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偏差、anomaly、異常

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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気候に関する学術論文では、「anomaly」という語によく出会う。日本語では「偏差」と「異常」を使いわける必要がある。

Anomalyとは、「平常からの はずれ」のことだ。ただし、この語が、定性的な意味で使われる場合と、定量的な意味で使われる場合がある。

定性的な意味で、anomaly があるというのは、平常の状態から明確にはずれていることだ。日本語の「異常」に対応する。

定量的な意味の anomaly は、実際に観測(あるいは推定・予測)された値と、それに対応する平常の値との差だ。値が小さくても anomaly はある。もし値がゼロだったら、「anomalyがない」と言っても正しいとはされるが、科学者による扱いはむしろ anomaly は存在するがその数量が 0 であるというものだ (表にanomalyという欄があればそこには 0 という数値がはいるのであって「該当なし」にはならない)。この anomaly に対応する日本語は「偏差」だ。ここで「異常」と書くのは、少なくとも気候・気象の文脈では、まちがいだ。(なお「偏差」に対応する英語はいくつもあり、代表は「deviation」だろう。)

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定量的な意味での anomaly (偏差) を考えるとき、平常(normal)の値として何をとるかは、考えている課題によって、まちまちだ。

気候に関する観測値の統計では、「平年値」というものが使われる。これは一定の約束に従った30年間の平均値だ。英語では normal なのだが、normal だけだともっと広い意味になりうるので、climatological normal のような表現が使われることが多い。季節予報の実務家も、研究者も、観測値からこの平年値をひいたものに注目する。その数値が「anomaly」「偏差」と呼ばれる。

気候の話題で偏差と言えば、この 平年値からのずれの量 であることが多い。しかし、いつもそうとはかぎらないし、そうだとしても平年値がどの30年間のものかは自明でないので、それぞれの文脈での意味を確認することが必要だ。

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気候・気象の専門文献では anomaly ということばが定性的な意味で出てくることはほとんどないと思うが、形容詞の anomalous を見かけることはあり、それは「平常から大きくはずれた」(「異常な」)、という意味にちがいない。これはきちんとした定義のある学術用語ではない。ただし、それぞれの著者が作業用の定義をして使うことはある。似た意味の abnormal や extreme についても、日本語の「異常」や「極端」についても、同様なことが言えると思う。【[2016-12-08補足] 一例として、日本の気象庁は「異常気象」ということばを定義して使っているが、これは気象庁というひとつの組織による、情報を発表するという作業のための定義である。】

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「重力異常」ということばがある。英語では gravity anomaly で、実際の重力と、緯度と地球中心からの距離で決まる標準重力 (もし地球が均質な楕円体ならばそこで観測されるべき重力)との差だから、気象学の人ならば「偏差」と言いたくなるところだ。これは、 遠くから見ると同じ「地学」の用語だと思われるだろうが、気象学とは別の測地学(geodesy)という専門分野の用語、いわば「測地むらの方言」なのだ。測地学の成果を伝えるとき、他分野の人も、よほどさしつかえがなければ測地学の用語をそのまま使う。そうしないと情報の出典にさかのぼることがむずかしくなるからだ。

[2016-12-05補足] 測地学でこの文脈で「偏差」を使わないのは、測地学には「鉛直線偏差」ということばがあるからかもしれない。鉛直線偏差は、鉛直線と垂直線(楕円体の法線)とがなす角度で、英語ではdeflection of the verticalといい、昔は「鉛直線偏倚[へんい]」と書かれた。

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英語の anomaly という単語の語源を、わたしはながらく「a-」が否定、「nom-」が(「norm-」とはちがうことはわかっているが) normal のような意味のことば (もしかすると「法則」のような意味のギリシャ語の nomos か?) と思ってきた。

しかし、この記事を書くにあたってちょっと調べてみると、そうではなく、「an-」が否定、「omaly」はギリシャ語で「平らな」という意味の「hōmalos」から来ているそうだ。「hōmalos」は「同じ」という意味の「hōmos」の関連のことばだそうだ。(とりあえずWiktionary英語版によった。あとで出典をきちんと示した辞書にあたってみようと思う。)

漢語起源の日本語の「平常」にも、「よくありがちな状態をつないだものは、極端な状態も含めたすべての状態をつないだものよりも、なめらかだ」、という認識が反映されているように思う。そこで、この記事の頭で anomaly という語の基本的な意味の日本語表現を、「平常からの はずれ」としてみたのだった。

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Anomalyということばは、科学論またはメタ科学(科学的知識に関する学問的考察)の文脈で使われることもある。わたしが思い出すのは、Kuhnが、科学史の文脈で、当時の科学者が自然法則だと思っていたことに合わない観測事実のことを「anomaly」と呼んでいたことだ。日本語では「変則事例」と訳されていたという記憶があり、わたしも、それがこの文脈では適切な表現だと思う。