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びっくりする画像が出まわるのは放置してはおけない

2013年8月23日、「福島の汚染水で太平洋は終り」ということばがtwitterで伝えられているのを見た。【わたしは「これで太平洋が終わりならばビキニ水爆ですでに終わっている。」とつぶやいた(tweetした)。ただし「だからといって、水爆実験をどんどんやっていいわけでもないし、核燃料再処理をどんどんやっていいわけでもない。」とも言った。】

その表現が聞かれなくなったと思ったら、「ゲンダイネット」というサイトに2013年9月6日に出た記事元スイス大使が緊急提言「IOCは原発事故の真相を知っている」 (「日刊ゲンダイ」の記事かもしれない)の話題が広まった。「元スイス大使の村田光平氏に話を聞いた。...ドイツの「キール海洋研究所」が昨年、福島原発事故によって太平洋がどうなるか、6年後の放射能汚染をシミュレーションしています。太平洋は真っ赤になっている。...国家を挙げても処理できない」ということばが含まれている。

それでさかのぼってみると、『ドイツのシミュレーションでは福島の汚染水で太平洋は終り』カレイドスコープというサイトに8月21日に出た記事(ダンディ・ハリマオ氏によるものらしい)だったが、それは8月14日に元駐スイス大使の村田光平(みつへい)氏が電話出演したJ-WAVEのラジオ番組にもとづくものだった。つまり情報源は同じだった。

カレイドスコープ」のほうの記事への論評として、Translation - Übersetzungというブログに8月23日に「『ドイツのシミュレーションでは福島の汚染水で太平洋は終り』という記事について」という記事(Sugitakei氏によるものらしい)が出ていた。これには、

へのリンクが示されている。

原著論文は次のものだ。

  • Erik Behrens, Franziska U Schwarzkopf, Joke F Lübbecke & Claus W Böning, 2012: Model simulations on the long-term dispersal of 137Cs released into the Pacific Ocean off Fukushima. Environmental Research Letters 7, 034004

この論文の図6は、確かに「太平洋が真っ赤になった」ような図ではある(図の範囲が北太平洋に限られているが)。ただし、この赤い色は、10のマイナス14乗の桁の数値に対応している。シミュレーションの結果の、ある時点での海洋の面積あたりの汚染物質量の相対値だ。では何を1とした相対値なのか。本文を見ると、陸から汚染物質が出て来てまもない時期の、東経141 -- 141.5度、北緯37 -- 37.5度の領域の面積平均値だそうだ。1でさえ、陸から出てきた汚染水中の濃度よりはだいぶ薄まったものになっているわけだ。

北太平洋じゅうにいくらか汚染物質が広がることは現実にも起こるにちがいない。そして、そのような影響をおよぼす汚染物質を出すことを道徳的に批判するのはもっともだと思う。しかし、これを使って危険があると主張する人は、赤い色が実際にどのくらいの濃度に対応するかを定量的に(細かい数値ではなく数量の桁の問題として)考えたうえで、その濃度でどのくらい危険なのかを論じてほしいと思う。(今わたしはそこまでやっていないが。)

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東日本大震災1週間後の2011年3月18日、日本気象学会の新野(にいの)理事長がメッセージを出した。リンクとわたしなりの議論は別ブログの2012-07-16の記事にある。

このとき、気象学会が消極的対応しかできなかったのはメンバーとして痛恨事だ。もっと積極的対応ができたらよかった。たとえば、日本土壌肥料学会のように、ワーキンググループを作って科学的知見を学会ウェブサイトから発信したらよかったのかもしれない。

しかし、この理事長メッセージで、「不確実性を伴う情報を提供、あるいは不用意に一般に伝わりかねない手段で交換すること」に対して懸念を示したのは、「知らしむべからず、よらしむべし」のような態度(paternalism)ではなかったと思う。大気中の放射性物質の広がりについて、すでにネット上で、外国の機関のシミュレーションに基づく一見すごい図が説明のことばが不充分な(シミュレーションで与えた条件や示された数量の単位がわからない)まま出まわっていたのだ。「ネット上の参加型メディアでは、まちがった情報は自発的に訂正されるから発信をおさえる必要はない」という、社会科学的裏づけがあるらしい見解も聞かれた。しかしそれは、短い文でうまく要約できるような言語情報についてだと思う。画像の場合、印象の深い画像はよく伝わるが、その説明のことばが伴わないまま伝わってしまうことが多い。HTMLのしくみが画像を別ファイルで扱っているという技術的事情もあるし、説明文の意味がよくわからないながら漠然と大事だと思う人が画像だけリレーしてしまいがちだという心理的事情もあると思う。また、訂正情報はそれほど印象深いものにならないので、もとの画像が伝わったところに行き渡らない。さらに、研究論文で数値を地図上に表わす場合の色の選択は、その論文の議論にとって区別が必要な数値を区別できるように色を選んでいる。そこで目立つ色で表現された数量が、その論文を離れた、たとえば健康への危険を考える文脈で重要な数値であるとはかぎらないのだ。この反省をふまえると、シミュレーション結果を専門外の人に示すための、図のつくりかた、色の使いかた、図と切り離されないようにくふうした説明の入れかたなどをくふうすることは重要な課題だと思う。しかしそれにはまだ試行錯誤も必要だろう。

災害時、不確かな知識の中から出す情報は必ずしも正確ではない。過小評価も過大評価もありうる。どちらの場合も修正が必要だ。修正がまた過大だったり過小だったりして再修正されることもあって当然だ。必要なのは修正であって、過小評価や過大評価をした人への非難ではない。最初の情報を出す人、修正する人、どちらも社会にとって重要なのだ。