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不確かな科学情報を社会に提供すること - 地震発生見通しの場合 (3)

イタリアの裁判の件よりも前にこの話題について書こうと思っていたのだった。

大木聖子さんのTwitterでの紹介をきっかけに、毎日新聞 2012年9月2日 (東京) 1面+4面の記事「予想超えた巨大地震 学者たちの限界と使命」の、地震学者の纐纈一起 (こうけつ かずき)さんに取材して書かれたところを読んだ。いろいろ考えさせられるところがあったが、とくに2012年3月、首都直下地震の新しい震度予測地図を発表した際に、震度7の場所があることを述べたが、それはどの地区であるかを明らかにしなかった、という件が印象に残った。

同じ話題が、「FACTA」という雑誌の2012年10月号の纐纈さんによる記事「メディアに翻弄された1年半」としてオンラインに出ていた。その中から引用する。

公表した震度予測地図は、数百通りも考えられる首都直下地震の発生シナリオの中の、たった2例に対するものに過ぎない。今回、震度7とならなかった地域でも、数百通りの中のどれかのシナリオでは必ず7になってしまうだろう。したがって、地名を明らかにしてそれらが独り歩きすると、そのほかの地域にとっては危険な「安全情報」になってしまう。

これは気候のシミュレーションについてわたしが前から考えてきたことや、大気による放射性物質の輸送のシミュレーションについてこのブログや「気候変動・千夜一話」のブログにたびたび書いてきたことと共通の問題なのだと思う。

震度予測のためのシミュレーションは、地殻の中の地震波伝播のしくみを表現したモデルを作ったうえで、震源としてどこでどんな大きさの断層運動が起こるかを与えて計算しているはずだ。モデルと現実との対応にも不確かさがあるが、とくに震源の与えかたは、現実にありうるすべての可能性を計算しつくすことはできず、少数の例についてやってみるしかない。

シミュレーションの結果は、空間的に意味ありげなパタンを含んでいる。とくに実際の地理的分布を考慮したモデルによる計算ならば、結果を見る人の心理としては、自分にかかわりのある狭い場所で結果がどうなっているかを知りたくなるのは当然のことだろう。しかし、シミュレーションの中側を知っている人から見れば、細かいパタンはノイズにすぎないのだ。ノイズはまったく情報をもたないわけではない。地震の例で言えば、狭い地域の中でも場所によって震度にどの程度のむらがあるかは適切に表現しているかもしれない。しかし、どの地区で震度が大きく、どの地区で震度が小さいかは、モデルの性質上偶然に変わりうるものかもしれないし、震源の与えかたによって簡単に変わるものかもしれない。結果として示された図で、たまたま震度が大きく出た地区から逃げ出したり、震度が小さく出た地区で安心したりすることは、シミュレーションの賢い使いかたではないのだ。

公共のための研究なのだから情報を発信する必要はあるのだが、結果の意味を適切に理解してもらうのはとてもむずかしい。ひとつ幸いなのは、対象が違ってもシミュレーションの結果を解釈するうえでの注意には共通点があることだ。