macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

もうひとつの多文化コミュニケーション

電車に、ある大学の広告が出ていた。「多文化コミュニケーション学科」という学科が発足するのだそうだ。世界のいろいろな国のいろいろな民族の生活や考えかたを学ぶことになる。そのためには、それぞれの民族の言語や、それを論じている文献が書かれた言語を学ぶ必要もある。

専門家集団はその知識・技能によって社会の中での役割を果たす。しかし、専門家集団の利害は、一般社会の利害と必ずしも一致しない。一般社会の意思決定の中で、専門知識を必要とする場合は、専門家にかかわってもらうことが必要だが、専門家にまかせきりにしてはまずいのだ。しかし、専門家集団の中ではその集団固有のことばが使われることがある。一般社会に使われていることばでも専門家集団に特有の意味を含めて使われていることがある。専門家は、自分の考えを一般の人が理解できることばで表現しなおして伝える努力をする必要がある。しかし、それとともに、専門外の人のうちにも、専門家集団の文化を理解し、専門家集団の言語を一般社会の言語に通訳できるような能力をもつ人が出てきてほしい。とくに社会の意思決定のうえで専門知識を必要とするとき、専門家の用語を正しく理解できるが専門家集団の利害を共有しない人が必要だ。

違った専門の専門家どうしが協力する必要があるとき、専門家が他の専門家集団の文化を理解することが必要になる。同じ人が複数の分野の専門家になりきることはむずかしい。そこで、ひとつの分野の専門家であるとともにほかのいくつかの分野の専門家集団の用語を正しく理解できる人をふやすことが重要だと思う。

文献

  • Thomas S. Kuhn, 2000: The Road since Structure. University of Chicago Press. [読書ノート]
  • Harry Collins and Robert Evans, 2007: Rethinking Expertise. University of Chicago Press. [読書ノート]