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気候変動から人間の歴史への影響に関する議論について思うこと

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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人間社会の歴史は、さまざまな要因の影響を受けている。気候の変化・変動もその要因のひとつだろう。では、どんな気候の変化・変動が人間社会にどんな影響を与えたのだろうか? これは、かなり多くの人が関心をもつ問題領域だと思う。しかし、それぞれの事実を確認し、さらに事実相互の因果関係を(たぶん絶対確実にはわからないが、蓋然性のレベルで)論じることは、学問になりうるとは思うが、学問としてはむずかしい課題だと思う。

わたしは気候を専門とする人のうちで、古気候への関心が強いほうではある。ここで「古気候」というのは、近代科学に基づく観測機器による観測データが得られない時代の気候だ。その大部分は人類の歴史と重ならない。わたしの高校生時代からの関心は、第四紀の氷期・間氷期サイクルで、時間規模は万年から十万年だった。大学教員として一時期、地球史的氷河時代・無氷河時代にもかかわった。その時間規模は億年だ。人類の歴史のうち、地域が限られるにせよ文字による記録のある時期(以下「歴史時代」)は、最近5千年ほどで、その気候は、第四紀のうちでも変化が少ない完新世の内だ。歴史時代の気候変動は、氷期サイクルよりも微妙であるだけでなく、人間活動由来の温室効果強化によって今後百年に起こるだろう気候変化よりも微妙なので、地球科学者としてのわたしの関心は、長いあいだ、向かなかったのだった。

しかし、「人類が気候の変化・変動に適応する」という問題について過去の参考例があったほうがよいことは確かだ。それで、最近になって、考えるようになったが、この分野についてはわたしはまだしろうとに近い。しかし、気候と歴史の関係を論じている文献を見ると、わたしよりももっとしろうとに近い面があると感じることが多い。複数の専門分野にまたがる問題で、ひとつの分野の専門家は、たいてい、他の分野の専門的知識についてはしろうとなのだ。

わたしは歴史学の専門的勉強はしていない。基礎知識は、1970年代に、岩波新書、中央公論社の『世界の歴史』『日本の歴史』などを、詳しいことはわからないまま、ノートもとらないで、読んだことによっている。歴史学の学術書はほとんど読まないが、気まぐれに興味ある主題のものを読むことはある。

ここでは、自分に、気候と人間社会の歴史との関係を積極的に論じるのにじゅうぶんな知識がないのに、他人の論じかたを批判することを、おゆるしいただきたい。

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Bruce Batten (ブルース・バートン [本人による日本語つづり])さん(歴史学者、日本の桜美林大学の教授)の話を聞く機会があった。話は日本語、文書は英語だが、下の文献リストにBatten (2017)としてあげた文書とだいたい同じ内容だ。ここではその内容を詳しく述べない。関心のあるかたは文書のほうをごらんいただきたい。

わたしは、Battenさんの議論の要点を次のように受け取った。(わたしによる表現で示す。)

世界の歴史学者の著作のうちには、人間の歴史を変化させる要因として、気候に注目する論考はある。そのうちには対象地域として日本を扱っているものもある。しかし、日本の歴史学者によるものは、歴史人口学者を別とすれば、乏しい。他方、古気候を扱う自然科学者や、気候も歴史も専門でない人によって、気候が歴史にとって決定的要因だったという主張が書かれることはある。しかし、そのような著作物での歴史資料の扱いは雑であることが多い。

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自然科学者による古気候研究の成果をもとに人間社会の歴史との関連に言及した例として、東京大学大気海洋研究所から2017年1月4日に出されたプレスリリース 「西日本における歴史時代(過去1,300年間)の気候変化と人間社会に与えた影響」がある。これは Kawahata ほか (2016)の論文の紹介だ。(この論文はBatten 2017の論評対象にもなっている。)

川幡さんたちは、広島湾の海底堆積物コアサンプルで、炭素14で年代測定をしてその較正もきちんとし、アルケノンという有機化合物(円石藻によってつくられる)のうち類似の2種類の相対比から夏(6-9月)の海面水温を推定して、過去1300年、時間間隔数十年の、広島湾の夏の海面水温の時系列的データを得た。自然科学的な古気候の研究としては、すぐれた成果だと思う。

しかし、論文には、気候と人間社会の歴史との関係を述べた部分(学際的部分)もあり、プレスリリースではその部分が強調されているように見える。しかし、この部分は著者たちの専門性がじゅうぶんではなく、結論のように見える知見を学術的知見として使うことはあやういと思う。

わたしは前に、[2010-01-28「査読を経た論文だから信頼できるとは限らない」]という記事で、「査読を経て出版された自然科学の雑誌論文では、本論は一定の品質チェックを経ていると期待できるが、序論や、結論を述べたあとの考察は、それだけの品質をもつとは限らない」という趣旨のことを述べた。Kawahataほか(2016)の学際的部分は、分量がふくらんでいるが、わたしの記事でいう「結論を述べたあとの考察」にあたるところなのだ。

自然科学的部分と、学際的部分では、知識の頑健さ (IPCC用語でいう「確信度」)のレベルが、ただでさえちがううえに、この論文の著者集団は、地質学や同位体分析などの自然科学の専門家だけのようなので、社会の変化に関するところは、信頼できないだろう。

しかし、歴史学者(あるいは社会科学者)にまかせればよいというものではない。気候と人間社会の関連を論じるためには、自然科学と歴史学の(両方の専門家になることは困難だとしても)両方の分野の専門概念をよく理解した人(Collins (2014, 2017)のいうinteractional expert, 鈴木訳では「対話的専門家」)を含む共同作業が必要だと思う。

- 3a -
学際の問題は、自然科学と歴史学との間だけでなく、自然科学の内の専門分科間にもある。

Kawahataほか(2016)の論文については、わたしは、自然科学のうちとくに気象学・気候学の専門家として、批判したいことがある。海面水温を気温に読みかえるところと、それが広域を代表とするものとして論じるところは、理屈が雑だと思うのだ。

この論文で、海面水温から気温への読みかえは、次のようにしている。現代、具体的には1999-2010年の毎月の、広島湾の海面水温(海上保安庁による観測)と、広島市内の気温(気象庁の広島地方気象台によるものと思われるが論文に記載がない)との相関がよく、差がほぼ一定だった。そこで、夏の海面水温に平均値どうしの差1.6℃をたしたものを、夏(期間は6-9月か?)の気温の推定値としている。

わたしから見ると、これは、気温の推定としては、雑だと思う。この論文の成果として使われるべきものは、広島湾の海面水温であって、気温ではないのだ。ただし、もっとよい気温の推定値がないときに、「とりあえず」使うものとしては、よいかもしれない。「とりあえず」であることを読者に誤解なく示すべきだと思う。(しかし、専門内向けにきびしい学術雑誌では、雑な部分は削れと言われる可能性が高いだろう。「ためしにやってみた」ことを広めるにはそのためのメディアがあるべきかもしれない。)

広島湾または広島について得られた時系列の知見を「西日本」のような広域に広げてよいかは、この論文では実質的に検討されていない。結果を「西日本の気温の変遷」として使いたいとすれば、少なくとも、現代の気候について、地点間で、年々の気温偏差の傾向がどれだけ共通しているかの検討が必要だと思う。そこで必要となる専門知識は、気候学あるいは気象学のものだ。できれば、古気候復元推定についても、年代目盛りをあわせて、地点間の時系列の類似性を知りたい。

この論文では、結果を、Kitagawa & Matsumoto (1995)の屋久杉の炭素13同位体比による気温の推定値と比較している。広島湾の海面水温は、990-1150年に低温が見られ、ヨーロッパなどでつくられた「中世の温暖期」のイメージに合わないが、屋久杉のほうは高温が続き、合うのだ。この論文では結果の違いを推定方法の違いによると考え、アルケノンによる海面水温のほうが西日本の気温をよりよく代表していると言いたいようだ。(わたしの古気候復元についての門前の小僧としての感覚としては、炭素同位体比には気温以外の要因がききそうであり、アルケノンの相対比からの海面水温のほうが、それを生成する生物種がほぼ一定であること(Kawahataほかは検討ずみ)を前提として、温度の推定値としてもっともだろう、とは思う。) しかし、場所による違いを反映している可能性もあると思う。

また、この論文で使われた海底コアのデータは1730年以後とぎれて時系列は機器観測時代にとぶが、論文では他の研究成果を参照して、1850年ごろまで寒冷期だったと考えている。ただし、この海底コアの研究でわかるのは夏の海面水温あるいは気温だが、従来の文献での「寒冷期」も同じものをさすことは確認されているのだろうか。たとえば冬の寒さをさす可能性もあるので、よく確認してから組み合わせないといけないと思う。

- 3b -

やや一般的に言うと、古気候研究者のうちでも、堆積物や年輪などの証拠から過去の事実を復元推定しようとする人たちは、1地点の時系列を詳しく見て、それが広域を代表すると想定して議論を組み立てる傾向がある。他方、物理的な理論から出発する人たちや、現在の観測データの分布を見て気候を考えている人たちは、気候の状態が空間的に一様でないことを重視し、空間パタンを論じようとする傾向がある。両者の議論はかみあいにくい。坂元・増田(1999)でも論じたように、両方の態度の研究者の共同作業によって、古気候指標の各時間断面での空間分布を見る努力を、もっとしたほうがよいと思う。

最近、人間の歴史を扱う歴史学についても、同様な「時系列から時間断面へ」研究態度を変えようという提案(羽田, 2011)を読んだ。

- 3c -

Kawahataほか(2016)の、学際的な部分の結論的論点は、「日本社会の大きな変化は、気候の寒冷期に起きた」ということのようだ。(社会変化には中央集権の確立も中央集権の崩壊もあるのだが。) 事実の指摘としては(妥当かどうかわたしは確認していないが)よいのかもしれない。しかし、「気候が寒冷なことが社会変化の原因になる」というような因果関係がわかったとは言えない。そういう因果関係があるという仮説を提示したとは言えるかもしれない。それならば、仮説であることをもっと明確に述べるべきだろう (そのようにした場合に学術論文の結論的部分に書くことはむずかしくなるだろうが)。

この仮説の提示について、わたしは気候研究者として、次のような不満を感じる。

わたしは、人間社会に影響の大きいのは、数十年平均の気候よりも、年々の天候変動だと思う。Kawahataほかの研究では、時間分解能は10年から30年程度なので、年々の天候変動は直接論じられない。もし「寒冷期」が「(月の時間規模で)極端な低温の頻度が高い時期」でもあるならば、そういう時期に人間社会への影響が大きくなることはもっともらしいが、ほんとうにそうか、もっと直接的な検討がほしいと思う。

他方、歴史学についてはわたしは著者たちと同程度にしろうとなのだが、この論文での歴史の扱いは大ざっぱすぎるという印象を受ける。
この論文では、日本の歴史について、次のような時代区分を既成の知識として紹介している。(論文の英語からわたしが仮に日本語に訳しておく。)

  • 1. 縄文時代 (10,000 - 930 BC; 狩猟採集の時代)
  • 2. 弥生時代 (930 BC - 250 AD; 稲作の時代)
  • 3. 移行期 (250 - 592 AD; 分権から集権へ)
  • 4. 帝政と貴族の時代 (592 - 1185 AD; 中央集権国家の確立)
  • 5. 封建時代 (1185 - 1868 AD; 武士の政権)
  • 6. 近代 (1868 AD から現在; 近代的憲政)

これは、学校教科書的時代区分で、平安/鎌倉の境界が1192年から1185年に変わったなどのこまかい変更以外は、川幡さんやわたしが中学で習った1970年代の教科書的知識のままだと思う。なお、日本史でいう古墳時代を 移行期 (transition period) としているのは、国家以前の時代から中央集権国家の時代への途上という意味らしい。

今の日本史研究者から見てもこれは適切なのだろうか? おそらく、境界をいつとするかなどは異論が多いと思う。ところが、川幡さんたちは、この時代区分の境界を社会変化が大きい時期とみなして、復元推定された気候と比較しているようだ。

従来の教科書的記述の時代画期は、為政者に注目したものだが、わたしは、気候(とくに極端天候)が影響するのは、農業などの食料生産や、疫病などを通じて、人の健康に、また産業経済に支障が生じることであり、それが間接的に政治に影響する、というのが本筋だと思う。社会変動の激しい時期を抽出するには、為政者よりも、人口変動や第1次産業に注目したい。それで見てもこの論文と同様な結論が得られるのだろうか? という興味が起きる (ただし、申しわけないが、自分で研究する予定はない。)

- 3d -
この議論を進めるとすれば、自然科学者だけでなく、歴史学者の参加が必要だ。ただし、日本史は、古代史、中世史、近世史、近代史と専門分化しているそうだが、それぞれの分科しか論じられない人では困る。自然科学の側は、人間の歴史の時代区分にかかわらず同じ指標の時系列を示せるのが特徴なので、歴史学の側も、時代を越えて同じ概念で整理を試みる意欲をもつ人に出てきてほしい。

ただし、専門分化が進んでしまうと、時代を越えた仕事が、分科ごとの業績評価基準ですぐれた仕事と認められるか、という問題がある。学術研究と後継者育成の組み合わせが必要だ。古気候と歴史にまたがる研究事業をするならば、両方のinteractional expertになる意欲のある若手研究者をtenure track扱いにして、「ここで成功すれば一生食える」ようにできるとよいと思う。しかし近ごろの日本では、研究事業が時限のものばかりなので、むずかしい。

- 4 -
歴史学者が気候と歴史との関係を論じた文献を、わたしはまだ多く読んでいないが、いくつか読みはじめてみると、気候のとりあげかたについて不満を感じることが多い。

- 4a - 【この節、2017-07-29 引用対象文献を読みかえして加筆。】
倉地(2016)は江戸時代の災害とそれに対する社会の対応を論じている。災害には地震や火山噴火によるものもあるが、飢饉については、原因としておもに極端天候を想定しているようだ。

この本の初めのほう(8ページ)に、「図1 江戸時代の気候変動」がある。江戸時代を、年代で刻んで、それぞれの時期の気候を「寒冷」「非常に寒冷」「温暖」と表現し、その時代区分を少しまとめて「第1・第2・第3小氷期」「第1・第2小間氷期」と表現している。しかし、「寒冷」がおもに冷夏をさすのか寒い冬をさすのかも、地域の広がりも、はっきりしない。出典は前島(1984)とある。

前島(1984)はレビュー論文だが、倉地(2016)に採用された情報のもとは前島(1984)の第2表であり、そこには、Maejima & Tagami (1983)に一部加筆とある。そしてその表を参照している本文を見ると、この表は、「弘前藩庁日記の天候記録の分析」と「気象災害の発生回数」にもとづいたものだ。

Maejima & Tagami (1983)を見ると、「弘前藩庁日記の天候記録の分析」の地点は弘前だ。(グレゴリオ暦の)すべての月について、気温と降水量の復元推定をしている。ただし気温の推定は、降水日数との相関によるものだ。

他方、「気象災害の発生回数」のほうは、既存のまとめをもとに、北海道から九州まで8つの地方について、冷夏、寒い冬などの件数を集計している。

Maejima & Tagami (1983)では両者の解析結果の特徴が似ているとしている。しかし、結論の節(5節)にある第9表は津軽藩(=弘前藩)の日記天候記録にもとづいたものだと書かれており、前島(1984)の第2表、倉地(2016)の図1もその情報を引き継いでいるようだ。

どうやら、倉地(2016)の図1は、弘前という1地点の気候変遷の推定としては根拠があるものだが、それを日本の代表として使うのは苦しい。また、弘前についても、「寒冷期」とされている時期はむしろ「降水日数が多い時期」と見るべきかもしれない。

前島氏は気候学の人で(倉地氏による表現は「歴史気象学」だが)、日記などの人が書いた天候記録からの気候変化の復元推定では先駆的な仕事をした。しかし今の同業の専門家から見ると、それはまだ整理されたデータが乏しかった時代の成果だ。弘前のデータだけを見て日本の江戸時代の気候変遷を論じることは、前島氏の意図したものではないはずだが、1980年代当時ならば、もっと適切な研究成果がないので「とりあえず」の議論材料としてはありえた。今では、通用しないか、雑な議論とみなされるだろう。しかし、それに代わって勧められる文献が、まだないと思う。気候研究者が書かないといけないだろう。

- 4b -
歴史人口学者は、人口変動の要因として気候をとりあげている。

そのうち、鬼頭宏氏の著書はいくつもあるが、ここでは人口以外に話題をひろげている鬼頭(2002)の本を見てみた。第4章「人間を取り巻く環境」の「4 災害列島」の節の「気象災害と飢饉」の小節では、確かに年々の天候を問題にしている。

しかし、どのようなデータをもとに天候を論じているかはよくわからない。巻末に章別に参考文献があげられていて、第4章の文献中に、荒川(1967)、吉村(1995)がある。しかし、鬼頭氏が本文のどの記述の根拠としてどの文献のどの箇所を使ったかはよくわからないのだ。

「気温変化と連動する地域人口」の小節(130ページ)に、「地域人口の変化 (1721〜1846年)」という表がある。地域ごとに、人口については、1721年を基準として、全期間、災害年、平常年の偏差が示してある。災害年は「大きな飢饉年を含む」とある。

表には「温量指数(℃)」という項目もあり、100前後の数値がならんでいる。表の注に「温量指数は、1941〜70年の各地域を代表する50都市の平均気温から算出」とある。温量指数は、おそらく吉良竜夫の「暖かさの指数」と同じもので、積算温度の一種だ。数値の出典は書かれていないが、気象庁の観測データをもとに鬼頭氏自身が計算したのだろうか。これは、現代のデータを使って各地域の特徴を示しているのであって、気候の変化を示しているのではない。この数値は「寒冷地で飢饉の影響が大きかった」という議論に使われている。(気候の時間的変化は地域間の空間的違いと比べれば小さいとみなされているのだろう。)

飢饉年は寒冷年だと認識しているようだが、気温偏差を定量的に論じてはいない。飢饉年の判定は、気候でなく、推定された人口動態かその他の社会要因に基づいたものなのだろう。

残念ながら、このままでは、わたしにとって、気候と歴史の関係を考える材料にならない。

歴史人口学者と気候学者のもう少し緊密な協力があれば、気候要因と人口変動の「因果関係を示す」まではいかないだろうが、因果関係の仮説のもっともらしさを検討することはできそうな気がする。

- 4c -
Parker (2013)の本は、とても厚いので、わたしはまだ序論部分を読んだだけだ。

この本の基本的主張は、「17世紀は、世界の(実質的には、北半球温帯の)多くの地域で、気候が異常であり、それが歴史に大きな影響を与えた」ということらしい。異常の内容は、寒冷と、極端天候の頻度が高かった、ということらしい。寒冷は夏・冬両方らしいが、詳しいことは未確認だ。

わたしから見ると、(日本の大部分の歴史学者と反対に) 気候が歴史を決定するという理屈のほうに傾きすぎだと思う。

また、わたしはまだ読んでいないところだが、Battenさんの話によれば、Parker (2013)は、日本について、この時代の世界にはめずらしく、社会変動が小さかったが、それは、土地の人口扶養容量に余裕があったからだ、と解釈している。(江戸時代の日本も当時の技術のもとでの人口扶養容量の限界にぶつかったが、それは18世紀以後のことであり、17世紀には余裕があったのだ。)

しかし、わたしが思うに、日本社会の被害が小さかったことを社会側の要因で説明する論法は、気候からの強制が同等にあることを前提としている。同じ時代であっても、気候変動は地域によってちがっていたかもしれない。

太陽活動のMaunder Minimumならば、気候システムへの外からの強制はグローバルなものだといえる(それでも気温の応答は地域によってちがうかもしれないが)。しかし、Maunder Minimumの時期は1645-1715年ごろとされるが、Parkerのいう危機の時代は、遅くとも1610年代には始まっている(第1章冒頭の話題が、1614年に書かれた、それまでの数年間(a few years)の天候が異常だったという記録なのだ)。気候変動を空間的に一様とみなしてしまうことには無理があると思う。

- 5 -
学際的な問題については、関連づけを試みて、ちがう専門の人に見てもらえる形で発表することが必要だ。しかし、それが決定的知見であるかのように世の中に伝わるとまずい。

「これこれの学術的背景のある人が考えた仮説や作業結果である」ということを明示した形で発表し、学者として仕事をしているという意味では業績として見られるが、決定的知見や画期的成果としては見られないような扱いが必要だと思う。

他の学術的背景あるいはローカルな知識をもつ人からの批判は当然あるだろう。批判者が提唱者の背景知識を理解しているとは限らないので、批判があたっている可能性もはずれている可能性もあると思ってみる必要がある。批判者の専門に近い話題は批判者のほうが正しい可能性が高いと考えてよいだろう。ただしこの専門の区分をあまりに細かくするとよくない。

そのうえで、複数の専門の人が参加した(学際的な)検討に進むのが望ましい。それがすぐにできないことが多いと思うが、その場合は、言いたいことのある人がそれぞれ、専門外の人にわかる努力をして、記述しておいてほしい、と思う。

文献

  • 荒川 秀俊, 1965: 饑饉の歴史。至文堂 [鬼頭(2002)の参考文献。わたしは読んでいない。]
  • Bruce L. Batten, 2017: Climate change, human history, and resilience in premodern Japan: A brief survey of the existing English-language literature, with implications for the publication of research results from the "Historical Climate Adaptation Project". 総合地球環境学研究所 気候適応史プロジェクト 成果報告書 2: 75-82. http://www.chikyu.ac.jp/nenrin/publication.html ; http://www.chikyu.ac.jp/nenrin/publication/workingpapers_2.pdf
  • Harry Collins, 2014: Are we all scientific experts now? Cambridge UK: Polity, 144 pp. ISBN 978-0-7456-8204-4 (pbk.) [読書メモ]
  • [同、日本語版] ハリー・コリンズ 著, 鈴木 俊洋 訳 (2017): 我々みんなが科学の専門家なのか? (叢書 ウニベルシタス 1055)。法政大学出版局, 217+7 pp. ISBN 978-4-588-01055-2.[読書メモ]
  • 羽田 正 (はねだ まさし), 2011: 新しい世界史へ (岩波新書 新赤版 1339)。岩波書店, 220 pp. ISBN 978-4-00-431339-7. [読書メモ]
  • Hodaka Kawahata, Megumi Matsuoka, Ami Togami, Naomi Harada, Masafumi Murayama, Yusuke Yokoyama, Yosuke Miyairi, Hiroyuki Matsuzaki, Yuichiro Tanaka, 2016 (仮): Climatic change and its influence on human society in western Japan during the Holocene. Quaternary International, in press. http://doi.org/10.1016/j.quaint.2016.04.013 (印刷版がまだ出ておらず、巻・ページ番号も決まっていないが、2016年5月にオンライン版が出ているので、仮に2016年出版の文献とした。)
  • H. Kitagawa, E. Matsumoto, 1995. Climatic implications of δ13C variations in a Japanese cedar (Cryptomeria japonica) during the last two millennia. Geophysical Research Letters, 22: 2155-2158.
  • 鬼頭 宏, 1983: 日本二千年の人口史。PHP研究所。
  • 鬼頭 宏, 2000: 人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫 1430)。講談社, 283 pp. ISBN 4-06-159430-3. (内容は鬼頭(1983)の部分改訂版)
  • 鬼頭 宏, 2002: 文明としての江戸システム (日本の歴史 19)。講談社, 338 pp. ISBN 4-06-268919-7.
  • 倉地 克直, 2016: 江戸の災害史 (中公新書 2376)。中央公論新社, 244 pp. ISBN 978-4-12-102376-6.
  • 前島 郁雄, 1984: 歴史時代の気候復元 -- 特に小氷期の気候について。地学雑誌, 93: 413-419. http://doi.org/10.5026/jgeography.93.7_413
  • Ikuo Maejima & Yoshio Tagami, 1983: Climate of Little Ice Age in Japan. Geographical Reports of Tokyo Metropolitan University, 18: 91-111. http://hdl.handle.net/10748/3507
  • Geoffrey Parker, 2013: Global Crisis -- War, Climate Change and Catastrophe in the Seventeenth Century. New Haven CT USA: Yale University Press. ISBN 978-0-300-15323-1.
  • 坂元 尚美, 増田 耕一, 1999: 気候化石 -- 古気候における理論値と観測値の同一基準化。科学, 69: 790-793. [増田によるHTML版]
  • 吉村 稔, 1995: 小氷期の気候。(講座 文明と環境 6 歴史と気候, 朝倉書店), 184-199.