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世界の気候分布として何を教えるか? ケッペンの大分類まで? (2)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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わたしは、まえに、学校教育で「ケッペンの気候区分」をおしえるのはやめようと言った。しかし、世界の気候の大分類、だいたい「熱帯・温帯・寒帯」と「湿潤地帯・乾燥地帯」をおしえることは必要だとも主張している。だが、具体的にどのような大分類をおしえるべきかの考えはまとまっていない。[2018-05-31の記事]を書いたときには、暫定的に、ケッペンの気候区分のうちの大分類「A, B, C, D, E」をおしえるのはよいだろう、ただし、地図上でみたとき、境界が明確な「区分」ではなく、幅をもった帯でうつりかわるものとしてとらえるべきだろう、と考えた。いまもその考えは変わっていないのだが、すこし具体的に論じてみる。

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ケッペンの気候の大分類のうち、E (寒帯)とB (乾燥帯)は、森林が存在しない状況だ。木のかたちをとる植物がないとはかぎらないが、例外的にしかないような状況だ。したがって、他の気候と E あるいは B との境界は「森林限界」といえる。

Eとそれ以外の境界は、植物の生育に利用可能なエネルギー要因によって制約されていると考えられる。ケッペンがつかった最暖月気温はその指標と考えられる。

Bとそれ以外の境界は、植物の生育に利用可能な水要因によって制約されていると考えられる。水要因の指標となる観測量としては、降水量(単位面積あたり・単位時間あたりにふる水の質量)がある。ただし、植物が木のかたちをとれるかどうかには、降水量自体よりも、降水量(水要因)が可能蒸発量(エネルギー要因)よりも大きいかどうかが重要だ。可能蒸発量を厳密に定義するのはむずかしいが、ここでは気温そのほかの条件が同じで地表面が完全にしめっている(地表水分が蒸発の制約にならない)ときの蒸発量と考えておく。 ケッペンは、降水量と気温の一次関数との比を比較しているが、この気温の一次関数は可能蒸発量の指標と考えられる。

ここまでのところは、データがそろえば、「植物の生育に利用可能なエネルギー要因」「植物の生育に利用可能な水要因」を直接に評価するべきだと思う。それがそろわないばあいの暫定的な代用品として、ケッペンの式をつかうのはよいと思う。

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人間の感覚として、暑い気候と寒い気候のちがいを認識することは必要だろう。それを、森林をさらに分類してそれぞれの種類の森林がなりたつ気候として定式化するのがよいか、わたしは疑問に思っているが、そのかわりにどうするのがよいという案ももっていない。

ケッペンの C と D の境界は、ほぼ、広葉樹林がなりたちうるか、針葉樹林だけになるか、ということなのだと思う。そのちがいが生じるおもなしくみは、植物体内の水分の凍結に耐える能力が高い植物種が針葉樹にかぎられることだろう。その条件をあたえる気候指標としては、最低気温をつかうべきだという主張も読んだ。ケッペンが使った最寒月平均気温は、最低気温の暫定的代用品と考えられる。ただし、わたしはここで述べた議論を証拠によって確認できていないので、これを強く主張できるわけではない。

ケッペンの A と C の境界は、広葉樹を主とする森林のうちの種の多様性のちがいなのだと思う。それに対応する気候要因として、ケッペンは最寒月平均気温をつかっている。単純に考えると、低温に耐えられない種類が熱帯にしか出現できないと考えられる。この低温のはたらきは凍結ということもありうるが、最寒月気温 18℃ よりすこし低いだけでは凍結はおこりにくいだろう。そのまえに、温度が低いと光合成をはじめとする生理活動が弱くなることがきいてくるのだろう。(吉良竜夫のわくぐみでいえば、月平均気温5℃未満の月が「あたたかさの指数」に寄与しないことが、これに対応するだろう。) この件についてのわたしの理解は、CとDの境界の件よりもさらに弱い。

A と C の境界は、自然植生よりも農業を念頭において、一年生草本植物の生育条件に注目するべきかもしれない。すると、低温が制約となって植物が(死にはしないとしても)成長できない季節があるかないかで区別したくなる。その指標として最寒月平均気温をとるのもよさそうだが、ケッペンが示した数値が適切かどうかについての判断材料をわたしはまだもっていない。