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都立大学は復活するのか? ともかく「都立大学は都立大学駅前にありません」は復活する。

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】

【わたしは、かつての都立大の関係者でもあったし、いまの首都大の関係者でもあるが、首都大ができて(旧)都立大がなくなったころの状況はよく知らない。また、内部限定の情報はもっていない。ここに書くのは、ウェブや報道で公開された情報と、それにもとづいてわたしが考えたことである。】

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いま「首都大学東京」(首都大)という名まえになっている大学が、2020年4月1日から「東京都立大学」になる予定だ。この大学を運営する公立大学法人「首都大学東京」は、このことを 2018年8月24日に決定し、その法人のサイトのページ[首都大学東京等の名称変更について]で発表した。なお、この法人の下には首都大のほかに、産業技術大学院大学、東京都立 産業技術高等専門学校がある。この法人のほうの名まえは、「東京都公立大学法人」となる予定だ。

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世間で、「東京都立大学」が「復活する」「帰ってくる」といういいかたがされることがある。これについて、「そうだ」というべきか、「ちがう」というべきか。

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世界を「東京都立大学という名まえの大学がある世界」と「ない世界」とにわければ、1949年から「ある世界」だった。2011年4月から「ない世界」になっていた。2020年4月に「ある世界」がもどってくる、とはいえる。このことを「東京都立大学が復活する」と表現することはできるかもしれない。

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しかし、これからの東京都立大学のひろがりは、かつての東京都立大学と同じではない。そのひろがりは、2005年3月まで存在した「東京都立大学」「東京都立科学技術大学」「東京都立保健科学大学」「東京都立短期大学」(便宜上「都立4大学」とよぶ)をあわせたものだ。

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法的存在としてみれば、「東京都立大学が復活する」というのは、ただしくない。

2020年4月に「東京都立大学」となるのは、2005年4月に「開学」した「首都大学東京」(という大学)が名まえを変えたものだ。( 首都大がなくなってあたらしい大学ができるわけではない。だから国に対しては設置認可の審査をうける必要はなく届け出ですんだのだ。)

2005年4月におきたことは、scrap and build だった。東京都は「都立4大学」をつぶし、その資源を流用して首都大というあたらしい大学をつくったのだ。

ただし、大学の組織改編についての国の一般的ルールにしたがって、在学生は入学した大学を卒業できるべきなので、旧「東京都立大学」は形式的には2011年3月まで存続した。(科技大、保健大、短大も、それぞれ、ある時点まで存続していた。)

【首都大ができて以後に存続していた「東京都立大学」の経営主体がだれだったのか、わたしは知らない。経営責任は東京都にありつづけたが、運営を公立大学法人「首都大学東京」に委託していたのだろうと想像しているが、まちがっているかもしれない。】

だから、順序からいうと build and scrap なのだが、むしろ「scrap開始」and build というべきだと思う。

かつて東京都の行政組織の部署としてあった東京都立大学は、scrapされたまま、もう復活しない。

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実質は、旧都立4大学から首都大へ、建物や備品も移管されたし、旧都立4大学につとめていた人の全部ではないが多数が首都大にやとわれることになったので、かなりの連続性がある。

すくなくとも旧都立大であったところにいつづけた人のうちには、実質的には「都立大が首都大にかわった」と感じる人が多いだろう。そういう人は、今度はもとにもどると感じ、名まえがもどることがうれしい人が多いと思う。

しかし、もとの都立大が scrap されて別ものの首都大ができたと感じている人は、別ものの首都大が、都立大を(2005年に)つぶしただけでなく(2020年には)その名まえまでとりあげてしまったと、怒るかもしれない。

旧科技大・旧保健大・旧短大の人がどう感じるかは、わたしにはわからない。記憶によれば、2000年ごろ、都立4大学合併は既定方針で、「仮称 東京都立大学」として具体的な組織についての相談をしていたと思う。(そのときは、旧都立大の学部構成はほぼそのまま、科技大、保健大もそれぞれ学部としてくわわるという構想だったと思う。) もしそうであって、「4大学が合併し首都大になった」という表現が実感に近い人は、「首都大」の名まえが「仮称」にもどっただけと思えるだろう。

首都大になってから学生や教職員になった人のうちには、自分の母校が消滅するように感じられて不満な人もいるだろう。そういう人には、新「都立大」は首都大と同じであって、名まえだけの変化なのだと、納得してもらうしかない。

実態でなく名まえについてだが、「首都大学東京」という名まえが変だと思っている人は、やっとまともな名まえになったと思うだろう。(わたしは、別ページ[[わたしが出あった問題な日本語] 首都大学東京]に書いたように「変だと思っている人」だ。)

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「仮称 東京都立大学」が「首都大学東京」にかわったのは、名まえだけではなかった。2003年に、石原 慎太郎 都知事本人かその名まえで動ける人が、4大学の学長などの当事者で立案していた合併計画をあえて排除し、「トップダウン」で 「まったくあたらしい大学をつくる」と言って動きだした。さすがに、いまいる教員をみんなやめさせてまったくあたらしく人をやとう、というわけにはいかず、都立4大学の教員が人材としてあてにされていたのだが、教員組織は教員にきめさせず東京都の大学改革担当者がきめてしまい、教員には新大学の指定された部署にうつるかうつらない(旧4大学の消滅時に職をうしなう)かをyes/noで問う、という方針がしめされた。理科系は、学部 (旧 理学部・工学部) は解体されたが、学科のレベルでは微妙な変更で存続できたところがおおい。しかし、 文科系については、「大学院はlaw schoolとbusiness schoolだけにする、そのほかの教員は都市教養学部の学士課程教育だけをせよ」というようなトップダウンの方針がしめされたらしい。(ここは、わたしは近くで見ておらず、都の方針に不満な人からはいってきた情報にもとづくので、かたよった認識かもしれない。)

この文科系大学院つぶしに対しては、教職員や在学生が抵抗したし、外からも「学問の後継者養成の能力のある教員にそれをやらせないのは損だ」といった批判があったらしい。けっきょく、学部の組織と名まえはトップダウンできめられた「都市教養学部」となったが、それに所属する教員は大学院も担当し、大学院の研究科名は「人文科学研究科」「社会科学研究科」などとなった。実態としては、旧都立大の文科系の学科レベルの集団も、首都大のなかで存続できたところが多いようだ。

ただし、旧都立大の経済学部からは経済学の教員がだいぶぬけて、「経営学専攻」になってしまった (そこで教える内容のうちわけに経済学はあるが)。また、存続できた学科でも、scrap and build に反対する人や、さきゆき不安を感じる人が、だいぶぬけた。

その後、2018年4月に、首都大の学部が再編成された。「都市教養学部」がなくなって、旧都立大にあった「人文学部」「法学部」「理学部」が(名まえとしては)復活した。旧「経済学部」にあたるものは「経済経営学部」となった。 旧「工学部」のうち都市教養学部にふくまれていた学科は、旧科技大からきた「システムデザイン学部」に合流した。なお、「都市環境学部」は、首都大になったときの編成がほぼそのまま続いており、旧都立大の編成にもどっていない。この再編成については、予定の段階で[2017-07-05 首都大の学部再編成]の記事に書いた。(「都市教養学部」という奇妙な形式をおしつけた都知事や幹部職員がいなくなったので、形式を内容にあわせてすっきりさせることができた、ということなのだと思う。)

こんなわけで、旧都立大と首都大の実質的連続性については、あるというか、ないというかは、それぞれの人の居場所によってさまざまだと思う。

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「都立大」「首都大」のほかの名まえの可能性はあっただろうか。

東京都の大学であることをしめしたい。東京大学とは なのれない。(首都大と同じころだが「県立広島大学」はできたから、「都立東京大学」はありうるかもしれないが。)

東京を別のことばでしめそうとしても、「東都」「江戸」ぐらいしか思いあたらない。「首都」は固有名ではなくて国にとっての機能をあらわすことばだし、東京が日本の首都であることは正式決定されていないそうだが、日本の国の法制度には東京が首都であることを前提としたもの(たとえば「首都圏整備法」)もあるから、「首都」も実質的に「東京」の別名としてつかわれているのだろう。首都大あるいは(新)都立大での研究・教育の(全体ではないが重点である)主題として、「都市」をあつかうことはたしかに期待されているが、「首都」という機能をあつかうことはとくに期待されていないと思う。

【なお、中国の北京市(という地方行政単位)が設置した大学に「首都師範大学」がある。まぎらわしいが「北京師範大学」は国立大学である。「師範」はもともと教員養成学校からはじまった歴史を背負った名まえだが、実態はどちらも総合大学になっている。】

「都立」を明示しながら、東京の別名ではない何か (「〇〇」としておく) をいれた、「都立〇〇大学」のような形はありうるだろう。(しかし、〇〇にふさわしいことばをわたしは思いつかない。)

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英語名称は、旧都立大がつかっていた Tokyo Metropolitan University を、首都大がそのままひきついでいる。今回、日本語名称が変更されても、当然そのままだ。これをおもに見ている人は、旧都立大 - 首都大 - 新都立大は、同じものだとみる人が多いだろう。

インターネットのドメイン名は、旧都立大は metro-u . ac . jp だったのだが、首都大は tmu . ac . jp とした。新都立大はそのままひきつぐだろう。これをおもに見ている人は、首都大から新都立大には変化がないが、旧都立大とは切れていると感じるだろう。

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東急東横線に「都立大学」駅がある。

さかのぼると(Wikipedia日本語版の「都立大学駅」による)、この駅は1927年に「柿の木坂」駅として開業し、(旧都立大の前身といえる)府立高等学校ができたのにともなって 1930年に「府立高等前」、のちに「府立高等」「都立高校」をへて、1952年に「都立大学」となった。

この駅は、1991年4月に(旧)東京都立大学が八王子市 南大沢に移転したときから、都立大学のもより駅でなくなった。

【(旧)都立大の目黒キャンパスの一部にあった都立大学付属高校は残ったが、2006年から「桜修館中等教育学校」にかわり、首都大との公式な関係はない。これで都立大学駅は都立大学付属高校前でもなくなった。ちなみに、となりの学芸大学駅は、いまも東京学芸大学付属高校前ではある。】

しかし、東急は駅名を変えなかった。理由を想像してみると、駅の所在地の現在の町名は「中根」、むかしの駅名は「柿の木坂」、都立大の目黒キャンパスのあったところの地名は「八雲」であり、都立大学駅前の商店街はこの3つの町名にまたがったところにあって、駅名が地名のように使われている、ということなのだと思う。

移転以後の(旧)都立大学関係者は、ことあるごとに「都立大学は都立大学駅前にはありません」と説明しなければならなかった。

世界に東京都立大学が存在しない時代には、このまぎらわしさはなくなった。「都立大学」は、純粋に(目黒区のうちの小地域をさす) 地名としてつかわれることがふえた。

2020年4月から、またまぎらわしくなる。

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まぎらわしさは もうひとつある。

東京都立大学がほぼ存在しなかった (少人数の在学生とその教育のための体制だけだった) 時期の 2009年4月に「東京都市大学」(都市大)ができた。

都市大は私立大学だが、その英語名 Tokyo City University は、公立大学である大阪市立大学 Osaka City University の同類と感じられる。

わたしには、「東京都の大学」のブランドイメージが、都市大にうばわれてしまったように感じられる。存在しない東京都立大学はそれに対抗することができなかった。

2020年4月からは、よくにた名まえの大学が共存することになって、おたがいにやっかいなことになりそうだ。

都市大は、それまでの武蔵工業大学と東横短期大学を合併改組したもので、設置者は「五島育英会」、あきらかに東急グループだ。

他方、(Wikipedia「都立大学駅」の情報だが) (旧)都立大が(いまの地名で)目黒区 八雲にあったのは、府立高等学校を東急が誘致したかららしい。

邪推して、「都立大学に逃げられた東急グループは、自まえで、それにかわる大学が沿線にある状態を確保するとともに、ブランドイメージもうばってしまった」などと考えてしまった。ただし、都市大は東急沿線にあるとはいっても都立大学駅の近くにあるわけではないから、この陰謀論には無理がある。

[余談] 都市大は総合大学だから、都市とはちがう対象をあつかう人もいる。(たとえば、都市計画だけでない(広域の)国土計画を専門とする人がいることは、ほかの大学にはあまり見られない武蔵工大の特徴だったと思う。) そういう人は「都市大」という名まえではやりにくいかもしれないと思う。これは、「首都大」とともにできて新「都立大」にひきつがれる「都市環境学部」についてもいえることだ。

[余談] 都市大は、2019年10月のニュースに登場した。台風にともなう洪水で、地下にあった図書や実験機器がいたんでしまったのだ。土地価格の高い東京で、面積を必要とする大学キャンパスが洪水リスクのあるところに立地したのはやむをえないと思うが、建築の専門家もいる大学で、書庫や実験室を災害につよくできなかったのは残念だと思った。

都市大に対して失礼なことを言ってしまったかと思うが、わたしは都市大を悪く思っているわけではけっしてない。都立大関係者としても、おたがいに尊重してやっていけるとよいと思っている。