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デマ

ネット上(twitterやブログなど)で「デマ」という表現をよく見かける。

[前の記事]で導入した用語を使うと、「鈍い用語づかい」で、「事実に反するうわさが伝わり、それを事実と思った人の行動に影響を与えること」ぐらいの意味で使われていることがあると思う。みんながそういう意味で使っているのならば、とくに問題にすることはない。

ところが、「デマ」ということばは、うわさの発信者を非難する文脈で使われることが多い。そうすると、この用語はさきほどのよりも鋭い使われかたをしているはずだ。ただしその意味の説明までは伴わないことが多い。非難する人の意図が正しく伝わっても受け取った人は怒るだろうが、意図がかんちがいされて伝わって怒っていることも多いと思う。

「デマ」の語源は「デマゴーグ」、英語でいえばdemagogueのようだ。これは、大衆の感情や偏見をあおるような言動によって政治的影響力を得ようとする人をさす。「扇動者」と言ってもよいだろう。人を「デマ」の発信者とみなすことは、この意味でのデマゴーグとみなすことと受け取られる可能性がある(みなした側にその意図があってもなくても)。みなされた側からみると、本人が自分を扇動者だと思っていない限り、侮辱と感じられるだろう。(なお、デマゴーグであるかどうかは、発言が事実に反するかどうかで分かれるわけではないようだが、デマゴーグの言動には事実に反するわけではないとしてもそれを公平に反映したとは言いがたい表現が含まれるだろう。)

現実には、人の内面は他人からわからないので、発言者がデマゴーグなのか、発言内容を信じきって主張しているだけなのか、わからないことが多い。デマゴーグ的意図をもつ人が、自分はおもてに出ないで、だれかを信じこませて発言させていたり、すでに信じこんでいる人の発言を広まりやすくしていたりすることもあるかもしれない。そういう可能性も含めて、やや鋭い意味での「デマ」に警戒するべきなのかもしれない。ただしそこで「デマ」というラベルを発信者に貼ってしまうと、状況をこじらせるかもしれない。