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気候システムの感度や地球温暖化の将来みとおしについてのいくつかの議論

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】

【この記事は、気候変化の専門家として書いています。しかし、自分で計算したわけでも、しっかり文献調査したわけでもなく、たまたまネット上で知ったり検索して見つけたりした記事の要点と思われるところだけを読んで、考えたことを書いたものです。】

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二酸化炭素そのほかの温室効果気体の増加による気候変化 (「地球温暖化」)の将来みとおしが、これまでの定説どおりでないかもしれない、という話題がいくつか、ネット上で流れた。

温暖化の将来みとおしをしめす数量として、「21世紀末ごろの温度は、温暖化がはじまるまえにくらべて何℃高くなるか」がよくつかわれる (この数量を仮に「ΔT_2100」という記号であらわすことにする)。「温度」としては世界平均地表温度 (「地表温度」は地上気温または海面水温) をとることがおおい。基準にする時期として、ここではわざと「温暖化がはじまるまえ」というあいまいな表現をした。原理的には「産業革命前」だから1750年ごろをとるのがよさそうだが、実際は気温や海面水温の観測値があるという条件から1850~1900年ごろをとることが多いようだ。

これと、数値はにているが、別の数量として、「二酸化炭素濃度が標準値の2倍でずっとつづいたときの温度は、それが標準値でずっとつづいたときの温度にくらべて何℃高いか」がある(これを仮に「ΔT_double」とする)。ここで考える状況はきびしくいうと気候の変化ではなく、気候の定常状態どうしの比較なのだが、それを二酸化炭素濃度を変えた結果だと考えるときには、「二酸化炭素倍増にたいする定常応答」とよぶ。(実際には多くの人が「定常」ではなく「平衡」ということばをつかうが、同じ意味である。わたしは、熱力学用語の「平衡」と混同しないように、「定常」をつかっている。) 二酸化炭素濃度の標準値は、たとえば 300 ppm としても、400 ppm としても、ΔT_double の値はあまりちがわないことがわかっている。ΔT_double は、気候システムの感度の指標のひとつであり、これが「気候感度」と呼ばれることもよくある (わたしは「気候感度」をこの限定された意味につかうことはしたくないが)。

ΔT_double が大きいほど、ほかの条件が同じならば、ΔT_2100 も大きくなるだろう。「ほかの条件」としては、まず、大気中の二酸化炭素濃度が時とともにどのように変わるか(「濃度シナリオ」)がある。(それをさらに、大気への二酸化炭素排出が時とともにどのように変わるか(「排出量シナリオ」)と、排出量に応じて二酸化炭素の大気中のたまりの量がどう変わるか、と に わけて考えることもある。) それから、気候システムがエネルギーをためこむしくみによって、二酸化炭素濃度増加に対する応答としての実際の温度が、それぞれの濃度に対する定常応答にくらべて、遅れること(「過渡性」としておく)がある。

なお、地球温暖化の影響は、世界平均地表温度だけできまるわけではない。ΔT_2100 が同じであっても、他の気候要素 (たとえば、ある地域の降水量) の変化がちがい、それがおよぼす害の大きさもちがうことはあるだろう。

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「温暖化はこれまでの定説よりもはげしくなりそうだ」という論調で、つぎの論説が話題になっていた。

この記事には ΔT_2100 の話もすこし出てくるのでまぎらわしいのだが、具体的な数値が出てくるのは ΔT_double の話だった。ΔT_double は、従来、およそ 3℃ぐらいと考えられてきたが、CMIP6という国際共同研究の結果をまとめると、27個のモデルの平均で 3.89℃となり、うち4個以上のモデルで 5℃をこえた。この記事にふくまれたグラフでは、5℃をこえた3つのモデルが特筆されていた。

そして、記事は、研究者も、モデル間のくいちがいが大きくなったうちでどれが現実に近いかを決めかねていること (そして、人間社会のためには、現実の気候システムの感度が小さいことを希望していること) をつたえている。それにしても、実際にΔT_doubleが大きいかもしれず、そうするとΔT_2100も大きくなるにちがいないから、人間社会は、温暖化がこれまでの予想よりもはげしくなる可能性にそなえる必要があるだろう、あるいは二酸化炭素などの排出削減策をこれまで想定していたよりも強める必要があるだろう、という論調になっている。

この論説の根拠となっているのは、つぎの学術論文だった。

  • Mark D. Zelinka, Timothy A. Myers, Daniel T. McCoy, Stephen Po‐Chedley, Peter M. Caldwell, Paulo Ceppi, Stephen A. Klein, Karl E. Taylor, 2020: Causes of higher climate sensitivity in CMIP6 models. Geophysical Research Letters. https://doi.org/10.1029/2019GL085782 (公開)

CMIP6では、ΔT_doubleが5℃以上になったモデルが27のうち5つある (6年ほどまえのCMIP5では、なかった)。また、ΔT_doubleの全モデルの平均は3.9℃で、CMIP5の3.3℃よりはいくらかふえている。しかし、要旨で、この平均値の増加は「統計学的に有意ではない」とも言っている。

この論文の主要な論点は、このΔT_doubleが大きくなったこと自体ではなく、その増加がモデルの中のどのような数量どうしの関係からもたらされたかだ。エネルギー収支の変化の要因をわけた検討の結果、モデルごとのちがいをもたらしているのは、雲の効果、とくに背の低い雲が太陽光を反射することによるフィードバックの強さのちがいがおもなのだ。温暖化 (ここでは地表温度の上昇をさすとしてよい)にともなって、下層雲が明確にへるモデルでは、気候システムの太陽光反射率がへるから、エネルギーの収入がふえることになり、温暖化を強化することになる。残念ながら、現実世界でこのフィードバックの強さがどれだけかは専門家にもよくわからない。こう定性的に書けば、すでに言われていたことだ。

ただし、CMIP6のいくつかのモデルでΔT_doubleが大きくなった理由として、この下層雲のフィードバックが働いている場所は、(論文の要旨には extratropics つまり「中高緯度」とあるが、内容を見ていくと) とくに、南半球の温帯の海上なのだそうだ。これはあたらしい知見なのだと思うが、モデルどうしのちがいの指摘であって、現実世界の温暖化の見とおしにむすびつけるためには、さらに研究が必要だとしかいえないと思う。[この段落、2020-02-07 追加]

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これに関連する研究が日本でもされていたはずだと思って、検索してみたら、渡部 雅浩さん(東大 大気海洋研究所)ほかによる論文がみつかった。わたしはこの本文をまだ読んでいないが、要旨を読んで得た仮の理解を紹介しておく。

  • Masahiro Watanabe, Youichi Kamae, Hideo Shiogama, Anthony M. DeAngelis, Kentaroh Suzuki, 2018: Low clouds link equilibrium climate sensitivity to hydrological sensitivity. Nature Climate Change, 8: 901–906. https://doi.org/10.1038/s41558-018-0272-0 (有料)

ここで使われているのは CMIP5 の結果だが、ΔT_double のモデル間のちがいのおもな要因が下層雲であることはすでにおさえている。ところが、下層雲の減りかたが大きいと、二酸化炭素に対する温度の感度(ΔT_double)を強めるとともに、温度に対する水循環の感度を弱める。両者がうちけしあうので、二酸化炭素濃度の変化が同じならば、それが水循環の変化におよぼす効果については、モデル間のちがいは大きくない。

これが正しいとすると、人間社会への害が、直接に温度の上昇によってではなく、降水をふくむ水循環の変化によっておこるものであるばあいは、2節でのべたように心配を強めなくてよいかもしれない。ただし、渡部ほか(2018)の材料は CMIP5 だから、CMIP6 でもそうなのか、だれかがチェックする必要がありそうだ。(科学研究としてはオリジナリティのとぼしい、二番せんじというか、「銅鉄研究」というか、になるけれど、社会のために必要なのだから、従事する人の給料と研究費をしっかり出してほしい。)

- 3X [2020-02-07 追加] -
モデルが現実世界の雲のフィードバックをよく再現できるようにするには、雲をなるべくくわしくシミュレートするのがよいという考えがある。ただし、そうすると、モデルの空間分解能をこまかくしなければならず、計算機資源が大量に必要になる。

野田 暁[あきら]さん(海洋研究開発機構 横浜研究所)ほかの2019年の論文では、NICAMという大気モデルで、格子間隔 14 km のシミュレーションをしている。まだ、この空間分解能で、(2節や3節で紹介された研究でΔT_doubleをもとめる研究でつかわれたような) 大気海洋結合で何十年も続けるシミュレーションをするだけの資源はない。ここでは、大気だけのモデルに、境界条件として海面水温をなんとおりかあたえて、それぞれ5年間のシミュレーションをおこない、それをもとに ΔT_double やそれがどのような変数間のフィードバックでなりたっているかを推定している。推定された ΔT_double の値は 3.6~3.7℃となった。ここでも下層雲が重要だと言っているが、おもに注目している場所は熱帯の海上である。

  • Akira T. Noda, Chihiro Kodama, Yohei Yamada, Masaki Satoh, Tomoo Ogura, Tomoki Ohno, 2019: Responses of clouds and large‐scale circulation to global warming evaluated from multidecadal simulations using a global nonhydrostatic model. Journal of Advances in Modeling Earth Systems, 11: 2980–2995. https://doi.org/10.1029/2019MS001658 (公開)

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これと別に、地球温暖化に関する複数の研究者がやっている RealClimateというブログで、つぎの記事を見た。

これは、つぎの論説を紹介したものだった。

こちらの論調は、ΔT_2100 は これまで代表的と考えられてきたシナリオほど大きくならないだろうというものなのだが、そこで再検討されているのは (ΔT_double で代表されるような 気候システムの感度ではなく) 排出量シナリオ あるいは 濃度シナリオ のほうだ。

Schmidt (シュミット) さんのブログ記事のちょっとふざけた題名に出てくる BAU というのは、「business as usual」で、「とくに排出削減政策をとらなかったばあい」というような意味だ。この用語は、IPCCがはじまった1988年ごろから、2000年ごろまで、よくつかわれた。(つかう人のあいだで、その意味は、概念的には共通だったが、定量的にはまちまちだった。) 2000年に「SRES」とよばれる排出量シナリオ群、2011年に「RCP」(Reference Concentration Pathways)とよばれる濃度シナリオ群がつくられた。これ以後は、シナリオ群の中でつけられた記号がつかわれることがおおく、「BAU」ということばは公式のシナリオ名としてはつかわれない。しかし、非公式に、RCPの4つのシナリオのうち いちばん濃度が高くなる「RCP 8.5」が BAU とみなされることがおおくなっている。RCP 8.5 の濃度シナリオとつじつまのあう排出量は、2080年ごろには頭うちになるのだが、それまでは増加をつづける。

Hausfather & Peters の論説の主張を、わたしはつぎのように理解した (そう主張した根拠はまだ理解できていないのだが)。すでに世界のあちこちで進められている排出削減政策を考慮すると、RCP8.5 の濃度はすでに現実にありそうもないほど過大になっている。したがってこれからは、RCP8.5を「このままいくと起こりそうなこと」(BAU) とみなして議論に使うべきでない。

この主張は、数年前によく聞いた、「削減策はたいして効果をあげておらず、現実は削減策がおこなわれないばあいと大差ないみちすじを進んでいる」というような議論と、ちがっている。わたしは、まだ、どちらがもっともなのか、判断できていない。ともかく、このような議論があることを紹介しておく。

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「将来の見とおしに不確かさの幅があるとき、その危険側が実現することを心配するべきだ」という価値判断はもっともだと思う。Precautionary principle (日本語では「予防原則」といわれることがおおいが「事前警戒原則」のほうがよいと思う) というのは、だいたいそういう判断をさしているだろう。しかし、precautionaryな態度を「原則」にしてしまい、複数の不確かさの要因について積みあげると、無理が生じることもある。のぞましい「態度」ではあるのだが、「原則」にするべきではないのだと思う。

CMIPのばあいは、モデル間のちがいの理由が説明でき モデルが自然界をシミュレートする性能の優劣が判断できれば性能のよいモデルに重きをおき、そうでなければモデル群全体の特徴を見るのがよいと思う。感度が高いほうにはずれるモデルは、感度が低いほうにはずれるモデルとともに、重きをおかないほうがよいと思う。(現実がモデル群のふるまいからはずれている可能性を無視するわけではないが、はずれかたを特定のモデルだけがうまく再現できるとは期待しないのだ。)