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「低炭素社会づくり対話フォーラム」のシンポジウムを聞いて

2011年6月22日、東京四谷の上智大学で開かれたシンポジウム「対話で拓く低炭素社会」(案内ページは今のところ http://www.sh-forum.net/news.html にある)に出席した。これは、国の科学技術研究事業のひとつである科学技術振興機構(JST)の社会技術研究開発センター(RISTEX http://www.ristex.jp )の研究プログラム「科学技術の社会の相互作用」(http://www.ristex.jp/examin/science/interaction/index.html)のプロジェクト「政策決定対話の促進:長期的な温室効果ガス大幅削減を事例として」(代表が上智大学の柳下正治教授なので以下便宜上「柳下プロジェクト」と呼ぶ)の報告会だった。このプロジェクトは2007年度途中から始まり今年度が最終年度で、主要な作業が終わってこれからまとめる段階だそうだ。

(この日にはもうひとつ、文部科学省で、文部科学省のほかJSTのRISTEXや研究開発戦略センター(CRDS)も主催者である国際フォーラム「新たな政策決定プロセスの構築に向けて -- 科学技術イノベーション政策における『政策のための科学』の推進」(http://www.hakushu-arts.co.jp/policy/ )があって、わたしはどちらに出るか迷った末に、今回は総論よりも各論の話を聞くことにした。)

柳下プロジェクトは、少なくとも資金を提供しているRISTEXの立場から見れば、政策決定に寄与する(人々の間の)対話のわくぐみを作ることを目的とした実験なのだ。ただしそのためには具体的な政策課題をとりあげ、それに関心のある人に参加してもらう必要がある。政策課題の例として、温室効果ガス排出削減つまり「低炭素社会づくり」が設定された。参加した人の立場から見れば、おもな関心事は中身の「低炭素社会づくり」のほうであり、それを実現するのに役立つかもしれないので、わくぐみづくりの実験にも協力する、ということになる。シンポジウム出席者の関心も、わくぐみと中身の両方にわたっていたが、質疑討論の発言を聞く限りではおもに中身のほうに向かっているようだった。文部科学省のフォーラムと日程が重なってわくぐみづくりのほうに関心のある人の出席が少なかったのかもしれない。プロジェクトで行なわれたような対話を実際の政策に反映させていくにはどういうわくぐみを作ったらよいだろうか、という問題提起の発言はあったのだが、政策決定全般というよりは温室効果ガス排出削減に関する政策にしぼられていたように思われた。

政策はすべての国民にかかわるわけだが、柳下プロジェクトのねらいは、とくにステークホルダー(stakeholder、「問題当事者」という表現もされていたが、この事例ならば「低炭素社会づくり」という課題をなんとかしようという意欲をもっている人)の間の効果的な対話の場をつくることだった。これまでの政策決定過程では、たとえば「産業界」とか環境NPOとかが政治家や官庁に働きかけるロビー活動はあるが、産業界の人と環境NPOの人、さらに、問題意識はあるが知識が充分でないために具体的にどんな政策案を支持したらよいのか迷っている市民がいっしょに議論する場がなかった。そういう人々のために、事実認識を共有し、どんな点で意見がくいちがうのかを明確にする場が必要だ、という考えで「フォーラム」が企画された。

フォーラムは、産業界、地方自治体、NPO、地域の市民の(自治体との)協議会など、いろいろな種類のステークホルダーから構成された。ステークホルダーは所属団体を代表するわけではないが、それぞれの立場を意識して発言することが期待された。科学者は(このフォーラムの場合は)ステークホルダーとは区別され、ステークホルダーの集まりからの求めに応じて知識を提供する役割で参加した。科学者は所属団体の立場を意識するのではなく各人が科学的に正しいと考えることを述べると期待された。

フォーラムでは、日本国の政策を論じることと、2050年までに温室効果ガス排出の大幅な削減が必要であることを前提として、論点整理は主催者ではなくステークホルダーの集まりによって進めることにした。各人が重要と思う課題合計60件くらいから議論を深めるべき課題を2つにしぼるのに1年くらいかけたそうだ。(この作業にはあまり意義が感じられなかったと述べた参加者もいた。) そしてその2つの課題について半年あまり議論した。

シンポジウムではおもに課題のひとつ「2050年までに再生可能エネルギーをどこまでふやすべきか」の議論をふりかえった。専門家の説明を聞いて事実認識がだいぶそろったあとでもステークホルダーの間の意見には大きな幅があったが、その違いは、持続可能性・環境負荷自給率と、安定供給・経済効率との間の優先順位づけによることがわかってきたそうだ。

このような幅は、専門家として参加した科学者(エネルギー工学者)の間にもある。エネルギー源ごとの費用の比較をする際に、計算基準を細かくそろえると、専門家間のくいちがいはあまり大きくない。しかし、何を計算に入れるかがそれぞれの専門家が背景とする価値観によって違うのだ。

聞いていたわたしの印象としては、専門家間の最大の認識の違いは、再生可能エネルギーがどれだけ信頼できるか(dependableか)に関する見通しにある。火力発電や原子力発電は、稼働しさえすれば、能力いっぱいの発電を期待してよい。太陽光発電風力発電は、設備が稼働していても天候によってエネルギーが得られないことがある。山地憲治氏は、太陽電池の信頼できる発電能力は設備能力の10%くらいだ(という研究報告がある)と述べていた。飯田哲也氏は、気象予測能力を高めれば信頼できる割合は高まると主張していた。わたしの考えとしては、気象予測能力が高まれば発電量の確率的見積もりの精度は高くなると思うが、飯田氏が期待するような各時刻の発電量の精密な予測は原理的にあまりうまくいかないと思う。信頼できる割合をふやす必要があるのだが、そのためには、エネルギーをたくわえること(その費用を減らすことに向けて技術開発やその普及を促進すること)と、エネルギー需要のほうを制御すること(フォーラムのもうひとつの課題「ライフスタイル」に関係する)が大事だと思う。

わくぐみのほうに関する感想としては、このような議論の場をつくることが有意義なことはまちがいないが、国民の代表である国会での議論にどうつなげるかが残る。議論の課題はこのプロジェクトでとりあげたものに限らない。地球温暖化関連に限っても、たとえば、(シンポジウムでも一部の専門家が話題にしていた)二酸化炭素回収をした場合に、それをどこへ持っていくかという問題もある。この社会実験を参考にして、もっと考えていかなければならないと思う。