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極地(北極、南極)の氷

「北極の氷がとけても海面上昇に寄与しない」という議論は、ある意味で正しいのだが、ある意味では正しくない。どちらかといえば「...寄与する」のほうがもっともな局面が多いと思う。

水に氷が浮いているとき、氷の一部分は水面の上に出ているが、水面から下の部分の体積が仮に水であった場合の重さが、水面の上の部分も含めた氷の重さに等しい。このことは「アルキメデスの原理」として知られている。これに従えば、氷がとけても水面の高さは変わらないのだ。

実際の海の場合は、海水の密度は温度と塩分とによっていくらか変わる。しかし、かなりよい近似で、海水の一部が凍って海氷になっても、それがとけて海水になっても、水位には影響がないと考えてよい。

【[2021-01-26 補足] くわしいことを言うと、海氷ができるとき塩はとりこまれにくいから、海水がとけた水の塩分は、海水よりもむしろ淡水に近く、その水の密度は海水よりも小さい。このちがいによって、海氷がとけると、水位はあがることになる。その量は、かりに海氷がとけた水が淡水だとしたばあいの計算で、とけた海氷の実質の体積の 0.026 倍相当である。つぎの論文がある (Gavin Schmidt さんのtweetで知った)。

したがって、「海氷がとけても水面の高さは変わらない」と言いきるのはまちがいだといえる。しかし、定量的な説明なしに「海氷がとければ水面の高さは上がる」と言いきるのもまた、正しい説明とは言いがたいと思う。時間や文字数がかぎられているとどちらかになりがちなのだが、第一近似では無視できるが、第二近似では無視できない、ということをつたえるのがのぞましい知識提供だと思う。】

しかし、氷は陸上にもある。積雪や、それがかたまってできた氷河などだ。南極大陸やグリーンランドにある氷床も大規模な氷河だ。このような陸上の氷は陸に支えられているので海水位とは直接かかわりがない。しかし、その氷の一部がとけて液体の水となり、海に流れていけば、海水に質量を追加することになるから、海水位を上げるように働く。(逆に、陸上の氷の量がふえるとすれば、それは直接または間接に海から蒸発した水蒸気が雪になって降ったものなので、海から質量が減り、海水位が下がるはずなのだ。ただしこの物の動きを直接追うのはむずかしいと思う。)

なお、氷山は氷河・氷床の端がちぎれて海に流れ出たものだ。海水に浮いている氷山がとける際には「アルキメデスの原理」により水面の高さは変わらない。しかしその前に、氷山が陸を離れて海に流れ出た際に、氷山と同じ質量の水が海水に加わったことに相当する水面の上昇が起きているはずだ。

氷河・氷床の端が海上にのびている「棚氷」では、氷が陸地または海底に支えられている状態と、氷山と同様に海水に浮いている状態とがある。中間の状態もあって複雑だが、仮に両者をはっきり分けるとすれば、浮いている状態に移る際に水面を上昇させることになるのだと思う。

さて、今の地球では、北極点は海にあり、南極点は陸にある。したがって、仮に、「北極」「南極」ということばが極点のあたりの比較的狭い(数百km程度までの)地域をさすとすれば、北極の氷は海氷、南極の氷は氷床に限ってよさそうだ。この観点では「北極の氷がとけても海面上昇に寄与しない」はもっともなのだ。

しかし、海面変動などを考える場合には、もっと広く、極点のまわり数千km程度の地域を考えるほうが有意義なことが多い。そうすると、北極域は氷床に覆われた陸であるグリーンランドを含むし、南極域は南極大陸のまわりの海域を含む。「北極の氷」「南極の氷」はいずれも、氷床と海氷の両方を含みうるのだ。

ただし、氷床と海氷の変動の時間規模は違うから、両者をひとまとめにして議論する意義のあることは少ない。また、氷床と海氷とについて情報を得るには、観測にしても、理論に基づくモデル計算にしても、それぞれだいぶ違った道具だてが必要になる。したがって、個別の研究や調査の活動は、氷床か海氷かどちらか一方だけを扱うものがほとんどだ。

そして、それが報道される際に、見出しをつけたり編集したりする人が、極地の氷には氷床と海氷の両方があることをよく知らないと、対象をとりちがえて記述してしまうおそれがある。「北極(または南極)の氷が減った(またはふえた)」といった報道を見たときは、氷床の変化と海氷の変化の混同があるかもしれないと疑ってみる必要がありそうだ。