか、海水準とか、雨のふりかたとか) がどう変わるかの理屈をさしている。その応用として、将来の人間社会がどれだけ二酸化炭素を排出するかのシナリオをあたえられたとき、それぞれの気候要素がどうなるかについての予測型のシミュレーションがおこなわれている。また、もうひとつの応用として、これまでに気候がどれだけ変化してきたか、そのうちどれだけが人間活動起源の二酸化炭素濃度の増加によって説明できるかについての研究もおこなわれている。

気候変化の影響とは、予想されるような気候要素の変化がおきたとき、生態系はどのように変化するか、人間社会はどのように変化するか、というような問題である。

人間社会にとって害となるような影響が予想されるならば、人間社会は害を小さくくいとめるための対策をとるべきだ、ということになる。対策には大きくわけてふたとおりある。気候変化がおこることは変えられないとしても、その有害な影響を小さくする努力はできる。それは気候変化に人間社会が適応することだともいえるので「適応策」といわれる。もうひとつ、気候変化の原因が人間活動によるならば、原因となる活動をへらすことによって気候変化を小さくすることができると期待される。このような対策を、英語では mitigation、日本語では「緩和策」とよぶ。(適応策も気候変化の影響を緩和することだといえるのでまぎらわしいのだが、「緩和策」ということばは原因を小さくすること (おもに二酸化炭素排出削減策) をさすのが、地球温暖化の話題での慣例になっている。)

IPCC は、1988年に発足して以来、3つの作業部会 (working group) にわかれて報告書をまとめている。部会の分担にはいくらかの変遷があるが、2001年に発表された第3次評価報告書にとりかかった1997年ごろ以後の分担は、上のわたしの表現にあわせると、つぎのようになっている。

  • 第1作業部会 . . . 気候変化のしくみ
  • 第2作業部会 . . . 気候変化の影響と、対策のうち適応策
  • 第3作業部会 . . . 気候変化の対策のうち「緩和策」

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松王 (2020) は、気候変化に関する科学について、「二階の不確実性は小さいが一階の不確実性が大きい」と言っている(6.1.4節)。別のところに出てくる用語をつかえば「構造の不確実性は小さいが統計的不確実性が大きい」と言いかえることができる。この「統計的不確実性」は、むしろ「定量的不確実性」と言ったほうがよいとわたしは思う。

その本についての読書メモのなかでのべたように、この論評は、気候変化のしくみについての科学的知見に関しては正しいと思う。また、気候変化の影響のうち生態系に対する影響についての科学も、自然科学であり、その知見もしだいにこの論評があてはまるようになってきたと思う。この領域では、えられた知見に定量的な不確かさはあるが、知識の進展によってその構造がひっくりかえってしまうことはなさそうなのだ。知見に出てくる数量は大きな誤差をふくんでいるかもしれないが、不等号をつかってうまく記述すれば、その文がのべていることはもうゆるがないだろうといえることがある。

[2013-12-19 地球温暖化の見通しは、確かであり、不確かである。]の記事で論じたことは、だいたい、いまの記事でいう「気候変化のしくみに関する知見の定量的な不確かさ」にあたる。 】

しかし、気候変化の人間社会に対する影響についての科学と、対策についての科学では、人間社会をあつかう社会科学や人文学がかかわることになる。人間社会の同じ部分をあつかうとしても、それを認識するわくぐみは、社会科学や人文学の専門分科によってちがう。ある専門分科の人が注目していなかった要因に注目すると、知見の構造が変わるかもしれない。ここでは、「構造的な不確かさ」が大きいのだ。【対策のうち工学的なものについては、もしその対策を実施したらねらった効果がどれだけ得られるかについては、構造的な不確かさはないかもしれない。しかし、副作用がどこまで考慮されているかについて、また、その対策が現実の人間社会でどのような規模で実行可能かについては、構造的な不確かさがあると思う。】

IPCC報告書のメッセージとして「人間社会がなんらかの対策をとることをせまられている」とは言ってよいと思う。しかし、目標を達成するためにどのような対策をとればよいかについては、IPCC は確かな指針を与えてはくれないのだ。それにしても、IPCCという組織でできるかぎりの検討をしたことはむだではなく、政策決定者が参考にすべき材料をふくんでいるとは思う。

文献

  • 松王 政浩, 2020: 『科学哲学からのメッセージ -- 因果・実在・価値をめぐる科学との接点』。森北出版, 373 pp. ISBN 978-4-627-97351-0. [読書メモ]