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じゅうぶん、十分(?)、充分(?)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】

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「じゅうぶん」ということばは、現代日本語の日常語のうちにある。「じゅうぶんな」という形になるから、学校文法用語でいえば形容動詞だ。「じゅうぶんだ」とはどういう意味かといえば、「たりている」ということだといえる。しかし、わたし自身は、「じゅうぶん」のほうをさきに理解して、それをつかって「たりている」を理解した(と思う)。「たりない」は早く理解したのだが、それをなにかの否定であると理解するのがおくれたのだ。日常語だから、かえって、意味の説明がむずかしい。

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英語の日常語には enough がある。つづり字と発音の関係がわかりにくい語の例でもある。「... is enough」の形でつかわれるから形容詞にちがいないのだが、名詞を修飾するかたちではつかわれない。日常語ではないかもしれないが、名詞を修飾できる形容詞としては sufficient がある。数学の「十分条件」は sufficient condition で、「必要条件」 necessary condition と組になっている学術用語だ。関連する動詞の suffice もある。

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「じゅうぶん」を漢字で書くばあいは「十分」と「充分」がある。これは同じことばで書きかたがゆらいでいるのか、別々のことばで意味によって区別するべきなのか、一方がただしく他方がまちがいなのか? 最近どこかで読んだものでは、古くからある書きかたは「十分」で、「充分」は新しいあて字らしい。しかし、だれがどこに書いたものか記録しなかったので、根拠としてつかえない。

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「十分」という文字づかいにはまぎらわしさがある。「じゅうぶん」がもとから「十分」だったとすればその「十」の語源は数の「十」 (十進法の10 ) だったにちがいないのだが、もはやすでにその数をあらわしてはいない。しかし「十分」というつづりで「十」という数をあらわすつかいかたもある。数は算用数字でかくときめればこちらは「10分」となるから区別できるのだが、たてがきのばあいは算用数字では読みにくいこともあり、漢数字もすてがたい。

数をあらわすばあいのうちでも、意味も、発音との対応も、ひととおりではない。(便宜上番号をつけたが、それはわたしが思いあたった順であって、語源の順序ではない。)

第1は、「時・分・秒」または「度・分・秒」の60進法の単位に出てくる「分」で、そのよみは「ふん」だが、「十分」は「じっぷん」とよむのが正しいとされている。

【ここで、「じゅっぷん」ではいけないのか、という問題がある。発音では「ジッ」と「ジュッ」の区別をしていない人が多いと思う。かな (や、ローマ字) で書こうとするときだけ見えてくる問題なのだ。歴史的かなづかい [漢字音のばあいにこの用語をつかうべきではないという意見もあるだろうが、ここではあえてこう書く] では「十」の音は「ジフ」だった。おそらく唐代ごろの漢語の zip のような発音を日本語にうけいれたものだろう。日本語の音韻変遷で「ジフ」は「ジュウ」となったが、「ジフフン」は「ジップン」となった。しかし、現代かなづかいでそだった人にとって、「十」から「ジュ」でない「ジ」をとりだすことはむずかしい。「ジュウフン」が変形された形として「ジュップン」が出てくるのも当然だと思う。いまの実用的規範としては、「じっぷん」「じゅっぷん」はどちらでもよいとするのが適切だと思う (これも出典をわすれたがどこかで読んで賛同した)。】

第2は、小数の10進表現の「分・厘・毛...」の「分」で、本来は、もとの量の10分の1だ。ただし日本では、10分の1を「割」(わり)といい、それを分割していくので、「分」はもとの量の100分の1をさすことがおおい。このばあいのよみは「ぶ」だ。

なお、「じゅうぶん」がもとから「十分」だったとすれば、その意味は、この第2の意味のうち本来の意味での「十分」が「全部」と同じであることから派生したにちがいない。

第3は、分数の表現だ。分子を1、分母を10とする分数 「1/10」は「十分の一」と書かれる。このばあいの「分」のよみは「ぶん」だ。

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わたしは、「じゅうぶん」は なるべく かな で書くことにしている。漢字の本来の意味からだいぶはなれてしまった語だと思うからだ。『公用文の書き方』で「副詞はかなで書く」としているのと共通の考えだと思っている。(「じゅうぶん」が副詞でもあるかどうかの議論にふみこむつもりはない。)

しかし、文字数の制約のあるところで 5文字をとるのは気がひけることもある。わたしは ある時期、「充分」という文字づかいをすることにきめていた。「十分」には 4 節に書いたようなまぎらわしさがあるからだ。しかし、「充分」は あて字だという指摘を読んで (確認していないのだが)、あて字もつかいたくないので、まようようになってしまった。ちかごろは、編集者から「十分」となおされて、自分でもよみまちがいの心配がないと判断したときは、そのままにしている。