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「天気予報の民営化」改革のときデータを有料化したがったのはだれか?

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしもしめしません。】

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2019年3月に、若林 悠さんの『日本気象行政史の研究』の本が出た。日本の気象庁が業務をどのようにとらえて推進してきたかを論じている。気象庁の提供する情報をつかわずにはいられないわたしとしては、読んでおくべき本だと思った。拾い読みして、専門家判断 (若林さんの用語では「エキスパート・ジャッジメント」)と 機械的客観性とのあいだの重みづけが変遷してきたという指摘は、たしかに重要だと思った。

しかし、1993年の気象業務法(という法律)の改正 (いわゆる「天気予報の自由化」) のときおきていたことについての若林さんの記述(のうち、わたしがこれまでに読みとったこと)は、その時期を気象庁の外で生きていたわたしの記憶とだいぶちがっていた。わたしは若林さんの本を読みとおしておらず、若林さんの議論に即してコメントすることがまだできない。ひとまず、若林さんの本に対する批評ではなく、別の観点を提示するものとして、覚え書きを書いておく。

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若林さんの本の第5章第2節には、1992年の末ごろ、気象庁が気象情報を有料化しようとし、民間側が反対した、という話がある。この「民間側」には、天気予報事業に参入しようとしていた企業がふくまれている。

大学教員だったわたしにとっても、気象データの有料化は大問題だった。(今から思えばなさけないことに) 役所に影響をあたえる行動はおこさなかったが、気象もふくむ地球環境科学データについてレビュー論文(増田, 1995)を書いた。

ただし、研究用のデータは、有料になっても、研究費をとれればそれで買うことができる。大学教員よりもむしろ、初等中等教育の教員のうちで気象の教材をつくる意欲をもった人や、アマチュアとして気象や気候を研究しようとする人たちにとって、深刻な問題だったと思う。

わたしにきこえた気象庁の人の意見は、有料化には反対だった。ただし、わたしとつきあいのあったのは、官庁としての気象庁の利害を代表する人ではなく、気象庁に所属しながら日本気象学会などの学会で研究発表をする人だった。所属が気象庁であろうが大学であろうが、人類の学術知識が充実するのがよいことだという意識にかわりはなかったと思う。そういう同業者意識をもつ人のつながりによって、大学に所属する研究者は気象庁内の人からデータをもらっていた。そのデータは機密ではなかったし、アメリカ合衆国の同様なデータは public domain とされていたから、そうやってデータをもらうことに日本国あるいは気象庁に対する罪悪感は感じなかった。しかし、コネのある研究者だけがデータをもらっていることに、他の研究者に対する罪悪感はいささか感じた。だれでも公平にデータがもらえるような体制ができるのがのぞましいと思った。

WMO (世界気象機関) では、1995年の総会決議で、所属する各国のさまざまな主張の妥協として、データを「基本的なもの」と「付加的なもの」にわけ、基本的なものに関しては無料で無制限に流通させることとし、付加的なもののあつかいは各国の気象業務官庁の判断にまかせた。データを利用する研究者としては、「基本的なもの」の範囲をなるべくひろくしてほしいと思った。

ただし、データの無料公開にも費用がかかり、財源がないと無理な注文になる。アメリカ合衆国では、気象庁にあたる NOAA にも、大学共同利用機関である NCAR にも、データ提供を業務とする部署があって、そこからデータをコピーしてもらうときには利用者はお金をはらう。しかしそれはデータ媒体の実費と手数料であって、データの代金ではない。データ自体は public domain であり、利用者がデータを再配布したり、加工物をつくったりすることは自由なのだ。わたしをふくむ学術セクターの希望は、日本もそうなってほしいというものだった。【2010年代にいたって、実際、そのようになってきたと思う。しかし、気象業務支援センターからの有料配布も、気象庁ウェブサイトからの無料配布も、ほとんどが日本語によるメニューを経由するものなので、日本語圏の外では、まだ日本の気象庁のデータポリシーは閉じたものだと思われがちだ。】

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1993年当時のわたしの認識にもどる。わたしの位置から見て、気象データの有料化をさせたがっていたのは、気象庁ではなく、「民間側」だった。

「税金は軽いほどよい、公務員は少ないほどよい」という主張が、1980年代以来、正論とされがちだ。それを推進する人は、「役所の仕事は効率が悪いから、その仕事を民間会社にやらせれば、会社が利潤をえてもなお、利用者へのサービスはよくなるはずだ」という信念をももっていたことが多かった。国鉄、電電公社、郵政事業が、そのような主張にもとづいて民営化されていった。

しかし、「気象庁を民間会社に転換せよ」というのは (ニュージーランドでは実行されたそうだが、すくなくとも日本では) 本気の政策提案にならなかった。気象庁の出す情報のうちには、警報など、郵便や鉄道よりもさらにつよく universal access が要求されるものがあるからだろう。

民営化論は気象庁に対して、二手にわかれた。

  • ひとつは、天気予報業務のうちで、情報の流れの川下側は、民間会社にやらせるべきだという「天気予報自由化」論だ。情報の流れの川上側の、気象観測網を維持し運用することや、世界からデータを収集して統合解析することは、民間会社で引き受けるところはなかったから、気象庁の業務に残る。
  • もうひとつは、気象庁は、税金にたよるのではなく自まえの財源を確保すべきであり、とくに、価値を認められたデータを生産しているのならばそれを需要をもつ人びとに売ることによって収入をえるべきだ、という独立財源論だ。

1993年におきていたことは、民間側の民営化論者の ひとつの枝と もうひとつの枝との衝突だったと、わたしは思う。

【[2020-08-23 補足] 2020-08-22 の気象学史研究会で、若林さんの話と、もと気象庁の横手さんの話をきいた。

気象庁のデータを有料化せよという意見はあったが、それは気象庁にとっては外圧で、おもに大蔵省の意向だったらしい。気象業務法改正の内容を具体的に決めていく段階で残った問題は、データの有料化ではなく、データ通信費用をまかなうしくみだった。

気象庁と民間会社との分業は、気象庁による数値予報の出力である格子点数値(GPV)データを民間会社にリアルタイムで送ることによって可能になる。リアルタイムデータ送信の費用は気象庁ではまかないきれず、受益者負担にするしかないが、気象庁が料金を受け取ってデータを配信するしくみをつくることも行政制度上むずかしく、民間の法人であるが法律によって特別な役わりをあたえられた気象業務支援センターをつくることになった。】

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